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第5話 今日から君はクロ!


 ミレアの冒険者ギルド。


 静まり返った室内に、低い唸り声が響いていた。


「……グルル」


 ギルドの床に横たわっていたブラックウルフが、ゆっくりと身体を起こす。


「起きた……!」


 キラは思わず立ち上がった。


 ブラックウルフは傷だらけだった。


 毛には血が付着し、右前脚には深い傷がある。


 それでも、その瞳だけは鋭かった。


 黄金色の瞳が、まっすぐキラを捉える。


「……」


 キラは動かなかった。


 怖い。


 森で戦ったときよりも、ずっと怖い。


 あの鋭い牙で噛みつかれれば、今度こそ大怪我では済まない。


 それでも――


「大丈夫だよ」


 キラはゆっくりと手を伸ばした。


「もう戦わないから」


「グル……」


 ブラックウルフが唸る。


 リナが慌ててキラの前に立った。


「キラ、危ない!」


「大丈夫」


「でも!」


「……この子は、僕を襲いたいわけじゃないと思う」


 キラはブラックウルフの目を見つめた。


「僕たちが怖かっただけだよ」


「……」


 リナは少し迷ってから、キラの横に戻った。


「分かった。でも、危なくなったら私が守るから」


「ありがとう」


 その会話を聞いていた受付嬢が、小さくため息をついた。


「本当に変な子ですね……」


 そして、ギルドの奥にいる老人へ視線を向ける。


「グレンさん。どうしますか?」


 老人――グレンは、腕を組んでブラックウルフを見つめていた。


「この傷では、しばらくまともに動けんだろう」


「治療は?」


「薬草を使えば助かる」


 キラがすぐに尋ねた。


「お願いします!」


「……お前が払うのか?」


「……」


 キラの顔が固まった。


 お金。


 もちろん持っていない。


「……お金、ないです」


「だろうな」


 グレンは苦笑した。


「冒険者になったばかりの十歳の子供が、金貨を持っていたら逆に怖い」


「じゃあ……どうすれば」


「薬草を採ってこい」


「え?」


「ギルドの依頼だ」


 グレンが一枚の紙を取り出した。


「北の森に生えている《月光草》を三本。採ってくれば治療費の代わりにしてやる」


「僕、行きます!」


 キラは即答した。


 リナが呆れたように笑う。


「……本当に迷わないんだね」


「だって、仲間だから」


「仲間……」


 リナが小さく呟いた。


 その言葉を聞いたブラックウルフの耳が、僅かに動いた。


-----


 翌朝。


 キラたちは再び北の森へ向かった。


 今回は、昨日とは違う。


 リナがいる。


 そして――


 ソラもいる。


「キラ、月光草ってどんな草なの?」


「えっと……」


 キラは依頼書を見る。


「白い花で、夜になると月みたいに光るって」


「じゃあ夜に探すの?」


「ううん。昼でも葉っぱが少し光ってるらしい」


「なるほど」


 リナが頷く。


 キラの肩ではソラがぷるぷる揺れている。


「ソラも探してくれる?」


「ぷる!」


 ソラが地面へ飛び降りた。


「よし。じゃあ三人で探そう」


 リナが笑う。


「三人?」


「え?」


「私もいるでしょ」


「あ……」


 キラは少し恥ずかしそうに笑った。


「うん。三人だね」


「もう……」


 リナは頬を少し膨らませた。


-----


 森の中を進む。


 昨日ブラックウルフと戦った場所を通り過ぎる。


 キラは足を止めた。


「ここ……」


「昨日の場所?」


「うん」


 地面には、まだ戦闘の跡が残っている。


 折れた木。


 えぐれた地面。


 そして――


「月光草、あった!」


 リナが指を差した。


 木の根元。


 白く淡い光を放つ小さな花が三本。


「これだ!」


 キラはしゃがみ込む。


 しかし、その瞬間。


「待って!」


 リナがキラの腕を掴んだ。


「え?」


「……何かいる」


 リナの獣耳がピクリと動く。


「右」


 ガサッ。


 草むらが揺れた。


 キラは枝を構える。


「また魔物?」


「うん。でも……」


 リナが鼻を動かす。


「一匹じゃない」


 次の瞬間。


 四方から魔物が飛び出してきた。


「ゴブリン!」


「五匹いる!」


 キラは後ろへ下がる。


 昨日より多い。


 しかも、今回はリナがいる。


「リナ、僕が前に――」


「駄目」


「え?」


 リナは腰を落とした。


「今度は私が前に出る」


 次の瞬間。


 リナの姿が消えた。


「えっ!?」


 ドンッ!


