2人目の眷属
放課後の校門は、部活に向かう生徒や帰宅する生徒たちで賑わっていた。俺と琴葉は、いつものようにダンジョンへ向かおうと歩き出したその時だった。
「神代光輝くんですね」
凛とした、しかし柔らかな声が俺の名前を呼んだ。振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。肩まで流れる艶やかな黒髪。透き通るような白い肌。そして、切れ長の瞳が俺を真っ直ぐに見つめている。彼女は俺の目を見据えたまま、小さく会釈した。
「はじめまして。氷室雪と言います」
俺は、何も言えずに彼女を見つめていた。言葉を失うほどの美しさだった。まるで日本画から抜け出してきたような、繊細で気品のある佇まい。風に揺れる黒髪が、夕陽を反射してキラキラと輝いている。
「…光輝」
琴葉の不機嫌そうな声が、俺の意識を現実に引き戻した。見ると、彼女は眉をひそめ、ジトッとした目で俺を睨んでいる。そして次の瞬間、
「ぐえっ」
琴葉の鋭い肘が、俺の脇腹に突き刺さった。
「いってぇ…」
「いつまで見とれてるの、バカ」
彼女はプイッと横を向いてしまった。俺は慌てて姿勢を正し、喉の奥から声を絞り出した。
「は、はい。俺が神代光輝です」
雪はそんな俺たちの様子を、興味深そうに眺めていた。彼女の口元が、ほんの少しだけ綻んだように見えた。
「すみません、急に声をかけてしまって。お時間ありますか? 少し、お話があるんです」
彼女の真剣な眼差しに、俺は冗談事ではない何かを感じ取った。
「わかりました。すぐ近くに喫茶店があるので、そこでどうですか」
俺たちは校門から徒歩数分の場所にある、昔ながらの喫茶店に向かった。木のぬくもりを感じる落ち着いた店内は、秘密の話をするにはうってつけだった。窓際のボックス席に3人で腰掛け、それぞれ飲み物を注文する。俺はアイスコーヒーを、琴葉はカフェオレを、雪はストレートティーを頼んだ。
飲み物が運ばれてくるまでの間、気まずい沈黙が流れた。琴葉はメニューを食い入るように見つめ、俺は窓の外を眺めるふりをした。
「それで、話って何かな?」
俺が沈黙を破ると、雪は背筋を伸ばし、真剣な表情で話し始めた。
「昨晩、私の夢に、天照大御神様が現れたんです」
俺も琴葉も、息を呑んだ。
「神様は、日本に厄災が降りかかるとおっしゃいました。そして、神代光輝という人を探し、協力して日本を救えと」
雪はそこで言葉を切り、深く息を吸った。
「正直、最初は信じられませんでした。ただの夢だと思ったんです。でも、家のモノを使って調べさせてみたら、あなたは探索者で、ダンジョンに潛っていると言われ。それで、もしかしたら本当かもしれないと思って」
彼女の声には、迷いと決意が入り混じっていた。彼女はカップに口をつけ、熱い紅茶を一口すする。
「私も協力したいんです。日本を救うために」
「でも、氷室さんって確か…」
俺は彼女の言葉を遮ろうとした。彼女のことは噂で聞いたことがある。隣の進学校に通う才媛で、名家の令嬢だと。
「雪でいいです」
彼女は微笑んだ。
「私は、探索者の適性はありました。でも、まだダンジョンには行ったことがありません。ただ、小さい頃から薙刀を習っているので、武器はそれを使おうと思っています」
「薙刀…」
琴葉が驚きの声を上げた。薙刀は扱いが難しく、使い手も少ない武器だ。
「はい。私にとっては使い慣れた武器ですので、これが私の愛刀です」
雪は、鞄の横に立てかけてあった細長いケースに手を触れた。その動作には、長年かけて培ってきた自信が滲み出ていた。
「俺たちも、同じ夢を見ました」
