04-3
山の斜面の、火元と思われる付近の火は、もうかなり燻っていた。
周囲はギラギラと燃え続け、貴堂が頬に受ける熱量はかなり大きい。
「降ります」と言って姫君は、焼け跡に着地した。
結構な急斜面で、足下は悪い。バランスを取るのに少し注意が必要だった。
焦げ臭く、足下から上って来る空気はまだ熱い。
よく見れば、土に埋もれていそうな植物の先端に、まだほんの少しオレンジ色が灯っていた。
火は出ていないけれど、その身体は燃え続けているのだ。
煙が周辺に漂っている。
呼吸器にストレスを感じるが、化学物質が燃えた煙ではないからまだマシだ。と思う事にした。
「何で、こんな事……汚染遺伝子を撒くだけなら、何も焼き殺……さなくたって」
焼け跡が、熱い。こめかみ辺りから、汗が頬に流れ出す。
「それは、抵抗されたからだよ」
――えっ?
驚いて貴堂は振り向く。
そこには高校生くらいの、外国人の男が立っていた。
「今、何て」
何て言ったのだろう? 言葉が分からなかった。
英語、のような気がしたけれど。
「抵抗されたから、と言ってます」
貴堂の背後から姫君の声がした。
姫君には異国の言葉も分かるのか。
言語は人間の社会生活のツールでしかないのだから、言葉の内包している意味を感じられれば理解出来るのかも知れないけれど。
その男が口を動かすと、姫君の声が貴堂に解説してくれる。
曰く。
「どんなに踏みにじろうが決して諦めず、頭も垂れず、最後まで抵抗する姿勢が見えたから燃やしてやった。日本の国民と精霊が頑固なのは前回、食物流通を乗っ取る時に経験をした。農家も政治家も商工会さえ激しく抵抗してくれた。これはその時に手こずらせてくれた事への復讐なのだから、少々手荒い真似も仕方が無い……」
――か……勝手な事を!
「貴堂、あの火にも彼と同じ気配を感じます。あの火は彼の力が影響してます」
――そうでしょうとも。だって放水で消火出来ないなんて、普通じゃないからな!
彼はひらり、とその指先に白いカードを持ち、口でフッと息を吹きかけた。
カードの〈向こう〉から送り込まれた風が、その身に炎を纏って〈こちら〉へと出て来る。
オレンジ色の帯となり、貴堂達の胸元を舐めるように横切って行った。
コートの表面が、焦げた。
カードから空へ向け立ち上る炎はゆらゆらと、川に流れる帯のように風に靡いている。
その光を受け、彼の顔が照らし出された。
優しげなブラウン色の髪と瞳だった。
その表情には言葉ほどの暴力性は無く、狂気性も見えない。
大きく口を開けて嘲笑うでもなく、目を吊り上げて叫ぶのでもなく、何より下品な感じには見えなかった。
〈普通の人〉にしか見えない男が、身なりのいい服を着て立っているだけだ。
ただし、その指先には白いカードが有り、そこからこの世ならぬ炎が立ち上っている。
「消えない……あの炎は消えない。日本を苦しめるためだけの炎だから、人々が嘆き悲しんだ後、精霊の性質が凶悪に変化し、弱った人間を絶望に叩き込み、二度と立ち直れないまでに追い込まなければ……消せないのです……!」
「そこまで日本を恨むような事を、誰がしたんだ? 侵略して来たのはあっちなんだろ? あいつらなんだろうっ?」
自国を守る事がそんなにも悪い事なのか?
抵抗も許さず、この生命をさらけ出し、与えられた野菜に金を出し続ける奴隷に黙ってなれと?
焼かれた木々と、無数の草。そして、そこに息づいていた動物や虫達の生命。
日本の、生命。可愛い、生命。
――金のために。金のために。金のために。金のために!
