6-2(隼人) 風見鶏
省の執務室の明かりはいつもどこか冷たく、書類の白が目に痛い。
資料の束に目を落としながらも、頭の片隅では先日の父との会話がくるくると回り続けていた。
「人を散り散りにしない」——父の言葉にも一理ある。だが、そのことと、心が納得することは別だ。
遥へのメールは自分の手で送った。いや、送るしかなかった。だが、あの一行を打って送信した後、少しの後悔が襲ってきた。遥に何も説明できていない。
そして交換日記は誰に見られるかわからないので、最低限の要点——自分の父と上司の関与、採掘の継続、確たる証拠なし——だけを書いて百葉箱に入れた。そもそも、あの「手の合図」に気付いてくれて、日記を見つけてくれただろうか。そして、その内容がきちんと伝わっているだろうか。確認する手段はない。
父は、業務を通して僕の回答を見せるように言った。言葉通り、裏の仕事に従事し、貢献するように、と。仕事場では表向きの仕事をこなしつつ、裏の仕事にも従事しなければならない。
早速、会議室で神谷課長と二人だけで打合せをしている。
「先日の話の続きになるが、旧秋山町に人が戻ることで、採掘場の存在が公然化するリスクがある。表に出ると困る、だが事業は継続したい。これをどのように実現させるかどうか」
今朝受けた指示に対して、お互いの意見を言い合う打合せがこの夜の打合せだ。
「まずは考えを聞かせてもらえる?」と課長が言う。
「はい。まず前提条件として検討すべき大きな二つの方向性があります。一つは、その存在を公然のものとしても構わない場合、もう一つは決して公にできない場合です。」
僕は説明を続けた。公にしていいならば、最も扱いやすいのは「国の施設」と見せかけること。民間の施設がここに突然現れるのは説明が難しい。だが、自衛隊や防衛省の関連実験施設ならば、説明はつく。演習や技術検証を理由に人の出入りや特定の車両の往来を正当化できる。表向きの名目を付ければ、これまでの現地での活動についても説明がしやすい。
——しかし、公にできないのであれば、現状の運用をより厳格にして続けるしかない。立ち入り制限を徹底し、動きがあるときは基本的に夜間のみにする。発破や掘削の音は自衛隊の演習音で隠す。要は見えない形で回していく。
「そうだよね。以前先生とブレストで話している時もほぼ同じ内容だったよ。で、暫定的な方向性としては、今あそこを運営している組織の衣替えをする。防衛省の外郭団体っぽい箱——仮称『一般財団法人 防衛技術開発機構』。で、その法人設立とか、書類の体裁とか、外見だけの運営母体の移し替え作業を一通り進めてもらいたい」
言葉に含まれたニュアンスは明白だった。断る余地はない。
その場では無表情を装い、「承知しました」と答えたが、胸の内は騒がしかった。自分は一体どこまで手を貸すのか。父の言う「人を散り散りにしない」という正義と、やっていることの性質、思想のズレが大きく胸を圧した。
結局、自分も「裏稼業」に加担することになった。だが、机上で企画をこなすだけではない。実地で現場を確認する必要がある、ということで、後日課長と二人、一泊で採掘場へ行くことになった。拒否する選択肢は最初から用意されていなかった。
頷いた瞬間、胸のどこかで小さな音がした。引き返せない一線を踏んだ音だったのかもしれない。
***
出張当日。新川駅の空は薄曇り。自分の気持ちと同じように晴れていない。いつも通りレンタカーで分屯地に入る。特殊外来の腕章とネックストラップを受け取り、車を中へ進める。
外来駐車場で車を降りたが、ふっと視線が流れた先で、遥が台車を押してこちらへ向かってくる。そしてこちらに気付き、胸の高さで軽く手を上げた——交換日記の合図。グーからパーへ、一拍で開く。
近寄ることも、言葉を交わすこともできない。課長も隣にいる。ノートでの返事をすぐにでも確認したかったが、夜まで確認は難しそうだ。
そのまま僕と課長は旧小学校棟に向かう。事務室の一角にある打合せスペースで採掘場の担当者と合流する。彼らの車で採掘場へ向かう。
「秋津さんはこちらのご出身なので前段はご存じでしょうが、施設の概要を一応…」
助手席に座った事務方の男性がこちらに顔を向けながら、走り出した車内で落ち着いた声を出した。
「秋山鉱山は二十年前まで光学用の鉱物を採掘していました。望遠鏡やカメラレンズ向けですね。その採掘と加工が旧秋山町の主要産業でした。ですが、採掘量が年々減少し、二十年前の地域再生促進法で移住促進地域に指定されたことをきっかけに、採掘を終了することになりました。同時に、日本ではほとんど採掘できなかった複数のレアアースが眠っていることがわかり、現在ではレアアースの採掘場となっています。電気自動車や風力発電のモーターに使う高性能永久磁石の原料ですね」
窓外に、褪せた看板が過ぎる。「秋山産業株式会社」の文字。辛うじて読める。建屋は昔のまま使用しているようだ。
遠くから建物の一部は見えていたが、実際にこの場所に来るのは久しぶりだ。と言っても小学校高学年の社会科見学で来ただけなので、ぼんやりとした記憶が残る程度だ。
