03-3
今はM310社の会長となったあの男、ハドリー・ワインバーグは「ラッキーチャイルドを探してくれないか」と言った。
リカードがスクールバスを降りてすぐ、彼が声をかけて来たのだ。
祖父の知り合いだと言われては無視も出来ない。
ふたりで自宅近くの商店街を歩く。
露天のフラワースタンドに、チラチラと精霊が見え隠れしている。季節の花を商う商人には、それらの姿が見えていないようだ。
焼きたてパンの香りがするコーヒーショップの傍には、ホームレスだった人の霊がぼうっと立っている。
その表情には感情が無かった。ただ、ショップの方を見て立っているだけだ。
あれは〈場所〉に焼き付いた〈記録〉なのかも知れないが、それが本当に過去の記憶なのか記録なのか、それとも空腹でどうしようもなく呆然としている〈霊〉なのか、リカードには分からないし、それを詮索する必要もなかった。
「ああ、お菓子屋さんがあるね。キャンディを買ってあげようか」
「帰ったらニンジンのケーキが待っているから」と、リカードは申し出を断る。
「おじい様はあなたに、僕の事を話したのですか」
子供らしくない言い回しだった。
言葉は慎重に選べ、と何度も言い聞かされた。
人に嫌われるのも、疑惑を持たれるのも、自分の対応ひとつにかかっているのだと。
その意味はまだよく分からない頃だったが、自分を大切に育ててくれた祖父が教えてくれているのだから、間違いはないだろう。
言葉を覚えるために、本を読みなさい。
自分の気持ちや伝えたい事を代弁してくれる記号である、言葉を覚えなさい。
人の会話に耳を傾け、どのように接すればいいのか、勉強しなさい。
上辺だけの言葉を言う人がいる。
表情を読みなさい、声のトーンを読みなさい、普段の行いを観察しなさい――。
「そうだよ。私達はハイスクールで知り合い、友達になったんだ。彼は星を見るのが好きで、大学生になっても、よく星座や神話や運命の話をしてくれたよ。そして私のホロスコープも書いてくれた。私が生まれた場所と時間を告げると、彼はおもむろに緯度や経度を計り始め、幾つかの重要な星の位置を割り出して……足し算や引き算の数式が書き込まれ続け、その紙はあっと言う間に黒くなっていったけれど、それを眺めるのはとても楽しかった。出来上がったホロスコープを見て、彼は私に言うんだ。『きみは凄いよハドリー! 理系の才能があって、しかも抜群のビジネスセンスがある。将来、この国を牽引出来る大企業のトップに立てるだろう!』ってね。煽てに乗せられた私は、上昇志向のまま今日までやって来た。……いや、先月末までと言うべきだろうか」
と言う事は、彼は〈何か〉に躓いたのだ。
そこでラッキーチャイルドなんて物にあやかりたくなった、と言う事だろう。
「リカード。きみは、ホロスコープは読めるのかい?」
「基本的な事しかまだ理解していません」
「おお、凄い。私はね、結構詳しく教えてもらった事もあったけれど、サッパリだったよ、はははは。……近頃は彼との楽しかった頃の事をよく思い出して、とても懐かしくなる。私も年なんだろうねぇ」
ハドリーの表情を見たリカードの頭に〈ノスタルジア〉と言う単語が浮かんだ。
「ラッキーチャイルドとはね、傍に居ればそれだけで人を幸せにしてくれる。そう言う存在らしいんだ。人を助ける星を、ホロスコープに持っているのだと説明してくれた。まるでアンソニーの事みたいだろう?」
古い友人を亡くしてしまう寂しさは、リカードには分からない。
けれど、アンソニー・オルムステッド――と言う名の個人を失ってしまったと言う事においては、同じなのだ。
彼と自分は。
そう考えた時、リカードの心が動いた。
動いて、しまった。
幼い子供の心の、ほんの小さなゆらぎであった。
けれどそれは後に、世界各国の食料事情を左右してしまう、とても重大な一瞬でもあったのだ。
ラッキーチャイルドを手に入れたハドリー・ワインバーグの野心は次々と目覚め、アグリビジネスを地球規模の奴隷ビジネスへと塗り替えてゆく。
〈悪魔の種子〉が全世界を汚染する、不吉な未来が決まった瞬間の出来事であった。
その時からハドリー・ワインバーグは、リカードに投資をしてくれた。
学費も、祖母との生活費も出してくれていたのだ。
金銭的な援助を祖母は何度も断ったのだが、ハドリーは強引に援助を続けた。
おかげで、ふたりの生活は余裕があった。
祖母が金策をせずに済んだ。祖父の貯金も切り崩さなくてよかったのである。
だがリカードにとって何より有り難かったのは、祖母が亡くなる時に安心していた事だ。
祖母はリカードをひとりにしなくて済む、と、祖父の古い友人でもあったハドリーを信頼したまま亡くなった。
祖母が亡くなった時、リカードはまだジュニアスクールに在籍していた。
両親に捨てられたリカードにとって祖母は最後の、たったひとりの家族だった。
その祖母が安心出来た事だけは、ハドリーに心から感謝している。
「一緒に暮らすのは窮屈だろうから」とアパートメントを借りてくれて、リカードは現在、そこで暮らしている。
学校へも通わせてもらっている。
来年、ハイスクールを卒業だ。
ここまでしてもらって、ただで世話になるわけにはいかなかった。
自分の出来る範囲の事で、ハドリーの要求に応えるしかない。
ラッキーチャイルドを探すため、幼いリカードはオカルティックな世界に足を踏み入れるしかなかった。
それと同時にハドリーは、リカードを片腕として扱い始める。
最初は「小遣い稼ぎに掃除でもしにおいで」と言われ、会社に出入りするようになった。
学生生活の傍らオカルト文献を読みあさるリカードに、そのうち、極秘相談が持ち込まれるようになる。
ライバルの情勢や、取り入ろうとしている政治家の弱点や好みの女性像までをも訪ねられるようになってしまった。
合衆国政府にさえ、オカルティストのアドバイザーが居るのは周知の事実だ。
リカードもそれくらいは知っていたが、自分にその役目が回って来るとは思いもしなかった。
リカードは自分が世間知らずの学生である、と何度も念を押した上で、彼の質問に答えて来た。
もちろん全て、オカルト的な見知からの回答であった。
頼りにしている政治家を選挙で勝たせるため、この世ならぬ者の力を利用した事もある。
そこまでしてリカードは、手を汚して来た。
ハドリーのために。
ハドリー自身も随分、汚れたと思う。
出会った頃の表情とはもう、全然違っている。
普通は自分の望みが達成されるたび、嬉しさや喜びの方へと心は揺れるものだが。
ハドリーに限らず、強欲な人は逆に、卑しい表情になってゆく。
今のハドリーは、マフィアに見えなくもない。
祖母が臨終で今のハドリーを見ていれば、決して安心など出来なかっただろう。
それくらい険しくなってしまっていた。
表と裏。
様々な策略でライバルを始末した彼は、いつの間にか〈会長〉の座を手に入れてしまっていた。




