天照の光
雪が別れを告げて家に帰ったのは、夕暮れ時だった。氷室家の広い玄関の扉を開けると、出迎えたのは執事の山崎だった。彼女は無言で一礼し、父の書斎へと直行する。重厚なドアをノックし、彼女は中に入った。
書斎は敷き詰められた絨毯が足音を吸い込むほど静かだった。革張りのデスクの奥に、父の圭介が座っている。彼は眼鏡のブリッジを押し上げながら、娘の顔を見て微かに目を細めた。
「お帰り、雪。今日は遅かったね」
「ただいま、お父様。お話があります」
雪は薙刀のケースを壁に立てかけ、父の対面に座った。彼女は昨夜の夢の話から始めた。天照大御神様の啓示。日本に降りかかろうとしている厄災。そして、神代光輝という少年に会い、眷属となったこと。全てを包み隠さず話した。
「建御雷神の加護…か」
圭介は静かに呟いた。娘が探索者の適性を持っていたことは知っていたが、まさか日本神話の武神の加護を受けるとは。彼はデスクの上で手を組んだ。
「日本に来る厄災がいつなのか、どんなものなのかはわかりません。でも、夢で見たのは街が崩壊し、人々が逃げ惑う地獄絵図でした。天照大御神様の使者である光輝さんに眷属にしてもらえたことは、運命だと思います。だから…」
雪は一度言葉を切り、父の目を真っ直ぐに見た。
「日本を救うためにも、学校を休学するかもしれません」
圭介は沈黙した。氷室家の娘として、良い大学に入り、良縁を結ぶのが彼女のレールだった。だが、そのレールは今、神の手によって書き換えられようとしている。
「わかった」
意外なほどあっさりと、父は頷いた。
「お前がそれだけの覚悟を持っているなら、止めるつもりはない。むしろ、我が家から日本を救える者が現れるなんて、氷室家の歴史においてこれ以上の誉れはない」
彼は立ち上がり、娘の肩に手を置いた。その手は少し震えていたかもしれない。それは娘を戦場へ送り出す親としての不安と、国を守る者を育てた親としての誇りが入り混じった震えだった。
「金も人も、必要なものは何でも出そう。安心して行ってきなさい」
「お父様…ありがとうございます」
雪は父の手に自分の手を重ねた。これで一つ、心配が消えた。
一方、琴葉は自室のベッドにうつ伏せになり、枕を抱きしめてモヤモヤとしていた。
「雪ちゃん、キレイだったなぁ…」
あの黒髪の艶やかさ。透き通るような肌。そして何より、光輝が彼女を見ていたあの目。完全に見惚れていた。自分にはないものを彼女は溢れんばかりに持っていた。
「どうしよう…もっと光輝と仲を深めておけば良かった」
あの時、もっと素直になればよかった。もっと自分を飾ればよかった。後悔が胸を締め付ける。でも、まだ終わったわけじゃない。光輝は雪のことも眷属にしたが、自分が最初の眷属である事実は消えない。
「よし!」
琴葉はバッと起き上がった。
「明日からオシャレして行こう! 前髪も切ろう! メイクも勉強しよう!」
彼女は自分に気合を入れた。恋は戦争だ。負けてたまるか。
光輝もまた、自室で悶々としていた。ただし、理由は違う。彼はスマホで拓也たちの配信アーカイブを見ていたのだ。
画面の中の拓也たちは、C級ダンジョンに潛っていた。モンスターを見つけるや否や、4人のアタッカーが一斉に飛び出していく。まるで20人が一つのボールを追いかける小学生のサッカーだ。誰かが攻撃すれば別の人が割り込み、「俺がやる!」と叫びながらトドメを奪い合う。
「酷いな…」
光輝は思わず呟いた。連携もへったくれもない。索敵も警戒もせず、ただ目の前の敵に突進しているだけだ。そんな戦い方では、消耗も激しいし、いつか痛い目を見る。
「ちょっとだけ注意してやった方がいいかな」
かつての仲間として、見過ごすわけにはいかない。光輝はそう思った。
翌日、光輝は教室で拓也に声をかけた。
「拓也、ちょっといいか?」
「あ? 何だよ」
拓也は爪を磨きながら、鬱陶しそうに答える。
「配信見たんだけどさ。もっと連携をして戦った方がいいんじゃないか? あんな風に突っ込んでいくと、いつか危ないぞ」
その瞬間、拓也の手が止まった。彼はゆっくりと顔を上げ、冷ややかな目で光輝を見た。
「は? お前に言われる筋合いはないんだけど」
「え?」
「お前みたいなレベル1の役立たずには、俺たちの戦い方は理解できないんだよ。弱いお前にはわからないだろ!」
その言葉には、かつての友情のかけらもなかった。ただの侮蔑だけがあった。
「そうだよなー」
「レベル1のアドバイスとか笑える」
昌幸たちもゲラゲラと笑う。光輝は拳を握りしめたが、すぐに力を抜いた。彼らは変わらない。いや、変わってしまったのだ。配信という名の欲望に。
「…そうか。もういい」
光輝は背を向けた。これ以上関わっても無駄だ。彼らの道は彼らが決めたことだ。俺には俺のやるべきことがある。
放課後。3人はいつものダンジョン前に集まった。
「ねえ、私たちも配信しましょう!」
雪が唐突に言い出した。彼女の手には、小さなドローン型カメラが握られている。
「配信? 俺たちが?」
光輝は驚いた。
「ええ。お父様が買ってくれたんです。最新型のドローンカメラですよ」
雪は得意げにドローンを掲げた。
「これで私たちの戦いを世界に発信するんです。天照大御神様の力を、多くの人に見てもらいましょう」
「それはいいかもね」
琴葉も賛同した。
「それに、パーティ名も決めないとね」
「パーティ名か…」
3人は顔を見合わせた。
「あの…」雪が遠慮がちに口を開いた。「今まで友達とこんな風に楽しい放課後を過ごしたことが無かったから、嬉しいです」
「え?」
「私、学校が終わればいつも習い事だったから。薙刀に茶道に華道にピアノ…。友達と遊ぶ時間なんて無くて。だから、2人とこうしてダンジョンに行けるのが本当に楽しくて」
彼女の瞳が潤んだ。それは孤独な日々を送ってきた少女の、素直な喜びだった。
「雪…」
光輝と琴葉は顔を見合わせた。そして同時に頷いた。
「これからもよろしくな、雪」
「よろしくね!」
雪はパァッと花が咲いたような笑顔を見せた。
「はい! よろしくお願いします!」
「で、パーティ名だけど」光輝が言った。「俺たちの加護やスキルを考えると『天照の光』はどうだろうか?」
「天照の光…」琴葉が呟く。「私たちの力が、闇を照らす光になるってこと?」
「ええ。素敵ですね」雪も賛成した。
「よし! 俺たちはパーティ『天照の光』だ!」
3人は互いの手を重ね合わせた。その温もりは、何よりも頼もしかった。俺たちの戦いはここから本格的に始まるのだと、その名前が高らかに告げていた。