俺は腹を括った。彼女になら、全てを話してもいいだろう。
「天照大御神様から、仲間を集めて眷属にし、強くなれと言われています。眷属になれば、俺のスキル『照らす』でステータスを強化できます。経験値も共有できる。でも、そのためには…」
俺は一瞬、言葉に詰まった。
「そのためには、何ですか?」
雪が首をかしげる。
「接吻、しないといけないんです」
店内に、小さな沈黙が落ちた。雪はポカンと口を開け、それから急に顔を赤らめた。
「キ、キス、ですか?」
「はい。それで本当の仲間、眷属になれると」
俺も顔が熱くなるのを感じながら、正直に答えた。
雪はカップを握りしめ、しばらく考え込んでいた。そして、伏せていた顔を上げ、隣に座る琴葉の方を見た。
「それで、結城さんはもう?」
「あっ…」
琴葉はビクッと肩を震わせ、顔を真っ赤にして俯いた。それが何よりの答えだった。
「そうですか」
雪は再び俺の方に向き直った。彼女の目は、どこか覚悟を決めたような光を宿していた。
「私はいいですよ、キスしても」
「え?」
今度は俺が驚く番だった。
「でも」
雪は、そこで言葉を区切り、琴葉の方に体を向けた。その瞳には、挑発的な光が宿っている。
「私はいいけど、あなたは私がキスしてもいいの?」
琴葉の動きが完全に止まった。彼女はカップを持ったまま、固まっている。数秒の沈黙の後、彼女はワナワナと震えだした。
「べ、別に!」
琴葉は声を裏返らせながら、必死に答えた。
「私と光輝は、つ、付き合ってるわけじゃないし! それに、これは日本を救うために必要なことでしょ! 仕方ないじゃない!」
彼女の声は、みるみる小さくなっていく。
「ふーん」
雪は、ほんの少しだけ口元を上げた。それは、何か面白いものを見つけた猫のような、あくまで上品な笑みだった。
「じゃあ、まだ私にもチャンスはあるってことね」
「なっ!ちょっと、それどういう意味!?」
琴葉がガタンと音を立てて席を立つ。雪はそんな彼女を気にせず、優雅に紅茶を口に運んだ。
「どういう意味でしょうね」
俺は2人の間に流れる微妙な空気に、いたたまれなくなった。これは、もしかして、とんでもないことになってきたんじゃないだろうか。
とにかく、ここで話していても仕方がない。俺たちは飲み物を飲み終えると、早速ダンジョンへと向かうことにした。雪の実力を確かめる必要もあるし、何より眷属化の儀式を済ませたかった。
いつもの初心者ダンジョンの入り口。人通りはまばらで、周囲に人影はない。
「じゃあ、改めて。神代光輝くん。よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ」
雪が俺の前に立った。彼女は薙刀の入ったケースを地面に置き、ツカツカと距離を詰めてくる。その真っ直ぐな瞳に射抜かれ、俺はゴクリとつばを飲み込んだ。
「光輝、ちゃんとしなさいよね…」
後ろから琴葉の、地の底から響くような声が聞こえる。プレッシャーがすごい。
俺はそっと雪の肩に手を置き、彼女の顎に指を添えた。近づくと、石鹸のような清潔な香りがふわりと漂う。
「目、閉じててください」
俺が言うと、雪は素直に長いまつげを伏せた。俺は意を決して、彼女の唇に自分のそれを重ねた。
刹那、魂が震えるような感覚が走る。光が視界を覆い、俺と雪の間に見えない橋が架かるのが分かった。琴葉の時と同じだ。魂と魂が共鳴し、一つの絆で結ばれる。唇を離した後も、その熱は残り続けていた。
「これが、眷属の絆…」
雪はとろんとした目で、自分の手を見つめていた。
「なんか、すごく温かい。それに、あなたの心がすぐ近くにあるみたい」
