第40話 くそババア
カーテンの隙間から差し込む白い光が、キッチンの上に散らばった昨日の残骸を無遠慮に照らし出した。一之瀬がいなくなってからというもの、夕食は当番制になったが、昨日の私が面倒で放置した汚れがそのままこびりついている。
「……片付けくらい、雷門にやらせればいいわよね」
独り言をこぼしながら、朝食の準備に取り掛かる。一番早く起きる私が担当することになっているが、レパートリーはあいつに叩き込まれたサンドイッチだけだ。出来上がった皿にラップをかけ、私は重い足取りで訓練場へと向かった。
「あ、おはようございます!」
薄暗い廊下を歩いていると、背後から弾んだ声がかけられた。振り返った先にいたのは、神崎叶だ。こちらの心の摩耗など知るよしもないといった満面の笑み。その輝きが増すほど、私の中のどす黒い感情が静かに胸から脳を支配していく。
「……おはよう、地下を貸してくれてどうもありがと。あんたのおかげであの無駄にでかい場所をふんだんに使えるわ」
「いえいえ、皆さんで生き残るためですよ!互いに頑張りましょうね!赤羽さん!」
私たちが向かっているのは今までの訓練場とは違い、バトルロワイアルで使ったあの地下だ。あのバトルロワイアルで優勝したチームである神崎チームが手に入れた地下を、神崎からの提案で私たち三人も使わせてもらうことになった。
「それで、あの二人は?今日はあいつらと戦うつもりだったんだけど」
「織田さんと菅原さんですか?私が起きた時にはいませんでしたし、もういらっしゃると思います」
「ふぅん……」
今日はあの二人と2vs1の予定だった。能力アリなら負けることは絶対にないが、それではだめだ。
花音が殺された日、私は一之瀬に手も足も出なかった。能力以前にアニマでの身体強化の質で圧倒された。なら私もあいつと張り合うレベルで使いこなさなければいけない。
「赤羽さん、そんなに怖い顔してると、せっかくの綺麗な顔が台無しですよ!」
神崎の屈託のない笑顔が、今の私には何よりも癪に触った。あの日、私たちは仲間を失い、あいつは人間を捨てた。
この地下に満ちているのは希望なんかじゃない。いつかあいつを食い殺すための、どす黒い執念だけだ。
「着きましたね」
薄暗い廊下とは違い、地下は地上と変わらないほど明るかった。人工的に作られた太陽を浴びると本物同様体が暖かくなる。
準備運動を終えたころで、ようやく雷門と橘が姿を現した。欠伸を噛み殺しながら歩く橘と、それを苦笑いで見守る雷門。一之瀬がいた頃とは決定的に違う、どこか欠けたような三人の空気が、明るすぎる人工太陽の下に晒される。
「遅い、何時だと思ってるの?」
「え~、まだ9時じゃん。そういう優ちゃんは何時に起きたのさ。いつの間にかいなくなってたし」
琴佳が怪訝そうに、それでいて今にも睡魔に屈しそうな声で聞いてくる。よほど早起きが苦手なのか、不機嫌さを隠そうともしないその表情には止めどなく溢れ出す文句を必死に飲み込んでいるのが見て取れた。
「5時よ、言っとくけど普通だから」
「……くそババアじゃん」
「あの二人から相手にしようと思ってたけど、予定変更よ。琴佳から相手してあげる」
そこから渋々といった感じに琴佳との訓練が始まった。結果的には私の勝ちだが、体力の差で勝敗が決まった勝負だったため嬉しさはなかった。
「前から思ってたけど、優ちゃんってスポーツしてた?体力すごいあるよね」
大の字で寝ている琴佳を見下ろしながら、談笑が始まった。
「一応中学生の時薙刀で全国に行ったことあるわよ、といっても姉さんに比べたら屁でもないんだけど」
姉さんは本当に化け物だ。年が離れているから同じ大会に出たことはなかったが、姉さんも薙刀で全国に行った強者だ。
「それなら俺も知ってるぞ、確か空手と柔道と……あとは忘れたけど名前に『道』がつくスポーツをやっている人間で赤羽董を知らない人間はいないって言われるぐらい有名だぞ」
筋トレが終わった雷門が会話に入ってきた。雷門が言っていることは間違っておらず、華奢な体をしているくせにスポーツで姉さんは有名だった。
自信家である私だが、能力ありの戦闘でも姉さんに勝つ日は一生来ないだろう。『氷の女帝』なんて呼ばれて、今は確かラグナロクの代表候補。どれだけ化け物になるのだろうか。
「あんたたちは兄弟いるの?」
「俺はいないな」
「私はお姉ちゃんがいるよ。優ちゃんと同じで、結構歳は離れてるけどね」
その言葉を聞いた瞬間、すとんと胸の支えが取れたような感覚があった。
自由奔放で、自分の感情を隠そうともせず、どこか誰かに甘える術を知っているあの振る舞い。
(……やっぱり。いかにも末っ子だと思ったわ)
心の中で深く頷きながら、私は確信を持って次の問いを投げかけた。
「へぇ……で、そのお姉さんはどんな人なの?」
橘の自由奔放で気に入らないことがあればすぐ顔に出る性格だ。きっと姉の方はそんな妹を『はいはい』と笑顔でいなすような、肝の据わったおっとり系に違いない。優しすぎて、逆に橘が頭の上がらないタイプなんじゃないだろうか。
「凄いナルシスト、あと王子様系アイドルしてる」
(……事実は小説より奇なり、とはこのことね)
談笑はそこまでだった。私たちは各々の持ち場へと戻り、再び己を追い込み始める。目標はただ一つ、裏切り者の一之瀬大和を殺すことだ。
人工太陽に照らされた地下訓練場には、再会という名の決戦を待ち望む鋭い殺気だけが満ちていった。