 一匹のゴブリンが吹き飛ぶ。


 リナがその前に立っていた。


「……速い」


 獣人の身体能力。


 キラとは比べ物にならない。


「キラ、右!」


「分かった!」


 キラが振り向く。


 ゴブリンが棍棒を振り下ろす。


 キラは身体を横へ滑らせた。


 《俊足》。


 ブラックウルフから取得した能力。


 昨日より、明らかに速い。


「今度は……!」


 キラはゴブリンの懐へ入り込む。


「たあっ!」


 木の枝を叩き込む。


「ギャッ!」


 ゴブリンが倒れる。


「できた……!」


 自分でも驚いた。


 《俊足》を使えば、十歳のキラでも戦える。


「キラ!」


「うん!」


 ソラがゴブリンの足へ飛びつく。


 ぷよん!


「グギッ!?」


 足を取られたゴブリンが転倒する。


 そこへリナが飛び込む。


「終わり!」


 ドンッ!


 三匹目が倒れる。


 残った二匹は恐怖したように逃げていった。


「……終わった?」


「うん」


 リナが頷く。


「キラ、強くなってる」


「そうかな?」


「昨日よりずっと速い」


 キラは自分の手を見る。


「……《俊足》のおかげだよ」


 ブラックウルフから受け取った力。


 その名前を思い出した瞬間だった。


「……あの子、大丈夫かな」


 キラの顔が曇る。


 ギルドで眠っているブラックウルフ。


 まだ名前すらない。


 キラは少しだけ心配になった。


-----


 月光草を採取し、町へ戻る。


 ギルドに戻ると、受付嬢が駆け寄ってきた。


「おかえりなさい!」


「月光草、三本です」


「ありがとうございます!」


 受付嬢はすぐに薬師へ渡す。


 しばらくすると、ブラックウルフの治療が始まった。


 薬草を傷口に塗り、包帯を巻く。


 ブラックウルフは大人しくしていた。


「これで命は助かります」


「よかった……」


 キラは胸を撫で下ろした。


 だが。


「ただし、まだ完全には治っていません」


「どのくらい?」


「数日です」


「分かりました」


 キラはブラックウルフのそばに座った。


「早く元気になってね」


「……グル」


 ブラックウルフは目を閉じた。


-----


 その夜。


 ギルドの裏庭。


 キラは一人で空を見上げていた。


 リナは宿の部屋で眠っている。


 ソラもキラの隣で丸くなっている。


「……綺麗だな」


 夜空には、たくさんの星が浮かんでいる。


 王都にいた頃。


 キラはこんなにゆっくり空を見たことがなかった。


 いつも仕事。


 掃除。


 怒られる。


 眠る。


 また朝。


 そんな毎日だった。


「……今のほうが、いいかもしれない」


 寂しくないわけじゃない。


 怖くないわけでもない。


 でも。


「ソラがいる」


「ぷる……」


「リナもいる」


 そして――


「ブラックウルフも」


 そのとき。


「……グル」


「え?」


 振り返る。


 そこにはブラックウルフが立っていた。


「まだ寝てなきゃ駄目だよ!」


「グル……」


 ブラックウルフはゆっくり歩いてくる。


 そしてキラの前で止まった。


 キラはしゃがむ。


「どうしたの?」


 ブラックウルフが頭を下げた。


「……?」


 そして。


 キラの手に鼻先を押しつける。


「……!」


 温かい。


 キラはそっと頭を撫でた。


「怖くないの?」


「グル……」


「僕も怖かったよ」


 ブラックウルフの耳が動く。


「僕も一人だった」


 キラは笑った。


「だから……君も一人なら、一緒にいようよ」


 ブラックウルフがキラを見る。


 長い沈黙。


 そして――


「……ワフ」


 小さな声だった。


 キラの目の前に文字が浮かぶ。


> 《万象共鳴》が反応しました。




> 対象:ブラックウルフ




> 対象の警戒心が低下しました。




> 対象があなたを信頼し始めています。




 キラは息を呑んだ。


 そして、さらに。


> 対象から名前を求められています。




「名前……?」


 キラはブラックウルフを見る。


「そうだね」


 少し考える。


 真っ黒な毛。


 黄金色の瞳。


 そして――


 自分を何度も助けてくれた存在。


「……クロ」


「グル?」


「黒いから、クロ」


 ブラックウルフは少し首を傾げる。


「嫌?」


「……ワフ!」


 尻尾が一度だけ振られた。


「気に入った?」


「ワフ!」


「そっか」


 キラは笑った。


「じゃあ、今日から君はクロだ」


 その瞬間。


 空気が変わった。


 キラの身体から青白い光が溢れ出す。


「え……?」


 ソラも驚いて飛び上がる。


「ぷる!?」


 クロの身体も光に包まれる。


> 対象:ブラックウルフ




> 個体名:クロ




> 信頼度:一定値を突破。




> テイム条件を達成しました。




