第29話【悲報】僕がホワイトお茶会を楽しんでいた裏で、我が肉体(闇騎士)が故郷をボロ雑巾のように蹂躙していた件について
※今回は第1部クライマックスにつき、物語のテンポと熱量を優先して【約8,000文字】の一括投稿となっております!
少し長めですが、ぜひ最後まで一気にお楽しみいただけると嬉しいです。
(※一部、ショッキングな展開・描写が含まれますのでご注意ください)
よし、この道ならイヴェットたち黎明の道標の面々とも遭遇しないはず! 最高のハーブティーで体調も万全だし、もしニアミスしそうになっても、僕のゲーマー知識をフル活用すれば上手く回避ルートを選べるもんね。
闇騎士ヴェイグとしての初任務、ここはサクッと──
ジャリ、と脳内で最悪な砂嵐のような音が響いた。
「──、──っ!?」
接続不良を拒絶するように、一つ、強く目を瞑る。
──そして、次に目を開けた瞬間。
世界は、燃えていた。
爆ぜる火の粉。皮膚を焼く熱風。
耳を劈くのは、聞き覚えのある故郷の人間たちの悲鳴──。
「あ、ぎゃあああああああ!!?」
「助けて、誰か、誰か助けてえええ!!」
鼓膜に突き刺さる狂乱の絶叫。
鼻腔を貫く、木々と──何かが焦げる最悪の臭気。
五感が戻ってくるにつれて、視界が急速に「赤」へと染まっていく。
何より、身体がなぜか鉛のように重く、咄嗟に指一本体動かすことすらできない。
『え……? は? なに、これ、どこ……!?』
兜の隙間から見える景色は、警備区域などではなかった。
赤黒い炎に包まれ、崩壊していく僕の故郷──。
驚いて無意識に自分の手に視線を向けると、まだ真新しい鈍い輝きを湛えていた籠手にどす黒い何かが染み、それが密やかに音を立てて滴り落ちていた。
一体、何がどうなっているんだ。
背後に視線を感じて振り返ると、そこには見覚えのある男女の死体が横たわっていた。
──ジジっ、と脳内に響くノイズ。
目の前に映る光景がゲームのポリゴン映像から、血塗れの死体へと急速に解像度を上げていく。
これ、は……幼馴染の少女の両親だ。
村で暮らしている時は、よくイヴェットも含めて何度も仲良く食卓を囲んでいた。
僕とイヴェットが競うように採ってきた獲物を、上手に料理してくれたんだ。
そんな家族同然に過ごした人たちの首は無残に切り落とされ、近くの血溜まりの中に転がっている。
「っひ……」
喉から引き攣った悲鳴が小さく漏れる。
二人の表情は苦悶というよりは驚きに満ちていて、何故こんな事になったのか分からないまま、一息に斬首されたように見えた。
誰がこんな酷い事を……。
いや、今は迷っている暇はない。生存者を探さなくては。
肺が炎に負けて息が苦しいが、そんなことは気にしていられない。火の海の村を無我夢中で走り回る。
──物音がした先、炎の隙間の瓦礫の影に、ぽつんと佇むその姿に視線が吸い寄せられた。
くすんだアッシュピンクの髪。
お人形さんのように整った、けれど今は恐怖に完全に凍りついた横顔。
僕やイヴェットが、故郷の村で「何があっても絶対に守る」と誓い合った、大切な妹分──ミルトレッドだった。
『ミルトレッド……!? 嘘だろ、なんでここに……っ!』
生きていてくれた──その安堵は、一瞬で吹き飛ぶ。
彼女の虚ろな水色の瞳が、ゆっくりとこちらを向いた。
その視線の先にあるのは、黒銀の剣を握り、禍々しい紫黒の鎧を纏った、魔王軍の最高幹部『闇騎士ヴェイグ』の姿だった。
僕の心を完全に無視して、肉体が冷酷に口元を釣り上げる。
「──フン。まだ動く『薪』が残っていたか」
『やめろォ!! 喋るな、僕の口!!!』
僕の悲痛な叫びとは裏腹に、ヴェイグの肉体は無慈悲に断罪剣を構え、ミルトレッドへと着実に歩みを進めていく──。
全身が魔王の力で固定され、一ミリも動かせない。
それでも、エルニアとしての僕の魂が、ドス黒い怒りで燃え上がる。
『これ以上、僕の大切なものを壊させてたまるか。強制力なんかに、負けてたまるものか……っ!』
肉体の制御を奪い返すことはできない。
なら、ゲーム知識の全リソースを叩き込んで、このシステム(洗脳)の『バグ』を突く──!
