初めての罠
ダンジョンの空気がさらに重くなってきた。薄暗い回廊に湿った風が吹き抜け、かすかな異臭が鼻をつく。B級ダンジョンの深部に近づいている証拠だ。俺たちは警戒を強めながら、一歩一歩進んでいた。
「待って!」
突然、みどりが鋭い声で全員を制止させた。
「イヤな予感がする…」
みどりの顔からはいつもの軽いノリが消え、真剣そのものだ。彼女の危険察知スキルが何かを捉えたのだ。俺たちは息を呑んでその場に立ち止まった。
みどりはゆっくりと床に近づき、しゃがみ込むと、注意深く床石を調べ始めた。彼女の細い指が石と石の間をなぞっていく。
「ここ…踏んだらダメだからね」
彼女はポケットからチョークを取り出すと、床の一部に大きく×印をつけた。その動きは熟練したスカウトそのものだ。
「かすかに違和感があるが…罠なのか?」俺は尋ねた。
「うん。ここを踏んだら発動するみたい。どんな罠か…やってみる?」
みどりがイタズラっぽく振り返ってニヤリと笑う。
「やめておこう。逃げられない罠かもしれないしな」
俺が真顔でそう言うと、みどりは「だよねー」と笑いながら立ち上がった。
「さすがだ、みどり。お前を仲間にして本当に良かった。頼りにしてる」
俺は心からの感謝を込めてそう言った。すると、みどりの顔がボッと音がしそうなほど真っ赤になった。彼女は慌てて俯き、両手で顔を隠す。
「ちょっと光輝! みどりの気が散るようなこと言わないの!」
琴葉がすかさず俺を睨んだ。ジト目だ。完全にジト目だ。
「俺は本音を言っただけだぞ?」
「だから余計にたちが悪いのよ…」
琴葉はため息をつき、みどりはまだ俯いたままだ。後ろで朱音が「鈍感」と呟き、詩乃がクスクス笑っている。え? 俺、何か悪いこと言ったか?
その時、みどりの顔がハッと引き締まった。
「モンスター来るよ!」
彼女は素早く俺の所まで下がりながら叫んだ。
「飛行系! 多分ハチ!」
「薙刀の雪と槍の美咲が前に出てリーチを生かして一匹ずつ落としていく!」
俺が即座に指示を出すと、雪と美咲が同時に前に出た。
「了解!」
「任せて!」
ブーンという羽音が闇の奥から近づいてくる。次第に大きくなるその音は、ハチの大群であることを告げていた。巨大なハチのモンスター、ジャイアントホーネットだ。一匹が犬ほどの大きさで、毒針は人間を一撃で殺せるという。
「来た!」
雪の薙刀が空を薙ぐ。長いリーチを活かした一振りで、先頭を飛んでいたハチが真っ二つになった。
「せいっ!」
美咲の槍も負けていない。突き出された穂先がハチの頭部を正確に貫き、二匹目がボトリと落ちる。
「撃ち漏らしはこちらで!」
麗華が大盾を掲げ、雪と美咲が落としきれなかったハチを受け止めた。キンッという硬質な音と共に、毒針が盾に弾かれる。
「斬ります!」
麗華の陰から凛が飛び出し、居合の一太刀でハチを両断する。息の合った連携だ。
俺は戦いながらも、後方から指示を出し続ける。向かってくるハチの数は多いが、慌てる必要はない。前衛4人と中衛2人の防御網は完璧だ。
戦闘が終わり、床に落ちたハチの死骸が光の粒子となって消えていく。
「ふぅ…短弓買おうかな」
みどりがポツリと呟いた。
「私、スカウトだけど戦闘であまり役に立ててないし…遠距離から援護できたらいいなと思って」
「そうだな、遠距離武器もいいな。さすがみどりだな、よく考えてる」
俺がそう言うと、みどりはまた顔を真っ赤にして俯いてしまった。なんでだ?
「光輝…」琴葉が再びジト目で俺を見ている。「マジで無自覚なんだから…」
琴葉はため息をつきながら、前衛の体力を回復していく。「癒しの光よ―ヒール!」。緑色の優しい光が雪や麗華たちを包み込み、彼女たちの疲労と傷が癒えていく。
ハチの集団を倒したことで、全員のレベルがまた一つ上がった。
「みんな、ここでちょっと休憩しよう」
俺はそう言って、安全な広い場所にみんなを集めた。水分補給をしながら、今後のことを話し合う。
「ところで、明日また武器屋に行かないか? みどりの短弓も見たいし」
俺が雪に相談すると、彼女は快く頷いた。
「ええ、私も大丈夫です」
「私の家の援助もありますから、遠慮なく言ってくださいまし」
麗華が胸を張って言う。氷室家と九条家。どちらも日本の財界を牛耳る大財閥だ。正直、お金の面ではいつも助けられている。
「そういえば配信のお金っていつ入るんだ?」
俺が聞くと、雪が申し訳なさそうに答えた。
「1ヶ月後です。ですが、まだ小遣い程度しか入らないと思います。今のところは氷室家と九条家に任せてください」
「すまない…配信で稼げたら必ず返す」
俺が頭を下げると、雪が優しく微笑んだ。
「普通は金持ちなんだから出して当然だろって顔するものですよ。律儀なのは光輝のいい所ですね」
「いや、借りは返す。それが筋ってもんだろ」
「ふふっ、わかりました。でも無理はしないでくださいね」
「よし、行くか」
俺は立ち上がり、探索を再開した。ダンジョンはまだ先が長い。でも、この仲間たちとなら大丈夫だ。どんな敵が現れても、どんな罠が待ち受けていても。
「みどり、引き続き前方の偵察を頼む」
「りょーかい! 任せて!」
みどりは元気よく走っていく。俺はその後ろ姿を見ながら、さっきみどりの頭を撫でてあげるべきだったかもしれないな、とふと思った。あれだけ褒めて照れてるんだから、もっとちゃんと伝えるべきだったか?
…まあいいか。次の機会にしよう。
「光輝、何ニヤついてるの?」
琴葉が怪訝そうな顔で俺を覗き込む。
「え? ニヤついてないだろ」
「してた。絶対してた」
「してない」
「してたよ!」
「光輝、そういう自覚のない笑顔が罪なんだよ…」
俺と琴葉のやりとりに、他のメンバーがクスクス笑い出す。
そうして俺たちはまたダンジョンの探索を再開した