 キラは目を見開いた。


「テイム……」


 そして最後の文字。


> 《万象共鳴》により、契約を開始します。




「……クロ」


 キラが手を伸ばす。


「僕と一緒に来てくれる?」


 クロは迷わなかった。


 キラの手に頭を擦りつける。


> ――契約成立。




 光が弾けた。


 キラの身体に、強烈な力が流れ込んでくる。


「うっ……!」


 頭の中に大量の情報が流れ込む。


 視覚。


 嗅覚。


 聴覚。


 筋肉。


 魔力。


 そして――


> 《俊足》




> 《夜目》




> 《嗅覚強化》




> 《威圧》




> 《身体強化》




「こんなに……!」


 キラは驚いた。


 これまで一つしか能力を得られなかった。


 でもクロからは複数の能力がある。


 そして。


> 《万象共鳴》が能力統合を開始します。




「能力統合?」


> 既存スキル《俊足》を確認。




> 新規スキル《身体強化》を確認。




> 融合条件――達成。




「待って……!」


 文字が変わる。


> 《俊足》+《身体強化》




> ――スキル進化。




> 《高速身体強化》を獲得しました。




「……!」


 キラは自分の身体を見る。


 何かが変わった。


 今までよりもずっと身体が軽い。


「これが……スキル進化」


 最初にソラからもらった《自己再生》。


 クロからもらった《俊足》。


 そして今。


 能力同士が組み合わさって、新しい力になった。


「……すごい」


 キラの胸が高鳴った。


 自分のスキル。


 《万象共鳴》。


 父親は「役に立たない」と言った。


 王宮の鑑定士も「測定不能」としか判断できなかった。


 でも。


 これは――


 ただ能力をもらうだけのスキルじゃない。


「もっと……知りたい」


 キラは拳を握った。


「この力のことを、もっと知りたい」


 その横で。


 クロが空を見上げていた。


 その黄金色の瞳が、一瞬だけ赤く光る。


 しかしキラは気づかなかった。


-----


 翌朝。


「キラァァァァ!」


「うわっ!」


 宿の部屋から、リナの声が響いた。


「どこに行ってたの!?」


「えっと……」


 キラが振り返る。


 その隣にはクロ。


「……」


 リナが固まった。


「……その狼、何?」


「クロ」


「クロ?」


「昨日のブラックウルフ」


「……」


 リナがキラを見る。


 次にクロを見る。


 もう一度キラを見る。


「……テイムしたの?」


「うん」


「……いつの間に?」


「昨日の夜」


「私が寝てる間に!?」


「うん」


「……」


 リナが頭を抱える。


「キラ……」


「なに?」


「あなた、本当に普通の十歳じゃないよ」


「そうかな?」


「そうだよ!」


 ソラが横で、


「ぷるぷる!」


 と笑うように跳ねた。


 クロも、


「ワフ」


 と鳴く。


「ほら! ソラまで!」


 リナが頬を膨らませる。


 キラは笑った。


 昨日まで一人だった。


 でも今は――


 隣にソラ。


 そしてクロ。


 少し離れた場所にはリナ。


 たった数日で、自分の世界は大きく変わっていた。


「じゃあ、今日はどうする?」


 リナが尋ねる。


「まず冒険者として依頼を受けよう」


 キラは答えた。


「そして、もっと強くなる」


「どうして?」


 キラは少しだけ考えた。


 そして、まっすぐ前を見る。


「いつか……父さんに、僕が無能じゃなかったって証明したい」


 リナは何も言わなかった。


 ただ。


「……うん」


 静かに頷いた。


 そしてキラたちは、次の依頼を探すため冒険者ギルドへ向かった。


-----


 同じ頃。


 王都――王宮。


「陛下」


 玉座の前に、一人の魔法士が跪いていた。


「例の少年について、報告があります」


 王は興味なさそうに尋ねる。


「例の少年?」


「先日、王都から追放されたアルヴェイン家の子供です」


「ああ……あの無能なテイマーか」


「はい」


 魔法士は震える声で続けた。


「王都の古代魔道具が……再び反応しました」


 王の眉が動く。


「何だと?」


「表示された名前は――」


 魔法士は顔を上げた。


「《万象共鳴》」


 王宮の空気が凍りついた。


「……」


「千年前に存在した、伝説のテイマーと同じスキルです」


 王は立ち上がった。


「……馬鹿な」


「しかし――」


「鑑定では?」


「測定不能です」


 王はしばらく黙った。


 そして吐き捨てる。


「……くだらん」


 その言葉の裏で。


 王はまだ知らなかった。


 自分が追放した十歳の少年が。


 たった数日で――


世界に二匹と存在しないほどの魔物を、すでに仲間にしていることを。

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