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第17話「白い一杯と、戻る決意」

ジェイドに促され、サナエはカウンターの隅、一番端の席に静かに腰を下ろした。


10人の団体客の方は、例のゴルゴンゾーラの余韻と、ジェイドが放つ「余計なことをすれば次はない」という無言の圧力によって、嘘のように静まり返っている。


銭山も、今は大人しくスープを口に運んでいた。


「……はい、これ。火傷すんなよ」


ジェイドがサナエの前に置いたのは、柔らかな乳白色をした『カリフラワーとクリームチーズのポタージュ』。


中央には、鮮やかな緑のパセリと、黄金色のオリーブオイルが一滴だけ落とされている。


サナエは、震える手でスプーンを握った。 一口、スープを口に含む。


「…………っ」


温かな液体が喉を通った瞬間、こらえていたものが一気に溢れ出した。


会社での理不尽な扱い、銭山のような人間への愛想笑い、自分が何をしたいのか分からず、ただ流されていた毎日。


そのすべてが、カリフラワーの優しい甘みとクリームチーズの微かな酸味に溶かされていく。


サナエは顔を伏せ、スープの湯気で顔を隠しながら、声を殺して泣いた。


「会食って楽しむだけのものじゃないでしょ。……利害、忖度、力関係の確認。テーブルの上は、いつだって計算機とナイフの応酬だ」


ジェイドも傍系とはいえ、政財界に名を知られる一族の末端に連なる身だ。


幼い頃から、豪華なシャンデリアの下で行われる「食事という名の戦場」を、冷めた目で見続けてきた。


「あんたみたいに、ただ笑って、注いで、自分を削って……。そんなコストの払い方、計算が合わなすぎるんだよ」



「……はい。私、自分がいくらですり減っているのか、計算するのも怖くなってました」


サナエが俯きながら答えると、カウンターの奥で沈黙を守っていた総一郎が、磨き上げたワイングラスを静かに棚へと戻した。


その動作には一点の迷いもなく、拒絶に近い潔癖さが漂っている。


「ジェイドの言う通り、食事は時として残酷な装置になります。……ですが、サナエさん」


総一郎の冷徹な視線が、サナエの濡れた瞳を射抜いた。


「今のあなたをこの店で受け入れることは、私にはできません。なぜなら、あなたはまだ戦場から逃げ出そうとしているだけだからだ」


サナエが息を呑む。総一郎の言葉は、慰めを期待していた彼女の心に、冷たい楔を打ち込んだ。


「あんたの振る舞いを変えなきゃ、どこでだっておんなじことだよ」


ジェイドが追い打ちをかけるように言い放つ。


「場所を変えればバグが直るなんてのは、素人の考えだ。コードそのもの……つまり、あんたの『対峙の仕方』を書き換えない限り、どこへ行ってもまた別の『銭山』が現れて、あんたをすり減らす。それはこの店だって例外じゃないんだわ」


総一郎は、カウンター越しにサナエを真っ直ぐに見据えた。


「サナエさん。あなたが戦うべき場所は、ここではありません。今の会社で、その愛想笑いという仮面を一度脱ぎ捨て、一人の人間としてテーブルに向き合いなさい。相手を黙らせるほどの意思を持って、あなたの仕事を全うするんです」


「……でも、私には、そんな……」


「できるはずです。先ほど、あなたは私の出したチーズの『毒』に当てられ、自分を取り戻した。その強さを、今度はあなたの言葉に変えなさい。逃げて辿り着いた場所には、救いなどありません」


総一郎は、新しい布を取り出し、再び別のグラスを磨き始めた。


「今の場所でやり抜きなさい。そうして、いつかあなたが『逃げ場所』としてではなく、純粋に『私のチーズを味わいたい』と思える強さを手に入れた時……その時こそ、本当のお客様としてお迎えしましょう」


