第12話「賑わいは、最高の隠し味」
香織が去ったあとの、心地よい静寂が残るブースで
「あー、もう限界! オーナー、パーっと打ち上げしようぜ! このままじゃ僕の脳細胞がエネルギー不足で死滅する!」
ジェイドがブースの椅子に突っ伏したまま、やけに芝居がかった声で叫んだ。
その言葉を合図にしたように、片付けを終えたばかりの梢とオタク君も、期待と緊張が入り混じった表情で総一郎を見る。
「……そうですね。今日は皆さんの尽力に助けられました。特別な夜にしましょう」
総一郎が優雅にエプロンを解くと、どこからともなく冷えたシャンパン――ではなく、最高級の微炭酸水と、今日のために熟成を止めておいた「秘蔵のチーズ」が運び出された。
「うわぁ……これ、さっきのとはまた香りが違いますね」
梢が目を輝かせる。
そこにあるのは、バルの喧騒では出せなかった、一滴の雑味もない「静寂の味」を湛えたチーズたちだ。
「さあ、座ってください。梢さん、翔君、立花さんも。……あ、立花さんはもう仕事の顔じゃないですね?」
「はは、今はただの腹ペコな男ですよ。いやぁ、この瞬間のために生きてるって感じです!」
立花がカメラを置き、無邪気に笑う。
総一郎が手際よく、余った食材と極上のラクレットを組み合わせ、即興の「打ち上げプレート」を完成させていく。
熱々のチーズが具材の上でとろけ、香ばしい香りがブースを包み込む。
「かんぱーい!」 ジェイドの音頭で、不揃いな五人のグラスが触れ合った。
大富豪の末裔、天才科学者、救われた少女、不器用な青年、そして敏腕ライター。
本来なら交わるはずのなかった線が、一皿のチーズを通じて強固な円を描いていく。
「……孤独は旨味、か。オーナー、たまにはこういう『賑やかな旨味』も悪くないね」
ジェイドが口いっぱいにチーズを頬張りながら、不敵に笑う。総一郎はその様子を静かに見つめ、自身のグラスを傾けた。
「ええ。最高の隠し味は、どうやら『仲間』だったようです」
バルの夜が更けていく。商店街の片隅で灯る黄金の光は、明日への希望を溶かし込みながら、いつまでも温かく揺れていた。
◆◆◆◆◆
ストリート・バルの狂乱から数日。商店街にはいつもの穏やかな時間が戻っていた。
「Le Fondue」の店内では、ジェイドが文句を垂れながらも丁寧に床を磨き、総一郎は奥の貯蔵庫でチーズの状態を確認している。
そんな日常を切り裂いたのは、路地の石畳に響く重厚なエンジン音だった。
往来する人々が、思わず足を止め、そして二度見する。
商店街の道幅にはあまりに不釣り合いな、漆黒に輝く超高級リムジンが店の前に横付けされたのだ。
助手席から降りてきたのは、仕立てのいいスーツに身を包んだ、いかにも「堅気ではない」凄みを感じさせる強面の男たち。
彼らが恭しく後部座席のドアを開けた瞬間、通りには緊張が走った。
――カランカラン。
乾いたドアベルの音が響き、ジェイドが警戒心も露わに顔を上げた。その刹那、リムジンから降りてきた人物が、弾丸のような速さでカウンターの中へと飛び込んできた。
「ジェイくーん! 元気にしてたぁ〜!? おじさん、チョー寂しかったよぉぉー!」
「あ、ちょ、待っ……わー! オーナー! オーナー!」
「総一郎!!」
ジェイドが、まるでぬいぐるみのようにもみくちゃに抱きしめられる。
その人物——総一郎の父である。
強面な護衛たちの中心で、一人だけ別次元のキラキラしたオーラを放ちながら、ジェイドの頬に自分の顔をすり寄せていた。
「ジェイド。お店ではオーナーと呼ぶように伝えていたでしょう」
騒ぎを聞きつけ、奥の厨房から姿を現した総一郎の足が、ぴたりと止まった。
視線の先にいるのは、溺愛するジェイドを離そうとしない、あまりにも見慣れた、そして今は一番会いたくなかった人物。
「お、お父様……!」
「総ちゃんもジェイくんも、黙って家を飛び出しちゃうんだもん! 2人に会えなくてパパ、もう夜も眠れなかったんだから! おじい様と会いたくないからって、パパにまで黙って日本に行くなんて……ひどい、ひどすぎるよぉ!」
先ほどまでの高級車の威圧感をよそに、総一郎の父はカウンターに突っ伏して、子供のようにわんわんと泣き真似を始めた。
その光景を、皿洗いの手伝いに来ていたオタク君と、開店準備をしていた梢が、石化したような表情で見つめている。
「え……オーナーのお父さん……?」
「っていうか、家出だったんですか……?」
梢の素朴な疑問が、静まり返った店内に虚しく響く。
総一郎は片手で顔を覆い、深い溜息をついた。かつて異国の宮廷でその名を轟かせた大富豪の嫡男と、天才科学者。
彼らが日本、それもこの古き良き商店街に潜伏していた本当の理由は、「世界一過保護な父親」と「厳格すぎる祖父」からの逃避行という、あまりに人間臭い親子喧嘩だった。