神谷課長が囁く。「情報の取り扱いには気をつけてね。まだ試用期間中だから」
余計なことはするな、ということだろう。
鉱山の坑口付近は静かだ。発破や大規模掘削機を動かすこともあるそうだが、そうでなければ地上にまで音は響かない。
坑内から上がる含有率数パーセントの岩石は、ここで簡易破砕され、夜間にダンプカーで搬出されている。
僕は質問を最小限に抑え、目で覚える。ゲートの監視カメラ、屋外照明の配置、フォークリフトの動線。
別の建物の中へ入る。外観は昔のままだったが、中は明らかに改修工事がされている。中にはダンプカーが二台停まっている。
「気付かれましたか」と事務方が声を掛ける。「外は変わっていませんが、中はアップグレードされています。特に防音対策ですね」
そして事務棟に移動する。通された三階の会議室の窓からは、町内の一部が見える。恐らく最初に見た明かりはこの部屋の明かりだったのではないだろうか。
二人掛けのテーブルが六つ、長方形を作るように並べられている。窓側に僕と課長が座った。しばらくして、白髪の男性が一人入って来て向かいの席に座る。
隣に座った事務方が「所長の木島さんです」と紹介した。
「どうも。木島です」という一言の後に、「先生からも聞いてますが、秋津さんのご子息なんですね」とすぐに僕の話題をし始めた。
「ややこしくなってしまうので、今は下の名前の隼人さんと呼ばせてもらいますね」
「はい。父のこともご存じですか」
「もちろんです。私も元々秋山の出身なので、お父さんのことは知っています。それから……」木島さんは話を続ける「隼人さんは望月君のお嬢さんと同級生なんですね」
遥のことも話題になる。
「はい。遥さんとは同級生です」
「私はここで秋山産業の時代から働いていますが、望月君はその時に後輩でしてね……」
遥が言っていた通りだ。
「彼は事務職でしたが、私の他何名かの技術職はそのまま形を変えてここに残ることになりました」
「ご家族もあったでしょうが、移住促進区域に指定された時はどうされたんですか」
「どうもこうも、選択肢が限られていたので家族で新川に移住して、私は単身赴任のような形でここに通ってましたよ」そういって笑う。「とは言え、秋山鉱山は形としては廃鉱になっていたので、秋山分屯地の設備管理の仕事をする、という名目で家族には言ってましたね」
「私は中学生だったので、両親の決断に従うだけでした。その当時の親御さんたちは職探しから何から、色々ご苦労されたんだなと、自分が大人になってから実感しました」
「私にもっと能力があれば他の選択肢もあったかもしれませんね。ですが、あの時先生にお声がけをいただいてここまでやって来られたのも、それはそれでよかったと今は思っていますよ。ところで——」そういって木島さんは話を本来の方向へ持って行った。「神谷さん。再都市化の対策の進捗はいかがですか?」
「はい。ここを借りている法人は東亜開発工業株式会社から、仮称ですが、一般財団法人 防衛技術開発機構に変える予定です。そして、表向きは防衛省・自衛隊の装備品の開発や実験を行っていることにしますが、実態については今まで通り採掘作業をしていただくことになります」と神谷課長は先日の打合せの通り答える。
「なるほど。私もそちらに移るの?」
「いえ、木島所長は数年前に東亜開発の役員にご就任いただくために雇用元が変わりましたが、今回はそのままになります。他の職員も従来の下請け会社に所属したまま、先程の財団法人から業務を下請けする形で勤務していただきます」
「わかりました。で、再都市化については現実的に進む予定なの?」
「はい。まだ外注業者が調査を開始したばかりですが、社会情勢を鑑みると避けられないと思います。復興事業にお金をかけるよりはこちらの方が間違いなく安上がりになるので、政府としても予算をつけるでしょう」
「そうですか……」木島さんはため息をつきながら言う。
「秋山の出身者としては、故郷の再興を喜ぶべきなんでしょうが、事業者の立場からすると手放しでは喜べませんね」と言ってこちらを向くので、僕は愛想笑いを浮かべる。
現場見学、打合せを終えて秋山鉱山を後にする。
日が傾く頃、分屯地へ戻る。
消灯前、百葉箱へ向かった。昼間と違い、分屯地の空気は穏やかだ。百葉箱の周囲は雑草に囲われていて光が届きにくく薄暗い。スマートフォンのライトを片手に百葉箱に近づく。蝶番が、低く鳴いた。中にノートが差し込まれている。ページを開く。インクの線が、懐かしい筆跡でこちらを見返した。
——「証拠なし、仲間を集めて公に」
短い。だが、十分だった。証拠はない。だから、仲間を集めて公表する。彼女は「個」で抗うのではなく、「集団」で光を当てるつもりだ。
ノートを閉じ、服の中、背中の肌に触れるところにしまう。
夜風が、かつての校庭を撫でた。ここに再び子供たちが駆け回る日は来るのだろうか。「再都市化」が机上のものではなくなる日を想像する。
自分の外来宿泊室に戻る。
眠りに沈む直前、父、課長、遥の顔が、同じ距離で並んだ。僕は、その時に吹く風に任せた風見鶏のようになっていた。




