23.きみの幸せ
私の認識は間違っていたのかもしれない。
目の前の事態を見守りながら、私はそんなことを考えていた。
深々と、腰を90度以上折り曲げて頭を下げたクロウ先生のことを、メドゥーサたちの母親は黙ってじっと見つめている。
メリッサがクロウ先生に向けていたような、執着はない。
メディナちゃんが心の奥に抱えていたような、寂しさもない。
ただそこにあるのは、まるで本物の母が子に向けるような思いやりの視線だ。
やがて、頭を上げないクロウ先生の姿を見て、メドゥーサはため息をついた。
「それがあなたの幸せだ、というのですね」
ゆっくりと、メドゥーサはクロウ先生の方へ手を差し伸べる。
そこに握られているのは、小さなガラス瓶。
中は琥珀色の蜜のような液体で満たされている。
クロウ先生はそこで初めて頭を上げ、小瓶をまじまじと見つめる。
「これは……」
「メドゥーサの血です。メリッサから、街の石化を解く方法は聞いたのでしょう?」
「……はい」
遺跡の奥の部屋で起こった出来事は、なぜか彼女には筒抜けらしい。
クロウ先生は、バツが悪そうに返事をする。
あなたの娘をさっきまで尋問していました、なんて認めるのは複雑な気分だろう。
しかし、メドゥーサが怒る気配はない。
むしろ気にかけるような声音で彼女は続けた。
「放っておけば、自分の血を使い切ってまで街を救いそうな顔をしていますからね。あなたは」
「わかっているなら、なぜ……」
メドゥーサの指摘は図星だったのだろう。
クロウ先生は、苦笑しながらごまかすように質問を返した。
なぜ、クロウ先生の性格を理解していながら、王都を攻撃したのか。
人質にするだけならまだしも。
約束を反故にして王都の危機を招くなんて、クロウ先生がいちばん嫌がることだ。
私も引っかかっていたから、つい気になって体が前のめりになる。
そんな私の様子は気にもとめず、メドゥーサは変わらない調子で言った。
「わかっているからこそですよ。これ以上、あなたが人間のために消耗しなくていいように、と行動した結果です」
消耗。
その言葉が、私の胸にトゲのように刺さる。
先ほどまでの恐怖や絶望も忘れて、私は思わず口に出していた。
「消耗、って……勝手に決めないで」
メドゥーサもクロウ先生も目を丸くする。
私が会話に入ってくるとは思っていなかったのだろう。
私はなんとか体を起こし、その場でゆっくりと立ち上がる。
「クロウ先生の生い立ちとか、私はこうなって初めて知りました。でも、先輩たちはずっと前から知ってた。そうですよね?」
確認するようにクロウ先生に視線を向けると、先生は頷いた。
「ああ。どうせ戦ううえでは隠せない。伝えておいたほうがいいだろうと……」
予想通りの答えが返ってくる。
私にだけ伝えていなかったのも多分、不都合があって隠したかったからじゃなくて。
魔物恐怖症である私を慮ってのことだ。
「クロウ先生の周りにいる誰ひとりだって、クロウ先生を色眼鏡で見たり、利用したり、魔物の血を引いてるからって嫌ったりしません。大切な仲間として、一緒に生きているんです!」
だから、人間の世界でクロウ先生が“消耗”させられているなんて、言われる筋合いはない。
私は、自分の身長よりずっと高い位置にあるメドゥーサの顔を、まっすぐに見上げる。
「だから……クロウ先生は、私たちが幸せにしますから!」
沈黙。
メドゥーサは眉をあげて、私の顔をじっと見つめている。
この人が魔法を使えば、私はここにいないマギスの先生たちや、後ろで固まっているケルクックのように、一瞬で石にされてしまう。
怖くないわけないけれど、不思議と私の体は震えていなかった。
数秒のあと、メドゥーサは目を閉じ、ふっと息を吐いた。
穏やかで、少し寂しそうな表情で、彼女は笑った。
「そう。それなら、安心です」
そして、歩き出す。
私たちのそばを通りすぎて、私たちがめちゃくちゃに破壊しながら逃げてきた、遺跡の奥の方へと向かう。
その先には倒れたメディナちゃんと石室に閉じ込められたメリッサがいる。
きっと助けに行くのだろう。
私たちは、ここから出ることが許された……んだと思う。思いたい。
ほっと息をつく私を見て、クロウ先生は照れくさそうに、ぶっきらぼうに言った。
「……ありがとう。じゃあ、帰ろうか」




