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螺旋の行方 ―居住地域制限法―  作者: 越智康生
第2章 故郷の思い出
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2-1 故郷の思い出

「隼人!」

名前を呼ばれて振り返ると、幼馴染の望月(もちづき)(はるか)が小走りで近付いてくるところだった。頬が少し赤い。

「今年度もよろしくね!」

二十年前、中学三年の春。最後の一年が始まった。


秋山町は海に面してはいるものの、漁業の町というよりは山の町だった。

切り立った断崖の海岸線に小舟が数隻浮かぶ程度で、町を支えていたのは鉱石の採掘やそれを扱う加工工場だった。

人口は二千二百人、高齢化率は約四十パーセント前後。

町立の小学校・中学校はそれぞれ一つずつ。棟は異なるが、同じ敷地の中にある。各学年は十五人前後。だから通常は二学年合同で一つのクラスを組んでいた。けれど中学三年だけは特別で、受験を控えて独立した十五人の単独クラスになった。

顔ぶれは幼い頃からずっと同じ。新しい友達が増えることもなく、転校で減ることも少ない。閉ざされた小さな社会で、僕らは長い時間を共に過ごしてきた。


国会で「地域再生促進法」が成立したのはこの前年の中学二年生の夏頃だった。

過疎が進み、自治体ではもはや公共サービスを維持できない地域が増えていたからだ。

先日のニュースでは「人口二千五百人未満、高齢化率四十パーセント以上」などと主だった基準を読み上げていたが、僕ら中学生にはピンと来なかった。本来は対象となる地域も同時に決定される予定だったが、この時は基準だけの発表に留まった。

ワイドショーでは「どの町が対象か」と推理合戦が始まったが、秋山町の名は挙がらなかった。人口も少なく、高齢化率も高い、もっと条件に合う町が全国には山ほどあるからだ。


五月の下旬になると二泊三日の修学旅行で東京に行った。秋山町に閉塞感を感じて都会に憧れを抱いている同級生にとっては、修学旅行は中学生活最大の目玉となっている。保護者も修学旅行を見込んで、家族旅行をするにしても東京には行かないことが多いので、小学生の頃から楽しみにしている同級生も多い。

旅は秋山駅からスタートする。秋山駅にはロータリーもタクシー乗り場もない。車社会における鉄道駅は、必ずしも重要なインフラとはなっておらず、むしろ幹線道路沿いの方がお店は多く、発展している。

在来線で県庁所在地の一番大きな駅まで出る。

秋山町の建物にはエレベーターはあってもエスカレーターはないので、ホームからホームへの移動ですらどこか遊園地のアトラクションに乗るような感覚がある。さすがに僕もエスカレーターに乗るのは初めてではないが、普段乗ることがないためか、やはりわくわく感がある。

ここから新幹線に乗り、秋山駅とは対照的な大都会の東京に降り立つ。そこから地下鉄を使って国会議事堂に向かう。

秋山町、新川市だけでなく、そもそも県内に地下鉄がないので、地下を走る電車に乗るのも新鮮だ。しかも電車が数分おきに来る。

いよいよ国会議事堂の建物を目にすると、みんな同じようなことを口にする。「ネットで見た通り」だ。所定の見学ルートで本会議場を見学する。「思ったより小さい」といった感想だった。将来自分が、日本の政治の舞台に官僚として足を運ぶことになるとは、この時の自分は考えてもいなかった。そもそも中学の時から将来の仕事を決めている人の方が珍しいのではないだろうか。

国会議事堂の見学が終わると、そのまま地下鉄を乗り継いで、浅草まで出る。途中の乗換駅は、地下鉄のホームが上下階になっており、一体どれだけの地下鉄が都内を走っているのかと驚かされてしまった。

浅草でもテレビでよく見るあの「雷門」を通って、仲見世通りを歩く。

東京駅を歩いている時にも思ったが、秋山町で一番人口密度が高くなる夏祭りの夜ですら、ここまで人は集まらない。秋山町の人口二千二百人というのは、一体どれだけ少ないことなのかを実感する。 「自分の故郷である」ということを除外して日本全体の視点として考えると、居住制限区域を設けてでも強制的に居住地域を制限していかざるを得ない、という考えに至るのもわからなくはない。

そしてそのまま歩いてホテルに向かった。ほとんどの同級生にとって東京に泊まることは初めてだ。夜こっそりとホテルの外に出てみると、街が昼間のように明るいことに驚く。ここには多少の誇張は入っていて、路地裏はさすがに暗いところもあるが、それでも秋山町の夜と比べたらはるかに明るい。自分の靴の輪郭が見えなくなることがない。


翌日、二日目は二班に分かれて行動する。一班は文化メインのコース——上野の博物館・美術館見学と谷中銀座。二班は都会体験のコース——渋谷、原宿、新宿。

僕らは二班を選んだ。二班は生徒七人と引率の先生一人。僕の昔からの仲良し五人組のメンバー——男三人、女二人。僕、駿、修平、それに遥と千尋だ——は全員ここに入っていた。

