6-4(隼人) 火種
裏の仕事に従事し始めてから数か月。冬になり、年も明けてしばらく経つ。
それでも日常は続き、東京のオフィスに戻ってからは、まるで何事もなかったかのように仕事をこなしていた。
そんな普段と変わらない夜七時。
パソコンのキーボードの音を響かせながら作業をしていると、メール受信の通知が表示された。
件名:「【至急】国会質問通告(国土交通委員会)」。
差出人は——大臣官房 総務課 国会連絡室。
内容を確認した瞬間、心臓が跳ねた。明日の国会の国土交通委員会での質問項目の一つにこうあった。
「地域再生促進法に関して、○○県○○郡秋山町が居住制限区域に指定された経緯について」
視線が一瞬止まる。……やられた、と思った。この件の経緯を知る自分と神谷課長は、即座に目を合わせた。係長以下の面々は「また面倒な質問が来たな」といった顔をしている。事の深刻さを理解しているのは、恐らくこの部屋で二人だけだった。
質問者は「日本改革党 村上誠司議員(五十八歳)、衆議院一期目、地方創生・過疎対策に関心、○○県議会議員出身」。総務課の補足メモを読むうちに、理由が見えた。——地元の県議出身。つまり、秋山町とは無縁ではない。
「これじゃないですかね」若手の一人が声を上げた。
パソコンの画面を覗くと、地方紙「中央日報」のウェブサイト。「読者の声」欄に載った記事のタイトルが目に飛び込む。「旧秋山町民会 会長」名義の記事。
まだ最近掲載されたばかりらしい。無料で読める冒頭にはこうあった。
「秋山町より人口の少ない地域はいくつもあるのに、なぜ秋山町が移住促進区域に指定されたのか」
「閉鎖されたはずの秋山鉱山が、今も稼働しているように見える」
「住民を追い出すために移住促進区域に指定したのではないか」
課金しなければ全文は読めない。僕は自分のスマートフォンを取り出し、すぐに電子決済でロックを外し、全文を確認した。記事の内容は遥と話した内容と概ね一致する。——遥が関与しているのではないか。
「故郷を追い出された恨みがまだ消えないんだろう」課長がいつもの調子で肩をすくめた。
「回答は当時の指定基準と、人口・高齢化率のデータだけで十分。感情論に付き合う必要はない」
若手に向けた指示は淡々としている。だがその背後に、何かを悟らせまいとする張り詰めた気配があった。
記事全文を読み終えたが、内容は想像の域を出ていない。確証もなく、いくつかの推測を重ねたもの。
だが、火種は火種だ。
——遥はこれを「仕掛け」として動かしたのだろう。
その後、課内の空気が一段落したころ、課長と目が合った。無言でうなずき、廊下へ出る。
課長は短く息をついて言った。
「いやぁ、参ったな。なんで今になって掘り返されるんだろうな」口調は軽いが、眉の奥に苛立ちが見えた。「俺はこのあと先生のところに報告に行く。何かあったら連絡してくれ。明朝七時、大臣レク前にもう一度詰めよう」
そう言って課長はそのままオフィスを後にした。
僕は若手から上がってきた資料を整理し、答弁文書案に必要な文言を補った。若手は先に帰らせたが、念のために他にも今回の件の発端になった材料がないかどうか情報収集をした。ネットの短文投稿アプリでも旧秋山町出身者と思われる人たちが同様の主張を載せていたが、それ程盛り上がってはいなかった。もしかするとこの中に遥の投稿もあるのかもしれない。手は動いているのに、意識は別のところにある。
——遥は今、どこまで掴んでいるのか。
——証拠を持っているのか。
敵ではない。むしろ味方のはずだ。けれど、味方の「手の内」が読めない不安は、敵よりも厄介だ。
夜十一時、資料整理を終えてようやく帰宅。
翌朝六時には再び省へ向かった。神谷課長も登庁し、午前七時、会議室で事前打合せをする。机上には答弁文書の最終稿。
「修正は不要。昨日、長谷川先生とも話したけど、『証拠があるわけじゃない』から向こうも気にしてないそうだ」
——「証拠がない限り、沈める」。
それが彼らの暗黙の了解だった。
午前七時半、大臣レクが始まる。他の部門の所管する質問もあるため、他の部門からも局長・課長・課長補佐が集まっている。総務課 国会連絡室が全体の司会進行管理を行った。
国会答弁の要領は決まっている。課長が要点を簡潔に説明し、大臣が内容を確認。質問の根拠が新聞記事である限り、形式的な答弁で乗り切れる。その見通しに、大臣も深く頷いた。
八時過ぎ、大臣は大臣専用車で国会へ向かう。
局長・課長は公用車で向かうが、席が空いていることもあり、僕も同乗させてもらった。
霞が関を抜ける朝の車窓に、議事堂の塔が現れる。
九時、国土交通委員会開会。局長と課長は大臣の後ろに座る。自分は別室で待機。モニターには議場の映像。午前中は他党の質疑が続き、進行は淡々としている。