腹の底から力が沸き上がって来る。
それが怒りなのか憎しみなのか、貴堂には分からない。
腹からの感情が低い唸り声となって、口から溢れ出る。
一度の呼吸だけでは治まらず、何度も息を吸って何度も声を出す。
耳から入って来る自分の声を聞き、頭のどこかが「獣みたいだな」と呟いた。
何度も唸って息を吸い直し、今度は腹から声を出す。
腹筋を振り絞って、声の限界まで叫んだ。
自分に、こんな声が出せるだなんて。
精霊達の死体の山を見たから?
日本がバカにされたから?
卑怯なビジネスに陵辱されるのが許せなくて?
分からない。分からない。
だが。
腹の底どころか地の底から震えているような感情に、貴堂は喉を解放するしかなかった。
絶叫して、絶叫して、絶叫して、し続けて。
酸素不足か、酸素過多か。よく分からないが、頭がクラクラとして意識が白くなりかけた、その時。
足下が強く、激しく揺れ始める。
心の遠い部分で「地震?」と呟いたのだけれど、それもよく分からなくなっていた。
周囲で四回くらいだろうか……爆発音のような、強烈な重低音が響いた。
耳から頭に振動が伝わって、震えが治まらないような激しい音である。
それと同じタイミングで身体に突如、何倍もの重力を感じた。
身体がクッ、と強張る。
そして、そのまま。
視界が見る見ると開けて行き、地面が、地上が、離れて行く。
――な……なにっ?
貴堂は自分の周囲がなぜ、こんなにも白く明るくなっているのか。すぐには分からなかった。
けれどさっきまでの、絶叫していた感情のエネルギーが嘘のように、腹から消えている。
――さ……寒いっ!
エネルギーが消えた反動で、冷たい外気をダイレクトに身に受ける。
だが、寒気の原因はそれだけではなかったのだ。
顔に流れるこれは、何だ?
汗にしては量が多いし、決して体温調節のためではないだろう。
真夏の湯船で半身浴しているレベルを超えている。
手に、衣服に、靴。全身が濡れているではないか。
――水っ?
放水車が山まで来たのか? いや、違う。
水は、そう。真下から。
貴堂の真下、から。
吹き上がっている。
自分の周囲が白くて明るいのは、水飛沫に囲まれているから。
驚き呆然と霧状の水を見つめていると、人々のざわめきが聞こえた。
え? と思って下を見ると、自分の居場所がかなり高い。
地面からの距離が、遠い。
ビルやマンションで言えば、地上十五階くらいはありそうな高さだった。
確か、親戚の自宅から見た景色がこれくらいの感じ、だったと思う。
特に高所恐怖症と言うわけではないが、さすがにゾッとする。
ここから落ちたら生命は無いし、自分を支えているのは……水だ。
噴水の天辺に乗っているのと同じなのだ。不安定にも程が有る。
「見ろ、火が消え始めたぞ……!」と、人々の叫び声が聞こえた。
見ると、自分が乗っているのと同じような水の柱が五本ほど空に向かって吹き出しており、そこから降り注ぐ水はかなりの量のようであった。
民家の方にも充分注がれている。
――地下水っ? でもこんな都合良く吹き出すかっ?
水の柱の中で一本だけ、うねりながら雲の高さまで達しているものがあった。
まるで生き物のようにぐねぐねと、太い胴体をくねらせて空に向かっている。
――消火出来るなら、いっか……でも、どうやって地面まで戻ろう?
もしかして水がある程度果てるまで、このままで居なければならないのか? 寒いし怖いし、冗談ではないのだが。
姫君に助けてもらえないだろうか。
――植物じゃなくて水、だからなぁ……カテゴリ違いだし、助けてもらうのは無理かも。
ビクビクしながら下を見ると、あの男が違うカードを胸ポケットから取り出すところだった。
火のカードは……見当たらない。
――山の火も消え始めてる、よかった。あんなえげつない火が広がったら、日本中が燃えてしまうかも知れないしなー。
だが、嫌な気持ちがした。
男が手にしている、新しいカードに対してだ。