断罪剣が、ミルトレッドの細い首筋へと振り下ろされようとした、その瞬間だった。
「────は、ああああああああああッ!!!」
紅蓮の炎を縦に裂き、眩いばかりの『光の斬撃』が、僕とミルトレッドの間に割り込んだ。
凄まじい衝撃波。
ヴェイグの肉体が、本能的な戦闘機動でバックステップを刻み、間合いを取る。
爆ぜる火の粉の向こう。
そこに立っていたのは、赤みがかった茶髪を振り乱し、琥珀色の瞳にどす黒い怒りと絶望を宿した──僕の、たった一人の親友だった。
『イヴェット……!』
その名前が僕の喉から出かかるが、肉体がそれを許さない。
ヴェイグの唇が、冷酷な嘲笑を刻む。
「ほう。ネズミが巣穴から這い出てきたか、救世主」
対するイヴェットは、肩で荒い息を吐きながら、血が滲むほど強く剣を握りしめていた。
普段の、誰に対しても優しく微笑む『完璧な救世主』の面影はどこにもない。
ただ、目の前の僕だけを──僕という【存在】を、狂おしいほどの眼差しで見つめている。
「……ヴェイグ!! お前、よくも、よくもまた俺たちの前に……!」
「……?」
イヴェットの絞り出すような声に、僕の脳内で小さな違和感が跳ねた。
また、だと?
「砦で楽しそうに笑いながらあれだけ俺の仲間を殺しかけて、その上、今度は故郷まで奪うのか! 答えろ! ヴェイグ!! お前は、本当に魔王の犬に成り下がったのか!?」
『は……? 砦……? 仲間を、殺しかけた……?』
イヴェットの悲痛な叫びが、僕の思考を一方的にフリーズさせる。
何を言っているんだ?
僕が魔王城に連れ去られてから、イヴェットと会うのは、戦うのは、今日が初めてのはずだ。
だって、僕はホワイト企業並みの待遇に甘えて、ずっと魔王城で内通者になるためのメモを取ったり、救世主に関する資料を探したり、地獄のゲキマズ飯を改善するために厨房で料理指導を──。
──『先日の「仕事」は見事であったぞ』。
──『アラン、裏でどんなスパルタ指導したんだよ』。
──顔を真っ青にしてガタガタと震え、涙目で祈る料理人たち──。
ドクン、と心臓が、嫌な音を立てて跳ね上がった。
脳内のカレンダー。意識の空白。
僕がのんきに「魔王城見学ツアー」を楽しみ、「ホワイト上司じゃん!」と好感度を上げていたお茶会の裏で。
僕の、この『闇騎士ヴェイグ』の身体は──自動人形として出撃され、イヴェットたちの砦を蹂躙していた……?
あの悪趣味な鏡に映った返り血は、あの料理人たちの異常な恐怖は、パッシブスキルのせいなんかじゃなくて、僕が彼らの仲間を笑顔で大虐殺してきた直後だったから──。
『嘘だ……嘘だろ……あのお茶は肉体のメンテナンスで……ッ! あの男ユラシーズは、僕が自我を保ってツッコミまくっているのを知りながら、あえてホワイト上司のフリをして僕を泳がせて……全部、娯楽として楽しんでたんだ……っ!』
胃の中のモノを全て吐きそうなほどの最悪の点と点が、一本の線で繋がっていく。
世界の強制力への、致命的なまでの閃き。それは理解してはいけない事実だった。
僕は……無意識のうちに、大切なイヴェットを……仲間たちを……殺しかけていた……?
