第36話 焦がしバターの香るお茶会 ──ホワイト上司に自ら「潜入」を志願しました
カツッーン、カツッーンと僕のブーツが、回廊に甲高い音を立てて進む。
そのすぐ後ろには、ガラスドームを被せたフィナンシェがこんもりと盛られている皿を、崩さず易々と持ち運んでいるイシューがいた。
蓋が閉まっていてもなお主張する──焼き上がったフィナンシェの焦がしバターとアーモンドの香ばしいハーモニーが、これでもかと漂っている。
卵白の大量廃棄も防げて、我ながら完璧な出来栄えだ。
──そんな風に、心の中ではいつものノリを維持しながら、僕は今、魔王城の最奥にある陛下の私室の前に立っていた。
『……あれ? 僕、そういえばいつの間にこんなに手際よくフィナンシェを完成させてたんだっけ?』
厨房に向かってからの記憶が、なんだか妙に薄く、実感が湧かない。
だけど、目の前にある素晴らしい完成度の焼き菓子を見れば、自分が全力を尽くしたことだけは確かだ。
よし、緊張するけど、魔王軍の食事改善の成果をしっかり陛下にお伝えしてこよう。
前回はアランに頼んだノックだけど、今回は意を決して、僕自身の手で重厚な扉を慎重に叩いた。
相変わらず警備の少なさに心配になるが……まぁ、ここに来るまで沢山の兵士達の目を掻い潜って来なければならないので、門兵は不要なのだろう。
◇
早速、僕たちは奥のガーデンへと案内される。そこには既に陛下が待たれていてお茶を楽しまれているようだ。
「お待たせして申し訳ありません。陛下」
僕とイシューは揃って跪く。僕は陛下の従者へ合図をして献上品を受け取ってもらい、指示を待つ。
陛下はそれを確認したあと僕へ席を勧め、手ずからお茶を淹れて下さる。
イシューが椅子を引く際、その指先がわずかに細かく震えていた。
『……ん? イシュー、手が震えてる? 』
さっき僕が陛下の部屋に向かう途中でも心配そうにこちらを何度も見て観察していたし、それなのに僕が視線を向けると上手く逸らす。一体どうしたんだろう……。
『もしかして、緊張してるのかな?それとも僕を看病していた時の疲れが出てるのかもしなく……。後で美味しいお菓子でも食べさせて、労ってあげないとね』
目の前の従者の瞳に浮かぶ悲痛な色にも気づかず、僕は呑気に脳内の『後で伝えるリスト』に書き加えて陛下の淹れてくださったお茶を手に取る。
「さぁ、どうぞ。口に合えば良いのだが」
サーブされた紅茶をゆっくりと香りを味わってから戴く。前回のとはまた違う種類の茶葉のようだ。少し苦味が効いているがフィナンシェのバターの香ばしさと合うかもしれない。……ふふ、やっぱり陛下は良いお茶をお持ちだな。従者の人に聞けば産地とか教えてくれるかな?
「はい、陛下。とても良い香りで美味しいです。きっと今日のお菓子と良い相性だと思うのでお召し上がりいただければ……」
僕がのほほんとお茶の香りを愉しみ、陛下へ笑みを向けた瞬間──背後に控えるイシューの呼吸が、ぴたりと息を飲むように途絶えた。
彼は微動だにせず、ただ地面の一点を見つめたまま、微かな気配すら殺している。
「ふっそうか。では、ヴェイグの土産ももらうとしようか」
「今回は料理長がとても良い発酵バターを手に入れてくれたのでフィナンシェにしたんです。味も良く、兵達の士気も上がることでしょう……ですので……」
僕は魔王軍の食事改善の為にその有意性を伝えなければと思い、語っていく。陛下はそれをフィナンシェを美味しそうに食べながら聞いてくれた。
「そういえば、こないだの任務、大義であった。身体の方はもう大事ないか?かなりの手傷を負わされたと報告にあったが……」
そう言って彼は僕の頬に触れ、具合を確認するように注意深く観察してくる。
うっ……何もかも見透かされてる気がして苦手なんだよねこの目。大人しくモルモットになっている間にイシューにアイコンタクトをして例のモノを出してもらった。
「陛下、御心を砕いていただきありがとうございます。こちらのイシューの回復魔法やアランたちの献身のお陰で問題なく出撃出来ますのでご安心下さい。そして、こちらを読んでいただいてもよろしいでしょうか?」
そう言って今度の供儀式についての報告書を手渡す。陛下は軽く目を通すとこう言った。
「ふむ。よく出来た資料だ……この供儀式だが、ヴェイグが奮闘してくれたお陰で救世主殿も痛手を負ったようで、日延べすることが決まったと報告があった。今、その詳しい情報を集めている所だ。出来ればこの儀式は取りやめてもらいたいのでね」
確かにこの儀式が行われれば人間界にある瘴気が救世主の犠牲によって浄化されるので魔界にとっては都合が悪い。
僕だってこれ以上イヴェットが苦しむのは嫌だ。何としてもこの儀式は中止させないと!!
「でしたらこの件、私にお任せいただけないでしょうか?あの儀式の間なら前に行った事がありますから潜入は容易いかと」
『さぁ!乗ってくれよ魔王陛下! 僕が裏で立ち回って、イヴェットたちの役に立ってみせる』
「よかろう。病み上がりの身体に鞭を打つのはあまりすすめないが本人の希望を無碍にするのも良くなかろう。存分にその腕で見事に果たしてくるがいい」
「この──闇騎士ヴェイグ。魔王陛下に最良の結果を持ち帰ってみせましょう」
その力強い言葉に応えるように、僕の背後でイシューが音もなく深く、深く頭を下げた。まるであらかじめ決まっていた動作のように寸分の狂いもない、完璧すぎる辞儀。見つめる床に零れ落ちそうになる感情を、その深く伏せられた前髪で隠しながら……。
第36話をお読みいただきありがとうございました!
魔王様とのお茶会第二弾!!今回の紅茶はアールグレイのイメージです。実際にミステリーの定番でもあるアールグレイはその昔、香り高い匂いに薬を混ぜやすいからと毒殺をしやすくする為に調合されたと言われているそうです。(諸説あります)
まぁ、でも美味しいですよねアールグレイティー。
次回の第37話は、【9/4(金) 18:00頃】投稿予定です!
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