第13話「静寂を壊す者たち」
「お父様。私たちは今、この街で『職人』として生きているんです。どうか、静かに見守っていただけませんか」
総一郎が精一杯の威厳を持って説得を試みるが、パパは聞く耳を持たない。
「ダメだよぉ! こんなに痩せちゃって……あ、でも、さっきステージの動画見たよ! 立花っていうライターさんの記事、パパ、全ページ買い占めようかと思ったくらい素敵だったぁ。あかりちゃんも『本物だ』って言ってたし!」
「あかり……?」
総一郎の眉が動く。
「美咲あかり」
「知っているんですか?」
「当たり前じゃない、パパの会社の広報のアドバイザーだもん。それにしても、こんな狭いお店じゃなくて、パパが東京にビルを建ててあげるから……」
「断るってば! おじさん、僕たちはここがいいんだ!」
ジェイドがようやくパパの抱擁から脱出し、総一郎の隣に陣取った。
その様子を、店の外からカメラを提げた立花が呆然と眺めていた。
(……なんてことだ。この店の背景、僕が想像してたより100倍くらいヤバいぞ……)
一方で、事情を知らない商店街の人々は「総一郎さんのところに、すごいお金持ちの親戚が来た」と大騒ぎ。
孤独を愛し、静寂の中に旨味を見出すはずだった「Le Fondue」に、最強の身内という名の最大級の嵐が吹き荒れる。
総一郎の「職人としての戦い」は 身内の愛という、予想外の伏兵によって、かつてない局面を迎えようとしていた。
「ジェイくん、欲しいものはないの? おじさんとお買い物行く? パリでもニューヨークでも、パパのプライベートジェットですぐだよぉ!」
総一郎の父は、ジェイドの両肩をがっしりと掴んだまま、瞳をキラキラと輝かせて詰め寄った。
その背後では、黒スーツの護衛たちが「買い物」という言葉を聞いた瞬間に、手元のタブレットで各地の最高級ブティックの予約状況を確認し始めている。
「あ、いや、おじさん、僕いま仕事中だから……! それに欲しいものなんて、最新の電子顕微鏡か、分子調理用の遠心分離機くらいだし」
「まあ、可愛い! そんなものでいいの? じゃあ、この商店街ごと買い取って、ジェイくん専用の研究所に作り替えちゃおうか!」
「極論すぎるだろ! 話を聞けよ!」
ジェイドの悲鳴に近いツッコミが店内に響き渡る。
その様子を、カウンターの隅で見ていたオタク君は
「商店街を買い取る……?」 と、
あまりの次元の違いに持っていたグラスを落としそうになり、
梢は「パパさん、迫力がすごすぎる……」 と、
呆気にとられて立ち尽くしていた。
「お父様、いい加減にしてください。ジェイドを困らせるのは、私の誇りを傷つけるのと同じです」
総一郎が、冷徹なまでの静かさで割って入った。
その声の温度に、さしものパパも「ぴえん」という効果音が聞こえてきそうなほど露骨に肩を落とす。
「そうちゃん……。パパはただ、二人が不自由してないか心配で。こんなに狭いキッチンで、ジェイくんみたいな天才が皿洗いまでしているなんて。おじさん、悲しくて……」
「僕は好きでやってるんだってば! 皿洗いはね、水の流体力学と汚れの化学分解をリアルタイムで観測できる、最高の実験場なんだよ!」
ジェイドなりの精一杯の拒絶――というか独自のこだわり――に、
パパは「……流体力学。やっぱりジェイくんは天才だわぁ!」 と、
さらに感動して涙ぐんでしまう。
「立花さん。申し訳ありませんが、今日の取材はまたに。……
見ての通り、我が家の『嵐』が上陸してしまったので」
総一郎が、店の入り口で固まっていた立花に、苦渋に満ちた表情で頭を下げた。
「いえ、総一郎さん。これはこれで、とんでもないスクープの予感がしますけど……」
立花が引きつった笑顔で応える。
商店街の日常が、たった一台のリムジンと一人のパパによって、煌びやかで騒がしい混沌へと塗り替えられていく。
