第4話 角の生えた謎の少女
北の森へ向かう街道を、キラは一人と一匹で走っていた。
「はぁ……はぁ……!」
息が苦しい。
足も痛い。
昨日まで屋敷の掃除ばかりしていた十歳の少年にとって、森まで走るというのは簡単なことではなかった。
それでも、キラは止まらなかった。
「待ってて……!」
頭の中に、さっき聞いた言葉が何度も響いている。
――子供が一人、まだ森の中にいる。
それだけだった。
理由なんて、それだけで十分だった。
「ソラ!」
「ぷる!」
肩に乗っていたソラが、キラの前へ飛び出す。
ぷよん、ぷよん、と跳ねながら先へ進んでいく。
「分かるの?」
「ぷる!」
「よし……!」
キラはソラの後を追った。
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北の森。
町の近くにあるとは思えないほど、深い森だった。
木々は高く、昼間なのに地面には薄暗い影が落ちている。
鳥の声。
風で揺れる葉。
遠くから聞こえる獣の鳴き声。
「……怖いな」
キラは小さく呟いた。
昨日の森とは違う。
ここには、明らかに強い魔物がいる。
それでも足を止めなかった。
「ソラ、何か感じる?」
「……ぷる」
ソラが少し震えた。
「危険?」
「ぷる……」
キラは周囲を見回した。
そして、地面に何かを見つける。
「これ……」
血。
そして、折れた矢。
「さっきの人たちが通った跡だ」
キラはしゃがみ込み、地面を調べる。
小さな足跡。
大きな足跡。
そして――
「この足跡……」
普通の狼より大きい。
「魔物がいる」
キラは木の枝を拾った。
昨日ゴブリンと戦ったときに使ったものだ。
本当なら武器屋で何か買いたい。
でも、お金がない。
「ソラ」
「ぷる?」
「危なくなったら、すぐ逃げよう」
「ぷる!」
二人はさらに奥へ進んだ。
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しばらく歩いたところで――
「……聞こえる」
キラが立ち止まった。
「何か……泣いてる?」
風に乗って、小さな声が聞こえる。
「……誰か……」
女の子の声。
キラは急いで走った。
木々を抜けた先。
そこには、小さな岩場があった。
そして岩の隙間に――
一人の少女がいた。
「大丈夫!?」
「……!」
少女が顔を上げる。
キラと同じくらいの年齢。
いや、少し年上だろうか。
長い銀色の髪。
そして――
頭には小さな獣の耳があった。
「獣人……?」
少女は怯えた目でキラを見る。
「……来ないで」
「え?」
「逃げて……」
少女の足から血が流れている。
岩の向こう側には、大きな魔物がいた。
黒い毛。
鋭い牙。
赤い目。
「……ブラックウルフ」
キラは息を呑んだ。
ゴブリンとは比べ物にならない。
明らかに強い。
ブラックウルフがキラを睨む。
「グルル……」
「……」
足が震える。
怖い。
今すぐ逃げたい。
でも。
後ろには怪我をした少女がいる。
「大丈夫」
キラは少女に言った。
「僕が助ける」
「……あなた、子供でしょう?」
「うん」
「無理よ……」
「それでも」
キラは木の枝を握った。
「僕も昨日、一人だったから」
少女が目を見開く。
「だから……一人で怖がってる人を置いていけない」
ブラックウルフが飛びかかった。
「来る!」
キラは横へ飛んだ。
ドンッ!
爪が地面をえぐる。
「速い……!」
キラの心臓が激しく鳴る。
昨日のゴブリンとは違う。
まともに戦ったら勝てない。
ブラックウルフが再び飛びかかる。
「ソラ!」
「ぷる!」
ソラが飛び出す。
ブラックウルフの顔に張り付いた。
「グガッ!?」
「今だ!」
キラが走る。
木の枝を両手で握り――
ガンッ!
ブラックウルフの脚を叩く。
「グルァ!」
ブラックウルフがソラを振り落とす。
「ソラ!」
キラは慌ててソラを抱き上げる。
「大丈夫?」
「ぷる……」
「よかった」
ブラックウルフがこちらを睨む。
今度は怒りに満ちている。
「まずい……」
キラの身体が震える。
でも、ここで逃げたら少女が襲われる。
どうする?
どうすればいい?
その瞬間。
頭の中に昨日の文字が浮かんだ。
――《能力共有》。
「……そうだ」
キラはソラを見る。
「ソラの能力……!」
目の前に文字が浮かぶ。
«《万象共鳴》
テイム対象:ソラ
共有可能能力
・《自己再生》
・《吸収》
・《物理耐性》»
「物理耐性……」
キラは選択する。
«《物理耐性》を共有しますか?»
「はい!」
光がキラの身体を包んだ。
「……!」
身体の表面が少しだけ柔らかくなる。
ブラックウルフが突進してきた。
キラは逃げなかった。
「うわあああっ!」
牙が肩をかすめる。
ガリッ!
「痛っ!」
血が出る。
でも――
「……思ったより、痛くない」
キラは驚いた。
これなら戦える。
「ソラ!」
「ぷる!」
ソラが地面に落ちていた小石を身体に取り込む。
そしてブラックウルフへ飛びつく。
ブラックウルフがソラを噛もうとする。
その瞬間。
ソラの身体がぐにゃりと変形した。
「避けた……?」
キラは初めて気づいた。
スライムは単なる「柔らかい魔物」ではない。
身体の形を自由に変えられる。
「そうか……!」
キラは思いついた。
「ソラ! 僕が引きつける!」
「ぷる!」
キラが走る。
「こっちだ!」
ブラックウルフが追ってくる。
右へ。
左へ。
木の間を走る。
ブラックウルフの爪がキラの背中を狙う。
「っ!」
キラは転がって避ける。
そして叫んだ。
「今!」
ソラがブラックウルフの足元へ飛び込む。
身体を広げる。
ブラックウルフの足がソラに絡まった。
「グルッ!?」
ブラックウルフが転倒する。
「今だあああ!」
キラは拾った石を握り――
思い切りブラックウルフの頭へ叩きつけた。
ゴンッ!