絶望で脳が焼き切れそうな僕の視界の先で、イヴェットの琥珀色の瞳が、僕の『思考の崩壊』を正確に捉えていた。
イヴェットは、天性の勘を持つ男だ。
だからこそ──気づいてしまった。
目の前のエルニアは、自分たちを拒絶して戦っていたのではない。
戦っていた記憶すら残されず、ただの無慈悲な操り人形として、魔王に消費されていたのだと。
「……そんなはずはない。お前は、ヴェイグは闇騎士で……、俺を……」
イヴェットの声が、掠れる直前で、喉の奥から悲痛に震え出す。
「──あぁ、そうか。そういうことか、あの男が……っ! エルニアから『俺』を奪ったんだな……!!」
イヴェットの喉から、血を吐くような咆哮が響く。 完璧だった救世主の『格』が、内側からバキバキと音を立てて崩壊していく。
「人の心を、エルニアの思いを踏みにじりやがって……! 許さない……絶対に許さないぞ、ユラシーズ……ッ!!」
泥臭い、狂おしいほどの執着と怒りが、ゆらりと燃え上がり、イヴェットの全身から光の魔力となって爆発する。
救世主と、闇騎士。
お互いの心をこれ以上ないほどに破壊し尽くした、最悪の再戦の幕が上がる。
◇
激突する光と闇。
魔王のシステムに操られる僕の肉体は、親友であるはずのイヴェットを殺すために容赦なく断罪剣を振るう。
その圧倒的な暴力の嵐の後方で。
イヴェットに庇われ、地面にへたり込んでいたミルトレッドが、虚ろな水色の瞳で僕という【怪物】を見ていた。
彼女の脳裏には、数分前の──あの地獄の光景が焼き付いている。
「……うそ、だよね」
激しい剣戟の音を突き破って、ひび割れた少女の声が僕の耳に届く。
「なんで……なんでなの、ニカにぃ……っ! どうしてパパを、ママを殺したの……!? 答えてよ、ニカにぃ、ニカにぃいいいいいッ!!!」
「─────え?」
イヴェットが叫ぶよりも早く、その絶叫が僕の魂を直撃した。
イヴェットが「エルニア」と呼ぶ前に、ミルトレッドは──僕が『ニカ』だと、知っていた。
じゃあ、あのおじさんも、おばさんも……僕だと知った上で、殺されたのか……?
ミルトレッドの言葉が最悪な形で脳内で繋がり、逃げ場のない事実が、僕の胸を容赦なく撃ち抜く。
『あ、ああ……あああああああああああああッ!!!!!』
脳内で、僕の自我が完全に崩壊した。
耐えがたい罪悪感と吐き気、そして世界の強制力への圧倒的な絶望。
『ゲームの知識』なんて都合のいい盾は、もう何の意味もなさなかった。
脳裏を埋め尽くすのは、僕が、僕の手が、あの優しい人たちを屠ったという紛れも無い事実。
最悪の答えを完全に『理解』してしまった。
これが僕の犯した罪だ。僕がのんきに笑っていた時間の、これが対価だ。
限界を超えた罪悪感と吐き気、そして逃れられぬ強制力への絶望に、僕の心は音を立てて砕け散り、光を失った深い闇の底へと滑り落ちていった──。
◇
(イヴェット視点)
ミルトレッドの血を吐くような絶叫が、炎の爆音を突き破って俺の耳に届いた。
その瞬間。目の前で剣を構えていたエルニアの動きが、嘘のように完全に凍りついた。
その紫色の瞳が、見たこともないほどの驚愕と、圧倒的な拒絶に大きく見開かれる。
エルニアは知らなかったのだ。
自分の肉体が、自分の手が、大好きで大切な守るべき妹分ミルトレッドの家族を奪ったという事実に、今この瞬間に初めて気づいたんだ──。
「あ、ああ……あああああああああああああッ!!!!!」
エルニアの喉から、魂が引き裂かれるような悲悲鳴が上がった。
だが、その絶叫が最高潮に達した瞬間、カチリ、と何かが切り替わる不気味な音が、俺の天性の勘を鋭く刺激する。
──エルニアの瞳から、完全に光が消えた。その目にはもう何も映してはいなかった。
(しまっ──、逃げ──)
本能の警告が鳴り響くより早く、紫黒の鎧から爆発的な闇色に染まった魔力が膨れ上がった。
さっきまでの比ではない。
戸惑いも、躊躇いも、手加減も一切ない。
目の前の障害物を、ただ淡々と『処理』するためだけの、冷酷な操り人形。
視線の先、エルニア──闇騎士ヴェイグは、剣をダラリと下ろしている。
その紫色の瞳は、酷く虚ろに濁り、何も見てはいないようだった。
エルニア……? ニカ……?