「ステータスを見てみてくれ」
俺に言われ、雪は空中に自身のウィンドウを表示させた。その画面を覗き込み、彼女は目を見開いた。
雪のステータス。その加護の欄には、こう刻まれていた。
加護:建御雷神
スキル:雷撃
「建御雷神?!」
琴葉が叫んだ。建御雷神といえば、日本神話に伝わる武神。国譲りの際に大国主命の前で剣を抜いた、最強クラスの戦の神だ。
「私は、そんな大層な神様の加護を…」
雪は戸惑いながらも、自分の新しい力にそっと触れた。指先に、パチパチと静電気のような光が走る。
「すごいな。これは頼もしい戦力だ」
俺は素直に感動した。剣士と回復役に加え、雷撃を使う薙刀使い。これでパーティのバランスは格段に良くなる。
「よし、早速だけど、軽くダンジョンに潛ってみよう。雪の実力を見ながら、レベル上げをしよう」
「はい!」
「ええ、任せて」
3人で闇の洞窟へと進む。俺はスキル『照らす』を発動し、眷属の2人を光で包み込んだ。
「これが、光輝の光…」
雪がうっとりと光を見上げる。その細くしなやかな肢体に、力が漲っていくのを彼女自身も感じているはずだ。
モンスターが現れた。スライムが3体。俺たちはすぐに陣形を組む。前衛は雪と俺。後衛は琴葉だ。
「行くよ」
雪は薙刀を構え、スライムに向かっていった。彼女の動きは流れるように美しく、舞を舞っているかのようだ。薙刀が弧を描き、スライムの一体を切り裂く。
「まだ浅い!」
雪は間合いを詰め、雷撃スキルを発動させた。薙刀の刃に青白い雷が走り、スライムの核を正確に貫く。その電光石火の一撃は、スライムを一瞬で消滅させた。
《経験値を獲得しました》
俺と琴葉にも、経験値が入る音が響く。
「す、すごい…」
琴葉がポツリと呟いた。彼女は初めて見る雪の戦闘に、ただただ驚嘆している。しかし、すぐに首を振り、自分もと短剣を握り直した。
「すごいよ、雪! でも、私だって負けてられない!」
琴葉は短剣で、別のスライムに斬りかかった。レベル5の彼女の動きは、雪に勝るとも劣らない。弱ったスライムを、俺がトドメを刺す。
雪が最後の1体を仕留め、戦闘は終わった。まだまだ、危なげない戦いぶりだ。
「やっぱり、経験値が人数分入ってくるな」
「はい、これならどんどん強くなれそうです」
雪は薙刀を鞘に収めながら、興奮気味に言った。彼女は探索者経験はゼロだが、その基礎体力とセンスはずば抜けている。さすがは建御雷神の加護だ。
俺たちはダンジョンの奥へと慎重に進みながら、雪の戦い方に慣れ、連携を深めていった。琴葉の回復サポートに、雪の雷撃、そして俺の光による強化。3人の動きは、まるで初めからこうだったかのように調和していった。
「よし、今日はこのくらいにして帰ろう。明日もまた来るぞ」
「はい!」
「了解」
ダンジョンから出ると、外はもうすっかり暗くなっていた。秋の星座が、澄んだ空気の中で瞬いている。
「今日はありがとう。仲間に来てくれて」
俺が礼を言うと、雪は首を振った。
「こちらこそ、やりがいのある目標が見つかりました。それに…」
雪は俺の隣を歩く琴葉を、チラリと横目で見た。
「まだまだ、面白くなりそうだし」
「ちょっと、それどういう意味よ!」
琴葉が噛みつくように言い返す。雪はクスクスと上品に笑いながら、夜道をスタスタと先に歩いていく。俺は2人のやり取りに頭をかきながら、その後を追いかけた。
俺の眷属は2人になった。まだたった2人だ。でも、心強い仲間だ。天照大御神様の言葉を信じて、俺はもっと仲間を見つけ、必ずこの国を守ってみせる。夜空を見上げながら、俺は静かに決意を新たにしたのだった。