「グ……」
ブラックウルフが動きを止める。
「……はぁ……」
キラはその場に座り込んだ。
「勝った……?」
ブラックウルフは気を失っている。
「勝った……!」
「ぷるー!」
ソラがキラの頭へ飛び乗る。
「よくやった!」
キラはソラを抱きしめた。
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「ありがとう……」
後ろから声がした。
キラが振り返る。
少女が岩場から出てきていた。
足を引きずっている。
「大丈夫?」
「……うん」
少女はキラを見る。
「どうして助けたの?」
「え?」
「私、獣人だよ」
「うん」
「人間は獣人を嫌うでしょう?」
キラは首を傾げた。
「そうなの?」
「……知らないの?」
「僕、友達がいなかったから」
少女は黙った。
「それに」
キラは笑う。
「君が困ってたから助けただけだよ」
「……」
少女の目に涙が浮かんだ。
「ありがとう」
その言葉に、キラの胸が少し温かくなった。
誰かから「ありがとう」と言われたのは――
いつ以来だろう。
「名前は?」
キラが尋ねる。
少女は少し迷ってから答えた。
「……リナ」
「僕はキラ」
「キラ……」
少女はその名前を口にした。
すると。
キラの目の前に、突然文字が浮かんだ。
«対象:獣人族
テイム可能条件を確認しました。»
「……え?」
キラは驚いた。
昨日から何度も見ている、不思議な文字。
しかし。
その下に表示された文字を見て、キラはさらに驚いた。
«対象の同意が必要です。»
「……」
キラはリナを見る。
そして思った。
テイムできる。
でも――
この子は魔物じゃない。
人間と同じように、意思がある。
だからキラは、何も言わなかった。
ただ一人の友達として、手を差し出した。
「町に戻ろう」
「……うん」
リナがその手を取る。
その瞬間。
キラの目の前に、また文字が浮かんだ。
«信頼度が一定値を超えました。
《万象共鳴》が反応しています。
対象との共鳴契約が可能です。»
キラはその文字を見つめた。
そして――
そっと消した。
「?」
リナが不思議そうにキラを見る。
「どうしたの?」
「ううん」
キラは笑った。
「なんでもない」
今はまだ。
この子を「能力を得るための相手」にはしたくなかった。
ただ――
友達になりたい。
それだけだった。
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町へ戻る途中。
キラたちは、倒したブラックウルフのそばを通った。
「この魔物……どうする?」
「ギルドに持っていけば素材として買い取ってくれると思う」
「そうなんだ」
キラがブラックウルフに近づく。
すると――
«《万象共鳴》が反応しました。
対象:ブラックウルフ
生命活動:正常
テイム可能»
「……え?」
キラが驚く。
「生きてる……」
ブラックウルフは気を失っているだけだった。
キラはしゃがみ込む。
「君も……一人だったの?」
ブラックウルフの耳が僅かに動く。
キラは迷った。
この魔物は、自分を襲った。
それでも。
殺すことはできなかった。
「……ソラ」
「ぷる?」
「この子も連れて帰ろう」
「ぷる!」
キラはブラックウルフを背負った。
十歳の少年には重すぎる。
何度も転びそうになる。
それでも歩く。
リナが横から支える。
「私も持つ」
「ありがとう」
三人で町へ向かう。
その姿を、森のさらに奥から見つめる者がいた。
黄金色の瞳。
巨大な影。
木々の隙間から、キラたちを静かに見つめている。
「……人間の子供が」
低い声が響いた。
「面白い……」
そして影は、森の奥へ消えていった。
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その夜。
ミレアの冒険者ギルド。
受付嬢は目を丸くしていた。
「ブラックウルフを……一人で?」
「ソラと一緒にです」
「……」
受付嬢はキラを見る。
十歳。
赤い髪。
ボロボロの服。
そして肩にはスライム。
その横には獣人の少女。
さらに――
意識を失ったブラックウルフ。
「……あなた、本当に昨日登録したばかり?」
「はい」
受付嬢は頭を抱えた。
「なんなの、この子……」
そのとき。
奥にいた老人が、静かに立ち上がった。
「やはり間違いない」
老人はキラを見る。
「その少年は――」
老人の言葉が止まる。
なぜなら。
ブラックウルフが目を開けたからだ。
黄金色の瞳がキラを見つめる。
「……グル」
キラは少し怖がりながら、手を伸ばした。
「大丈夫」
ブラックウルフは逃げない。
「もう、傷つけないよ」
その瞬間。
キラの目の前に、また文字が浮かんだ。
«《万象共鳴》
新たな共鳴対象を確認。
対象――ブラックウルフ。
固有能力《俊足》を確認。
《俊足》を取得可能です。»
キラは目を見開いた。
そして――
初めて、自分の意思で選択する。
「……お願いします」
«《俊足》を取得しました。»
キラの身体に、新たな力が宿った。
最弱のスライム。
傷ついたブラックウルフ。
そして獣人の少女。
キラの旅は、少しずつ仲間を増やしながら始まっていく。




