04-4
彼は再びその口元へカードを持ってゆき、頬を膨らませ、尖らせたくちびるで息を吹きかける。
ふうっ!
「……ん?」
火のように派手な〈何か〉が飛び出す事はなかった。
――何? どう言う事っ?
嫌な感じは胸いっぱいに、はちきれんばかりに広がっている。
だが、よく見えない。
――よく見えない……?
よく、と言う事は、もしかして見えているのか? 自分は。
――落ち着け、冷静になれ。あのカードから何が吹き出したって?
どくん・どくん。鼓動が重苦しくて吐きそうだ。
貴堂は自分の目が、瞳孔の収縮を開始したのが分かった。
ムービーカメラがヒュッ! と被写体にフォーカスを合わせるのに似ている。
自分の体内のシステムが、勝手に動いているような感じ。
もう一度、彼が呼吸を整える。
すうっ、と息が吸い込まれるのがスローモーションのように見えた。
そして。
尖らせた口から息が吹き出す。
さぁ、その先だ。
カードの反対の面から、もっとゆっくり、一秒が何十秒にも感じられるような速度で、蛍光に光る黄緑色の、ウィルスより小さな〈何か〉が、空中にふんわりと飛び出してゆくのが見えた。
球体と球体を棒のような物で繋ぎ合わせた、立体の分子モデルだ。
それがともてとてもとてもたくさん集まると、物質になる。
フォーカスが狂っている。
そこまでズームアップしなくてもよかった。
これでは〈あれ〉の正体はよく分からない。
だが、分かった。
目に見えないほどの小さな物質を、焼き払った山に撒くと言う事は……自分達の植物を植え付けようとしているのだ。
他に答えは無い。
ならば、もしかして胞子?
だから焼いたのか。
先住の植物を排除して、自分達の植物に乗っ取らせる。
彼のしている事は、そう言う事だ。
考えてみれば単純な行動である。悪意に満ちているけれど。
ふわり、ふわり。
まだ空中に漂っている、軽い軽い、異国の情報を書き込まれた遺伝子を含んだ〈それ〉ら。
研究室からあのカードを通って出現したのかも知れないし、元々、あのカードに付着させていたのかも知れない、が。
――そんな事、どうでもいい。
――そんな事はさせない。絶対に。
――自分達の暮らす国は、自分達で守る。
精霊に異変が起きれば、人の精神にも異変が起きる。
櫛絽のように体調を崩す人だって居るだろう。
なぜ人はこんなにも自然が好きで、ことさら日本人は大好きで。
人間では無いモノ全てに神聖を見い出し、神も八百万……いやそれ以上に多く、分け隔てなく敬愛し、慈しんで来た。
時には畏れ、祀っても来た。
日本に生きる生命と、自然。
その関係は時が経ち、変化する事もあるだろう。
けれどそれは、外からの手に弄られて無理矢理変化させられるような事ではない。
そんなもの、受け入れてはならない。
人も精霊も、必ず苦しむ事になる。
他者からの支配、他国からの侵略。
それは、あってはならない事なのだ。
国境があり、テリトリーがある。
生まれ落ちると言う事は〈運命〉なのだ。
人は、国は、自立して、時と共に自発的に変化する。
それが自然な進化である。
歪さを、受け入れるわけにはいかない。
相手が強引に侵略すると言うのなら、迷わず戦う。
それが自分達の歴史と文化と魂を守る事。
誰かが助けてくれるわけじゃない。火の粉は自分で振り払うものなのだ。
経済戦争に巻き込まれ、苦労して来た日本の人々は疲れきっている。
そんなタイミングで、しかも食文化を侵した企業の更なる悪意に、穢されるわけにはいかない。
これ以上、この国を穢すと言うのなら、許すわけにはいかない。
地下から吹き出している水の〈質〉が変化したのが、分かった。
ふわっ、と霧状に変化して、これまで以上に広範囲へ広がってゆく。
草の一本、水の一滴。
本来ならば穢される事なく、自分達の国で平和に過ごせていたはずなのに。
人間は。
人間の欲と言うものは。
邪魔者を焼き殺してまで。
文化を踏みにじってまで。
陵辱してまで。
「そんな物、根付かせない。根付かせて……たまるか!」
水は、太陽の光や大地と共に、植物を育て行くものだ。
水分によって発芽し、空へ向かって伸びてゆく。
だが、この地下水はきっと許さない。
貴堂には――見える。
霧状になった水のひとつひとつが、異国の奇形遺伝子を含む物質を包み込んだ。
透明なゼリーの中に、黄緑色の物質が抱き込まれているのがハッキリと見える。
そして水は敵を飲み込んだまま、自らを振るわせ始めた。
まるでレンジの原理だ。どんどん、高熱になってゆく。
五十度、八十度、九十度……そして、百度を超えた時。
内包物と一緒に膨張・爆発した。
それが彼にも〈見えた〉のか。
少し険しい表情になり、彼は再びカードを吹いた。
しかし水は、それらがこの国に存在する事を許さない。
全てを包み込み、熱で壊し尽くす。
原子だか分子だかは粉々に砕け散り、もう二度と再び元には戻らないようだ。
水は周囲の火をあらかた消してしまい、辺りはだいぶ暗闇を取り戻している。
――んっ? もうひとり……?
カードを持つ腕を下げた彼の背後に、もうひとりの気配を感じた。
肉眼ではあまりよく分からなかったが、隠れていた人影が「ひゅう」と、息を大きく吸う音が聞こえる。
そして影は、何かを叫ぶ。
怒りを含む老人の声であった。
言葉はよく分からないが、とても威圧的で偉そうだ。
カードを持つ男に怒鳴っている。この状況に憤慨しているらしい。
ピルピルピロピロピ――♪
怒れる人物の方から、軽快な電子音が鳴り響いた。電話の着信のようである。
乱暴な動作で携帯電話を取り出した人影は、怒鳴りながら電話に出た。
その瞬間、である。
夜空に流星が何本も姿を現し、強烈な風がその場を吹き抜けた。
ただの風では無い。竜巻のような風だった。
密封されていた場所に、開くはずのない穴が空いて、突然空気が流れ込んで来たような、何とも不自然な風であった。
カードを持つ男が呆然とした表情で、こちらを見つめる。
呆然と言うより、驚き過ぎて毒気を抜かれたような顔に思えた。
彼が、老人に向かって小さく呟く。
数秒後、老人は更に激高した。
血管が切れそう、とはあのような事を言うのだろうか。
首にも筋を立て、金切り声で怒鳴っている。
顔をドス黒いまでに赤くして、ヒステリーだ。見苦しい。
ふたりの会話の中で、ひとつの単語が耳に流れ込んで来た。
――ラッキーチャイルド? 何それ。
何となく拾えたものは、それだけ。