完璧な救世主などと祭り上げられても、俺の中身は所詮、ただのガキだ。そんな大層な人間じゃない。
だから、大事な親友の名前を呼ぶ声が、情けなく震えてしまう。
だが、ピクリとも反応がない。
先程のミルトレッドの言葉が、俺の脳内を最悪な形で繋いでいく。
実の親同然に、俺たちの成長を家族ぐるみで見守ってくれた、あの優しいおじさんとおばさん。
二人を惨殺したのが──本当に、お前なのか、エルニア?
「──っ、」
拒絶の言葉すら挟ませない、あまりに速く、あまりに冷酷な一撃。
いつか一緒に剣を振るったあいつの癖も、躊躇いも、何もかもが綺麗に消え去っていた。それが、真っ直ぐに、俺に向かって突撃してくる。
背後にはミルトレッドがいる。避けるわけにはいかない。
俺は今まで意識して使っていた気高く美しい騎士の型をかなぐり捨て、ただ泥臭く、両手で聖剣を構えてその凶刃を受け止めた。
ギチ、ギチギチと、嫌な金属が擦れる音を立てて鍔が迫り合う。
──鼻腔を突いたのは、血と脂、そして焦げた肉の匂い。
吐き気が胃を突き上げる。あいつが笑いながら作ってくれた、あの温かいハンバーグの匂いが──最悪な惨劇の臭いと重なって、俺の脳を激しく汚していく。
ニカ。お前はやはり……。
至近距離。力の押し合いの中で、俺は見てしまった──。
先程までは、僅かに抵抗するような光が宿っていたはずのエルニアの瞳。
その光が完全に消え失せ、今はただのガラス玉のように、何も映していない。
俺だろ……? エルニア、俺の顔が見えないのか……!?
これまで戦ったどんな魔族よりも冷徹な、機械のような質量。そして、圧倒的な練度差。
距離が取れず、押し負ける──そう直感した次の瞬間だった。
──っガガァン!! と、思いきり横っ腹を蹴り飛ばされ、俺の身体は瓦礫へと叩きつけられた。
「ぶ、ふっ……!?」
受身もろくに取れず、内臓を激しく揺さぶられる。
下から胃液が逆流し、俺は情けなくそれを地面に吐き捨てた。
救世主のプライドなんて、もうどこにもない。
痛む脇腹を押さえ、泥に塗れながら、剣を支えにして死に物狂いで立ち上がる。
目の前のエルニアは、近くで声もなく泣き叫ぶミルトレッドには目もくれない。
ただ、俺だけを、確実に抹殺すべき『標的』として見定め、ゆっくりと詠唱を終えた魔法を容赦なく放ってきた。
「くそ、がぁああっ!!」
今までは、これほど冷酷に魔法と剣技を併せて使ってくる事はなかったはずだ。
まるで、余計な感情がすべて消え去り、純粋な『殺戮兵器』に成り果てたかのような──。
闇騎士の苛烈な猛攻を受けながら、俺は必死に聖剣を振り回し、食らいついていく。
手遅れになる前に、この命をかけてでも──。
そして、この時、自分の勘が鋭いことを初めて呪った。
いつの間にか、目の前の男からは、親友の気配が一切消え失せている。
さっきまで戦いの中で微かに感じられていた、俺の知る『エルニア』の気配が、一滴残らず消失する。
ただ、機械のように淡々と正確無比な一撃が、人間の限界を超えた軋みと断裂音を上げて繰り出し続けられている。
ああ、俺だ……。何も知らないくせに『魔王の犬』なんて言葉で追い詰めて、俺があいつの心を……エルニアの息の根を止めたんだ……!!
