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螺旋の行方 ―居住地域制限法―  作者: 越智康生
第3章 故郷の再都市化に向けて
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3-3 再都市化の事前調査

今回の業務は、数か月後に控えた本格調査に先立つ事前調査である。

本当に旧秋山町を再都市化できるのか、そのために予算はどの程度必要になるのかを調査していくことになるが、そのための準備段階である。

旧秋山町役場の合鍵については昨日新川市役所で借り受けているが、秋山分屯地にはその他一部の主要施設の合い鍵が保管されており、僕たちはそれを借り受ける立場にあった。駐在所、診療所、消防団詰所——どれも、かつて人の生活の安全を支えた場所だ。

元々職員室として使われていた場所になる事務室で大谷中隊長から鍵を受け取り、再び自分達の車に乗り込んだ。

「簡単なインフラの確認程度なら自衛隊でもできそうですが」車の中で、ふと疑問を口にした。

神谷課長はフロントガラスの向こうに目をやったまま、肩をすくめる。

「向こうは防衛省、こっちは国交省。縦割りだからな」

淡々とした口調だったが、その言葉には長年この世界を見てきた人間の諦観が混じっているようにも思えた。


最初に訪れたのは旧町役場。かつての町政の中心であり、僕にとっては父の職場でもあった場所だ。駐車場への入口はチェーンで規制して入れないため、正面玄関の脇のスペースに車を停める。二十年前であればこんなところに駐車すれば誰かに注意されるところだが、今は誰の迷惑にもならない。

建物は二階建てで、外壁は色褪せ、ところどころに雨だれの跡が筋を描いていた。玄関横の掲示板には、二十年前のポスターの残骸がまだ貼られたままだ。文字は判読できないが、誰かの笑顔の写真だけがかろうじて残っている。警察や海上保安庁の啓発ポスターだろうか。

入口の鍵は物理的な鍵と電子錠の二重構造。昨日、新川市役所で受け取った鍵束を取り出す。金属の擦れる音が、静まり返った玄関ホールにやけに響いた。

電子錠を解除し、ドアを押すと、内部の空気がゆっくりと動いた。長く閉ざされていた空気の匂い——その建物自体の匂いと埃の匂いが入り混じっている。

続けて防犯システムを解除する。機械音の短い電子音が鳴り、赤いランプが緑に変わる。

内部は二階建てで、フロアの広さはおおよそバスケットボールコート二面分くらいだろうか。

玄関ホールを中心に、左右に事務室と会議室がある。

僕はカウンターに図面を広げる。

「じゃあ俺はこの区画をやる。あとはよろしく」と神谷課長は言いながら笑みを浮かべた。「課長と補佐の差だな」と軽口を叩くが、担当範囲は明らかに課長の方が狭い。二階の一部、町長室と企画調整課あたりだけを指でなぞっている。

当初から二手に分かれて実施することになっていたが、僕は一階の調査を担当する。部屋ごとに電気・水道といった設備の稼働状況を確認していく。

天井の照明スイッチを押すたびに、室内は明るくなり、室内の埃が浮かび上がった。机の上には使われなくなった電話機が置き去りにされている。受話器を持ち上げても、無音のままだ。

スマートフォンに電源ケーブルを接続し、電源コンセントの通電を確認する。概ね問題なし。防犯システムを維持しているだけあり、電力供給のラインは生きている。

電灯は定期的に交換されていたのか、間引きされたている場所を除いて、概ね全ての電灯が機能していた。

次にトイレを確認する。正面玄関近くの一か所だけが使用可能トイレとして維持されており、他のトイレは水が出ないか、出続けて止まらないかのどちらかだった。水道管の老朽化かもしれない。

水道水の水質を調べるために、いくつかの手洗い場で小さなポリ容器にサンプルを取る。水はわずかに鉄の匂いがした。

続いて二階に移る。神谷課長の担当範囲以外の部分で同じ作業を行う。自分の範囲を終えたので、物音の聞こえる部屋——町長室、に声を掛けながら近づく。

「課長、こっちは終わりました」

「了解。終わったら行くから下で休憩しといて」と返事だけが返ってきたので、僕はそのまま一階に降りる。

玄関ホールで待っていると、しばらくすると神谷課長がA4サイズの封筒を一つ手にして現れた。

「色々手間取ったけど、こっちは概ね大丈夫だったよ」

僕は頷き、「こちらも水回り以外は問題ありません」と報告した。

だが——封筒。課長の言葉よりも、その存在の方に視線が吸い寄せられた。

ロビーの待合椅子のホコリを払いのけ、腰を下ろす。金属のフレーム部分は少し錆びており、触れるとざらりとした感触が指先に残る。

昼食は分屯地で受け取ったミリ飯だった。塩分の強い味が舌に残り、空腹を満たすよりも、むしろこの町の静けさを際立たせた。


午後は駐在所、消防団詰所、診療所などを回る。

道中、舗装が途切れた場所ではタイヤが細かく振動し、車体が小さく跳ねた。風が砂を巻き上げ、舗装された道路にもかぶさっている。山の斜面に沿って伸びる電柱の一部は傾き、草に半ば埋もれている。