サナエは、唇を噛み締め、膝の上で拳を握りしめた。総一郎の言葉は、突き放しているようでいて、彼女の足元に確かな「自立」という名の地盤を求めている。


「……分かり、ました。私、もう一度……戻ってみます。あの人たちの前で、笑って誤魔化すのをやめることから始めてみます」


サナエは立ち上がり、深く頭を下げた。 その背中を見送りながら、ジェイドがボソリと呟く。


「……厳しすぎんだろ、ママ。あの子、明日から会社で猛犬みたいになったらどうすんだよ」


「それでいい。……誰かに媚びて作る平和など、熟成の進みすぎたチーズのように、いずれ腐敗して崩れるだけですから」


総一郎の横顔には、職人としての厳格さと、去りゆく背中へ向けた、微かな祈りが宿っていた。


ピキッ。


店内の空気が、氷が割れるような音を立てて凍りついた。


「誰がママだって!」


ドスッ、という鈍い衝撃。総一郎の拳が、ジェイドの脇腹へ正確無比にめり込む。


「いて。いてててて! ちょ、何すんだよ総一郎!」


「オーナーだ!」


総一郎は、般若のような形相でジェイドの襟首を掴み上げ、もう片方の手で磨き上げたばかりのグラスを突きつけた。


「さっきから聞いていれば、ママだの肝っ玉母ちゃんだの……。私のどこに母性があるというんだ。私はただ、素材と論理に忠実な職人であるだけだ」


「痛いって! 離せよ! ……だってさ、この間のガキも言ってたろ! 理屈じゃねぇんだよ、あんたから漂うその『食わせりゃ治る』みたいな雰囲気が、全迷子の母性を刺激してんだよ!」


「黙れ。……ジェイド。次のシフト、さらに三時間繰り上げだ。明日の朝は、誰よりも早くブルーチーズの反転作業をしてもらう」


「……はぁ!? 鬼! 悪魔! 継母!」


「……四時間だ」


「オーナー! 最高のオーナー様、申し訳ございませんでした!」


二人の騒がしいやり取りをよそに、カウンターの上には、サナエが飲み干した空のスープボウルが、月明かりを反射して静かに佇んでいた。


その「白」は、一人の女性が明日を生き抜くための、揺るぎない約束の色に見えた。




◇◇◇◇◇


カリフラワーとクリームチーズのポタージュ


サナエが「Le Fondue」で味わった、あの心まで白く染め上げるような優しく濃厚なポタージュの再現レシピです。カリフラワーの繊細な甘みを、クリームチーズのコクと酸味が引き立てます。


材料(2人分)

カリフラワー: 1/2株(約250g)


玉ねぎ(みじん切り): 1/4個


バター: 15g


水: 200ml


コンソメ顆粒: 小さじ1


牛乳: 150ml


クリームチーズ: 30g(個包装のタイプなら約2個)


塩・白こしょう: 少々


(トッピング): パセリ、オリーブオイル、または素揚げしたカリフラワー


作り方

下準備:

カリフラワーは小さめの小房に分け、火が通りやすいように厚さを揃えてスライスします。


炒める:

鍋にバターを熱し、玉ねぎを弱火で透き通るまで炒めます。次にカリフラワーを加え、バターが全体に回るまで軽く炒め合わせます。


煮込む:

水とコンソメを加え、蓋をして弱火で10〜12分ほど、カリフラワーがヘラで簡単に潰れるくらい柔らかくなるまで煮込みます。


攪拌(かくはん)する:

一度火を止め、ハンドブレンダー(またはミキサー)で滑らかなペースト状にします。


仕上げ:

牛乳を加えて弱火にかけ、フツフツとしてきたらクリームチーズをちぎって入れます。チーズが完全に溶け込んだら、塩・白こしょうで味を調えます。


盛り付け:

器に注ぎ、お好みでオリーブオイルをひと垂らしすれば完成です。


総一郎のワンポイント・アドバイス

「カリフラワーは焼き色をつけないように、ゆっくりと『蒸し煮』にするのがコツです。そうすることで、クリームチーズと合わせた時に、濁りのない美しい雪景色のような一皿に仕上がりますよ。」


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