総一郎たちの「静かな隠れ家」を守る戦いは、身内という最強の敵を相手に、新たな幕を開けた。
「そこの君。……詮索して、適当な記事を出したらどうなるか。わかってるんだろうね」
先ほどまで「ジェイくーん!」と身悶えしていたパパの、ふにゃふにゃに崩れていた表情が一変した。
低く、地を這うような氷のトーン。向けられた視線には、世界を動かす巨大資本の頂点に立つ者だけが持つ、容赦のない「支配者」の光が宿っていた。
カメラを手に固まっていた立花は、その視線に射抜かれた瞬間、背筋に凍りつくような悪寒を感じ、思わず一歩後退りした。
それは、冗談でも比喩でもない。一族のプライバシーに触れる者を、文字通り「消す」ことすら厭わない冷徹な警告だった。
「脅すんじゃねぇ、おじさん!」
その凍りついた空気を打ち破ったのは、他でもないジェイドだった。彼は総一郎のパパの胸ぐら……とまではいかないが、その高級なシルクのネクタイをぐいと引っ張り、真剣な眼差しで睨みつけた。
「「ジェイドが叱ってる!!」」
店内の隅で固まっていたオタク君と、カウンターの陰に隠れていた梢の声が、奇跡のように重なった。
あの、自由奔放で毒舌で、いつも総一郎にたしなめられている「末っ子
」ポジションのジェイドが、あの恐ろしいオーラを放つパパを真っ正面から叱りつけている。
「……ジェイくん、おじさんはただ、二人の身を守ろうと……そんなことよりパパって呼んで―」
「関係ないだろ! 記事を書くのは立花さんの仕事だ。それに、僕たちがここで何をして、誰と出会うかは僕たちが決める。おじさんの『力』でねじ伏せるような真似をするなら、僕も、総一郎も、二度とおじさんと口を聞かないからな!」
ジェイドの真っ直ぐな言葉に、パパは先ほどの冷徹な仮面がどこかに吹っ飛んでいった。
「そんなぁ、嫌だよぉ!」
と再び崩れ落ちた。
「……お父様。ジェイドの言う通りです。あなたのその『配慮』が、僕たちの静けさを壊してしまうんです」
総一郎が静かに、けれど断固とした口調で付け加える。
「……わかったよぉ。パパ、我慢する」
最強の「嵐」は、ジェイドという意外な防波堤によって、再び甘すぎる親バカの風へと姿を変えた。立花は冷や汗を拭いながら、
「……命拾いした」と小さく呟き、
興味深そうに手帳に書き留めていた。
店内に響いたのは、一族の「法」を告げる冷徹な声だった。
「旦那さま。お時間です」
漆黒のスーツを隙なく着こなした執事が、時計の針を見つめながら告げる。
「ええ〜。やだ〜。ね〜。ちょっとだけ〜。ジェイくんとお買い物するのぉ!」
カウンターにしがみつき、ブルーの瞳を潤ませて駄々をこねるパパ。しかし、執事の眼差しに慈悲はない。
「お連れしなさい」
執事が静かに命じると、背後に控えていた大柄なボディガード二人が、巨大な岩を持ち上げるかのような手際でパパの両脇を抱え上げた。
「あああぁーっ! 離して! そうちゃん! ジェイくーん! パパを捨てないでぇー!」
泣き叫び、もがくブルーの瞳の紳士は、そのまま有無を言わさず店外のリムジンへと連行されていく。
嵐が去るようなその速さに、梢とオタク君は口を開けて固まるしかなかった。
「総一郎様、お元気そうで何よりでございます。予定が詰まっておりますので、旦那様をお連れいたします」
静まり返った店内で、執事が総一郎に向かって深く、完璧な角度でお辞儀をした。
その礼儀正しさこそが、彼らを引き戻そうとする一族の「正しさ」という名
の圧力でもある。
「そ、そうしてくれると助かるよ……。すまないね」
総一郎は疲弊しきった様子で、こめかみを押さえた。
「やっと静かになったな……。おじさん、パワーがありすぎるんだよ」
ジェイドが椅子の背もたれに深く体重を預け、ようやく毒を吐く余裕を取り戻す。




