春の手前
雪の降る日が少なくなり、虎の仔たちは母虎の半分ほどの大きさまで育っていた。ベッドは仔虎と寝るには狭すぎ、マユは虎たちの脇にマットレスを敷いてそこで眠るようになっていた。
「マユよ、そろそろ森へ帰ろうと思う」
「うん」
ゆったりと横になっているアレグリアのお腹にもたれ、マユの太股の辺りを枕にしてゴロゴロしている仔虎の耳をモフりながら、マユは寂しくなっていた。
「我と連れ合いは、ここより東の人間が魔の森と呼ぶ場所に住んでおった。
連れ合いは風と呼ばれる立派な虎であったが、遂に天寿が尽きる時が来た。
我は望んで、最後の子を授けてもらった。それがこの子たちだ」
「うん」
「マユのおかげで、最後の風虎の子を無事に育てることができるようだ」
「うん、大きくなったよね」
アレグリアは、マユの頬をペロリと舐めた。
「風虎の地へ、子を連れて帰る」
「うん」
「風虎の地からヒトの地の間に、大きな泉が湧いての」
「え?」
「その泉を目指して来るがよい。その先が我らの地だ」
「あ、あ、アレグリア、そこって、つい最近できた円くて大きな?」
「ああ、そうだ。風虎を送り、子を産む場所を探しているときに見つけた」
「ああ~~。アレグリア、そこ、ってっか、その泉。
私が最初に神さまに送り込まれたところだよ、多分。
泉はね、あの大きな木を運ぶときにできたの」
「おお、あの神樹が。マユ、おまえ神樹を移したのか」
「え?あれって神樹なの? ごめん、ぜんぜん知らなかった。
あれは神さまがくれたの。なんてっか、木に祈ると私の心の力を形にしてくれるの」
「ほう。
神樹はマユを守っておる。樹に寄れば、遠い世界からただひとりここに来たマユを包むように守っているのがわかるぞ」
「そう、だったの」
あの、出血大サービス? 大放出サービス? 神さまの最終秘密兵器、イメージ具現化ツールが……まさかの神樹……
マユはアレグリアのしっぽを撫でながらしばらく放心していた。目が虚ろになりかける。
「し、神樹、元の場所にお返ししたほうがいい?」
「ああ、そうだな」
「勝手に動かしちゃって、悪かった?」
「動かして悪いものなら動かすことなどできぬよ。
それでもいい、ということであろう」
「う~ん、そうなのか。う~ん」
神樹。イマイチ納得できない~。
「そうだ、マユよ。子らが、マユと絆を結びたいと言うておるが、名を与えぬか。
まだ幼いゆえ、絆を結ばねば話もできぬゆえ」
「ええ~~、いいの?いいの?」
仔虎たちがマユに近寄り、左右の腕に頭を擦りつけてきた。
うわー。マユの頭は沸騰しかけていた。嬉しすぎる。気が付いたら溢れてきた涙を仔虎たちが両方から舐めていた。
「うん。ありがとう」
ふたつの頭を両方の腕で抱きかかえたが、仔虎たちは苦しがって頭を抜いてしまった。
「ごめん、興奮しちゃった。
あのね、ありがとう。これからすっごくいい名前を考えちゃう。ちょっと待ってて。
ほんと、嬉しい。ありがとう」
マユはアレグリアの首に抱き着き、仔虎に両方から舐められ、至上の幸福ってコレカモとか、幸せ気分を満喫した。
そのあと急いで世界樹 (かも)改め神樹 (なのか?)にMPを込めて、「商品名に悩むあなたに:世界名詞辞典」を実らせた。
イマイチ締まらない……
虎たちとの別れの日が来た。この近くではもう十分な獲物が得られなくなっている。狩りすぎると人間の分がなくなってしまうから、とアレグリアは言う。
「名前だけど」
「うむ」
「男の子は、ヴィエント。お父さんが風っていうのでしょ? ヴィエントは元の世界の言葉のひとつで、風という意味なの。
女の子はジェマ。宝石っていう意味なんだけど、きれいなものとか大切なものってつもりなんだ」
ヴィエントが右の二の腕に、ジェマが左の二の腕に軽く爪を立て、マユの血を舐める。
マユの頭の中に、少年の声が入ってきた。
「マユ姉、ヴィエント、ありがとう」
すぐに少女の甘い声が追いかけてきた。
「ねえさん、ジェマよ。ねえさんこそ私たちの大切なものよ。ありがとう」
両方から肩に手を掛けられ、支えきれずに膝をついてしまった。頬をざらざらとした舌が舐める。
すでに自分より大きな弟と妹に両方の腕を回し、お返しに鼻の頭をちょんと舐めてみた。くすぐったそうにしていたが、ヴィエントもジェマも嬉しそうだ。
「それではマユ。また会おう」
「マユ姉、またね」
「ねえさん、元気で」
虎たちの後ろ姿はすぐに針葉樹の森に紛れてしまった。
そうだ、アカザ村の仕事は間もなく終わる。師匠たちに挨拶をして、始めの場所に戻ろう。
そう思いながら虎たちの寝床を片づけた。
風よけ室も、もういらなくなった。
テーブルやカウチを元の場所に出しながら、いつの間にかこの異世界で2年目に入っていたのに、虎たちとの毎日が楽しくて、気づかずにいたことに驚いた。
ああ、またひとりになってしまったなぁ。
そう思いながらトニオとマリオ、そして自分、3人分のランチを作っていたら、ランチを作る相手がいること、痛風の治療をしている患者もいることを思い出した。