村上議員の質疑は午後を予定しているが、どんな質問が出てくるかわからないため、朝から会議には同席する。待機室のモニターで議事を聞く。特段資料の修正は想定していないが、こちらが掴んでいない情報で攻められる可能性が憂慮されるので、スマートフォンでニュースや短文投稿アプリの情報をチェックしている。
昼休憩前、総務課 国会連絡室から「午後二時に日本改革党」との報告。予定通りだ。
昼、仕出し弁当が運び込まれたので、局長・課長の分も含めて三人分を机に用意する。しばらくして局長・課長が来る。
「いやぁ、何もないのに後ろ座ってるのも大変だよな。テレビ中継はないとは言え気は抜けないし」
「ネット上の投稿も見ましたが、新しい動きはありません」
「じゃ、ゆっくり食えるな」と言って課長は割り箸を割った。
午後一時、委員会再開。
そして予定から少し遅れた二時過ぎ、ついに日本改革党の村上議員の番が来た。持ち時間十五分。
「日本改革党の村上誠司君」——委員長の声。
登壇した村上議員は、落ち着いた口調で話し始めた。
辺りはまだ先程までのヤジが断続するなど騒々しい。
「二十年前に施行された地域再生促進法に関連して、秋山町の移住促進区域の指定について伺います——」
予想通りだった。地方紙の記事の一節を引用しながら、指定の妥当性を問う。
「人口の少ない地域は他にもあるのに、なぜ秋山町だったのか」
「当時、住民から反対意見が出されていた。指定は妥当だったのか」
大臣がゆっくり立ち上がる。
「お答え申し上げます。指定は法令に基づき、人口、高齢化率、産業構造等を総合的に勘案して判断しております。旧秋山町についても基準に合致しており、妥当なものであったと考えております。また、その他の地域につきましては個別の事情がございますので、詳細については差し控えさせていただきます。但し、こういった地域につきましても概ね第二回目以降に移住促進区域に指定されていることを補足いたします」
滑らかだった。文言も想定通り。
続く質問は、予想していた「第二の矢」。
「先程挙がりました秋山鉱山です。既に採掘場は閉鎖されているはずですが、昼間に採掘の音が聞こえる、建物に明かりが点いている、物資を出し入れする輸送車両の出入りがあるなど、まだ使われている形跡がある、という情報があります。こちらの採掘場はまだ何か使われているのでしょうか」
議場にわずかなざわめき。再び大臣が立つ。
「お答えします。こちらの採掘場は既に廃鉱となり、使用されておりません。まず、採掘の音が聞こえる、ということでしたが、こちらは付近に陸上自衛隊の演習場がありますので、演習の音を採掘の音と勘違いをされた可能性があります。続いて、明かりが点いていたとのことにつきましては、こちらの建物は国土交通省が管理しておりますので、定期的に維持管理のために訪問をしております。そのため明かりが点いていたとしても不思議はありません。最後に、車両の出入りにつきましても、旧秋山町の再都市化検討の関係等で発生する場合がございます」
完璧だった。
村上議員は言葉を続ける。
「最後になりますが、何らかの事業を行うために住民を追い出す必要があったので、秋山町を移住促進区域に指定することにした、という事実はありませんでしょうか」
「簡潔にお答えします。そのような事実は全くございません」
大臣は堂々と回答した。
委員長が「時間です」と告げる。
質問内容も想定通りで、大臣による答弁も台本通りで無事に終わった。胸をなでおろした。
午後五時過ぎ、委員会が散会。控室に戻ると課長と局長が軽く頷き合う。
「無事終わったな。やっぱり証拠がない話は長続きしない」課長がいつもの調子で言い、局長は笑って同意した。
三人で軽く事後打合せをして、公用車で省に戻った。
課長と二人になったタイミングで二人だけの話をした。
「大臣、さすが政治家だけあって堂々としてましたね」
「ん~…、まぁね。そもそも大臣は本当のこと知らないから。今の局長だって全部は知らない」
「えっ?そうだったんですね」
ということは省内で全てを知っているのは課長だけなのだろうか。
自席に戻り、また普段通りの仕事をして午後十一時頃に退庁した。
その夜のニュースで、大臣が記者団に囲まれ、同じ文言を繰り返す映像が流れた。
「そのような事実は、ございません」
国土交通委員会の村上議員の質問についてだった。
テレビ越しのその言葉を、僕は冷たい気持ちで聞いていた。
——元住民としての立場と、国益を守る立場。
その二つを同時に抱えるには、どちらかを「鈍く」するしかないのだろうか。だが、心のどこかではまだ、遥と同じ光を見ている。それだけは、確かだった。