まずは地下鉄で渋谷に向かう。通勤時間のピークを過ぎたはずの午前九時台だったと思うが、電車の中に人は多く、全員が座席に座ることはできなかった。

渋谷に着くと、引率の先生も道に迷いながら、みんなで探り探り移動する。ようやくあの大きな交差点までたどり着いたので、思い思いに写真を撮り、みんなで一緒に向かい側まで歩いた。本当は忠犬ハチ公の像も見てから行く予定だったが、どこにあるか見つけられないまま、そのまま線路沿いに北上し、歩いて原宿方面を目指す。どこまで歩いても市街地が続いているし、テレビでよく聞く地名が、たったこれだけ歩いただけで着いてしまうくらい近接していることにも驚いた。そして、原宿と表参道は同じ場所にあることも実際に来てみるまで知らなかった。原宿駅の手前から、明治神宮に入って参拝する。高校受験の年だったので、「受験がうまくいくように」と願った気がする。

そこからしばらくは自由時間になり、自由散策と食事になった。班自体が七人で、仲良しメンバー五人だけで行動すると残り二人が中途半端な形になってしまうので、引率の先生を除いた七人で行動した。竹下通り、表参道をブラブラして集合時間に原宿駅に到着した。

原宿から新宿まではよく聞く名前の路線「山手線」に乗って移動した。新宿駅で降りた後も、渋谷駅と同様に迷いながら歩いた。先生も諦めて、とりあえず地下から脱出して、地上を歩くことにした。地上に出た後、二十分ほど歩いて、東京都庁に着いた。四十五階の展望台に上がる。都内の景色が一望できる。一面に家々が連なり空白地帯がない。

遥から聞かれた。

「隼人はやっぱり将来は東京に出るの?大学とか就職とか」

「何となくそうなりそうな気はするけど、まだそこまで考えてはいないかな」と僕は答えた。東京のような大都市であればネットで話題になったお店や場所にすぐに行くこともできる。秋山のような地方ではそうもいかない。日々の娯楽にすら事欠くため、大都市で暮らす人たちとは環境が違い過ぎる。

「こういう大都会もいいけど、それは一時的な感覚の良さかなぁって思ってて。東京に限らず就職とかで他の町に住んだとしても、いずれ私は地元に帰っていそう。そっちの方が私には合っている気がして」

「なんとなくわかる気がする。」


最終日となる三日目は再び全体での行動。この日だけは貸切バスに乗っての移動になる。名前だけはよく聞く「お台場」という地名の場所に行く。昨日までの地下鉄移動とは違い、座ったまま外の景色を気軽に見ていることができる。日本科学未来館というところを見学した。そのまま貸切バスで東京駅まで移動して、そこからは往路と同じ行程で秋山に戻る。非日常空間に浸った三日間が終わり、また普段と同じ日常に戻った。


***


まだその興奮が冷めやらぬ六月、僕らの楽観的な観測は打ち砕かれる。

七十五の地域が「移住促進区域」として発表され、その中に秋山町の名もあったのだ。

町は一気にざわついた。

秋山町役場で働く父の職場には問い合わせの電話が鳴りやまない状態となった。町役場の人間も全員秋山町の住人であり、皆が当事者だった。当然今回のいきなりのニュースには全員驚いていた。

父自身も商店街を歩けば「何とかならないのか」と詰め寄られる。父は苦笑いで受け流すしかなかった。

父は穏やかな性格だが背が高いため、人によっては威圧感を感じるらしい。それを気にした父は誰かと話す時は相手の目線に合わせて少しかがむようにしている。そして人と話す時は、相手の話を遮らない。そういう人だ。


三年後までに住民は移住しなければならない。

反対運動のための集会が開かれたが、実際問題として撤回は難しいと誰もが感じていた。現実に目を向けて、どこで暮らすか、どう働くか。そうした具体的な話題が家々では持ち上がっていた。


僕はまだ中学生で、自分で何かを決められる立場ではなかったから、不安はあるものの現実感は薄かった。多分他の同級生も同じだろう。

ただ「この町には高校がないから、卒業すれば新川に行くのが普通」という変わらない事実だけは、誰にとっても身近な問題だった。

そのため、一人っ子の同級生で、親の仕事の融通も利きやすい人は、地域再生支援都市である新川市に引っ越す、という選択肢が現実的なものとなる。移住支援金も支払われる。

地域再生支援都市には人口増加が見込まれるため、必然的に住居づくりや生活インフラのための労働力の増強が必要となる。そのため、移住してきた人がその担い手になることもできる。

一方で、親の職業が第一次産業、例えば秋山町でも盛んではないとはいえ、農業、林業を生業にしている場合は苦労が伴う。国が転職先を斡旋してくれるとは言え、新天地で同じ仕事があるかどうか。もしくは全く別の仕事に就くことも検討しなければならなかった。家庭ごとに重さの違う問題を抱えていた。


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