それぞれの建物で、旧町役場で実施したのと同様のチェックを行った。定期的な訪問者もいないためだろうか、ほとんどのインフラが機能していなかった。

照明は点かず、水道は錆色の水を一瞬吐き出して沈黙する。

診療所の受付カウンターには、黄ばんだ掲示物が残っていた。「秋山町民 定期健康診断のお知らせ」。二十年前の日付が、時を止めたままそこにあった。


予定の作業を全て終えたのは午後三時頃だった。

神谷課長が言う。

「ちょっと寄るところがある」

それだけを告げ、自身のスマートフォンで地図を見ながら方向を適宜指示する。やがて、一軒の古びた小屋の前で止まるよう指示をした。

「何ですか、ここ?」

僕は聞く。かつて選挙の時だけ選挙事務所として使われていた建物だという。

外にある政治家のポスターであったであろう紙は、風雨にさらされて朽ち果て、四隅の画鋲の部分だけが残っていた。入口の透明なガラス戸は汚れで曇っており、中の様子はボカシたように見えにくい。

「懐かしの我が家でも見てきたらどうだ。一時間後に迎えに来てくれ」

神谷課長はそう言い、車を降りた。突然のことに戸惑い、そのまま背中を見送る。彼は小屋の鍵を開けて中へ消える。


僕は地図を見ることもなく、ハンドルを握った。この町を自分が運転する車で走るのは初めてだが、本能的に方向がわかる。町の様子を見ながらゆっくりと運転していると、かつての我が家が見えてくる。二階建ての小さな一軒家。外観は二十年前とほとんど変わらない。しかし、玄関、窓の格子、玄関前の郵便受けには封鎖テープが貼られている。

今は国の所有物——つまり、僕の所属する国土交通省の管理下にある。鍵は手元にない。外から眺めるだけだ。

裏手に回ってみる。庭の木々は伸び放題で、枝が家の外壁をなぞるように揺れている。ふと、母が洗濯物を干していた光景が脳裏をよぎる。小さな頃はここで父とキャッチボールをした記憶もある。どれも、時間の彼方に置き去りにされた幻のようだった。

そこからまた車で幼馴染の遥の家へ向かう。家は同じように閉ざされていた。門の前に立ち、視線を上げると、ベランダのカーテンが残ったままだった。誰もいないはずなのに、人の気配を感じてしまう。中学を卒業して以来、彼女とも誰とも会っていない。彼女は今どこで、どんな暮らしをしているのだろうか。

次は公園に向かった。入口前で車を停めた。入口のアーチは錆びつき、ペンキが剥がれている。ブランコなど、鉄製の遊具は赤茶けた色をしていた。荒れ果てた公園を歩き、古びたベンチに腰を下ろす。

足元には割れたガラス片と、誰かが置き去りにした野球ボールが転がっている。

目を閉じると、子供の笑い声が一瞬、幻のように耳の奥で弾けた。

しかし、心の奥に不信感が残った。

——神谷課長は前日からこちらに来て何をしていたのか。あの封筒は何か。そして、あの小屋は一体何なのか。


うっかり長居をしてしまい、慌てて小屋に戻った時にはとっくに約束の時間を過ぎてしまっていた。課長は入口の脇に古い椅子を置き、そこに腰を下ろしていた。僕に気付くと、軽く手を上げて合図を送る。

立ち上がり、無言のまま鍵をかける。入口前に置かれた段ボール箱を小脇に抱え、こちらに歩み寄ってくる。段ボールの表面には、全国的に有名な通販の会社名が印刷されている。小屋に残っていた荷物だろうか。神谷課長は無言のまま車のトランクを開け、箱を中に滑り込ませた。助手席に座りなおすと、いつもの穏やかな声で言う。

「行こうか」

それだけだった。

遅刻したことも、何も言及しない。時間厳守が求められる仕事ではない場合、神谷課長は細かいことについては気にしない性格だ。今日のこの仕事は事前の予定にはない仕事だったからだろうか。

時間は午後四時半。エンジンの振動が、胸の奥まで静かに響いていた。


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