己への激しい怒りと罪悪感で頭が狂いそうになりながら、俺は光の魔力を有りったけ叩き込んだ決死の一撃を放った。
激しい火花を散らし、俺の刃がヴェイグの鎧を捉える。
なぜかヴェイグの肉体が、一瞬だけピキリと完全にフリーズする。
その隙間に、俺の放った光の斬撃が、黒銀の鎧の胸元へ深く直撃した。
だが、すぐにその一撃をヴェイグの剣が雑に弾き飛ばした、その瞬間──。
「──ぃ、て」
「……え?」
ヴェイグの口元が、ピクリと不自然に引き攣った。
感情の消えた紫の瞳から、本人の自覚もないまま、一筋の涙が静かに流れ落ちている。
「お、いて……おいていかないで、イヴェット……。お風呂、一人で、入れる、から……」
壊れた人形の口から零れ落ちたのは、あの日、泣きながら俺の服の裾を掴んでいた──あいつ自身の声だった。
「あ、ぐ……ッ!!」
喉の奥から汚い悲鳴が漏れる。
胸が引き裂かれる。視界が血と涙で歪む。
助けを求める親友の叫びに、俺はまた──刃を振り下ろすことしかできないのか……っ!!
次の瞬間には、再び冷酷な闇騎士の顔に戻り、俺の胸元へ容赦ない追撃が放たれる。
だが同時に、肉体そのものを燃料として削り取るような、禍々しい紫黒の魔炎が肌を焼くように暴走し、ヴェイグの肉体がその場に激しく甲冑の金属音を鳴らして膝をついた。
「はぁ、はぁ……エルニア……っ!」
こちらももう、動けそうにない。
引き裂かれそうな表情で必死に手を伸ばしたその時──。
「──そこまでにしてもらいましょう、救世主殿」
炎の影から、凄まじい速度で躍り出た影が、昏倒するエルニアの身体を素早く抱きとめた。
真っ白な髪にグレーのツートンカラーの男──エルニアの砕けた鎧の下に見えた軍服と同じものを纏った、魔族の青年だ。
さらに空間が歪み、よく似た顔立ちをした一つ結びの青年と、グレーメッシュの青年が武器を構えて俺との間に立ち塞がる。
「貴様ら、あの男の……っ! エルニアを、返せ!!」
「ロスタ、イシュー、これ以上はヴェイグ様の精神が崩壊します。撤退を」
「わかってる!」
「アラン、早く……! イシュー、回復魔術を!」
彼らが互いの名を呼び交わす。ロスタ、イシュー、そしてアラン──。
敵のはずだった。
魔王軍の幹部を支える、俺にとって憎っくき従者たちのはずだ。
なのに、彼らの瞳に宿っていたのは、俺への敵意ではない──痛々しいほどの悲痛さと、俺に対する『懇願』だった。
「救世主イヴェット。……今のヴェイグ様に、あなたの声は決して届かない。これ以上戦えば、彼の心が完全に壊れる。……彼を殺したくなければ、今は引く事です」
アランと呼ばれた青年の声は、焦燥に震えていた。
その言葉の端々に滲む、エルニアへの剥き出しの親愛と保護の意志。
それが偽物ではないと、俺の勘が告げている。
彼らは、魔王ではなく……自分達の意志でエルニアを必死に守ろうとしているのか……!?
「これ以上の追撃はいたしません。……イシュー」
「……はい。せめてもの、お詫びです」
柔和な顔を悲しみに歪めたイシューが、ふわりと優しい光の回復魔法を放った。
それはヴェイグではなく、俺と、後方で心を失くして震えるミルトレッドを優しく包み込み、その傷を癒やしていく。
「待て……! お前たちは一体……!」
「へへ、またね、救世主の兄ちゃん。……エルニア様のこと、絶対に諦めないでくれよな」
ロスタという青年が、消え入るような小さな声でそう呟いた。
エルニア、様。
彼らは今、確かに『闇騎士ヴェイグ』ではなくそう呼んだ。
魔族にすら、エルニアは……。
なのに俺は、大切な親友なのに……あいつをただ信じてやることすらできなかったのか……!?
闇の転移術が発動し、炎の渦の中へと消えていく三人の魔族と、エルニアの肉体。
残された俺は、燃え盛る故郷の中で、ぽつりと言い残されたその名前の残響を、ただ呆然と噛み締めることしかできなかった──。
──だから、気づかなかった。
崩壊する村の瓦礫の影から、その惨劇のすべてを『表情筋の死んだ顔』で冷酷に見下ろしていた、あの教会の密偵の視線にだけは。
第29話をお読みいただきありがとうございました。
ここから物語は一気に第一部のクライマックスへと加速していきます。
追い詰められるエルニアと、イヴェットたちの選択を最後まで見守っていただけると幸いです。
明日も【18:00頃】に第30話を投稿予定です!
(連日投稿中!)
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