*その銃口の先12*
アスランの胸をそっと押して、ルリが「アスラン」と呼びかけとき、統べてのことがほぼ同時に襲いかかってきた。
強烈な爆発音が辺りの空気を震わせると、脆くなっていた教会の天井が次から次へと落下を始め「あぶない」というアスランの声すらもかき消される。
ルリの腕を取って近くの机の下に飛び込もうとしたが、刹那の差で腕を捕まえる事は出来ず、舌打ちをする時間すらもないまま両腕で頭を庇い石で出来た祭壇の下に入り込み轟音をやり過ごす。
音が静まり、ルリを探すためそして辺りの状況を確認するためにそこから這い出れば、目の前には先ほどの男に庇われているルリがいた。
砂埃の一つすらも降りかけるものか、と言わんばかりにルリを庇うその男に再び激しい嫉妬を覚え睨み付けるようにラシードを見つめていたが、男の胸で唇を噛みしめ震えるルリを見ていたら、怒りは直ぐに収まった。
けれど、今度は怒りとは違う感情が襲いかかる。
今までルリが泣きたいとき、泣いたとき何度も抱きしめて慰めたのに、この時は手を伸ばすことも抱きしめることも出来なくてアスランは途方に暮れた。
過去にしてきたように抱きしめて、そっと頬に触れればいいだけなのに、それが出来ない。
互いの立場の違いを嫌というほど知ってしまった。
アスランの立場をルリがわからないように、アスランもルリの抱えているものや立場はわからない。
立場の違いを改めて知らしめているかのようにルリとアスランの間には、崩れ落ちた天井が瓦礫となって堆く積もり駆け寄ることを妨げている。
天井の抜けた教会の上空を味方の戦闘機が飛んで行くのを目で捉えると早々に帰還しなければならないと、頭では解っていたがすぐに踵を返してこの場を去ってしまうことは躊躇われた。
何を間違ってしまったのか、どこでどう二人が別れてしまったのか。
理由ならばいくつも思いつくが、思いついたところでこの事態を解決する糸口は見つかりはしない。
けれど次の瞬間、アスランはルリに右手をさしのべていた。
司令室での会議が終わり人気のない食堂で、腕を組み足まで組んで話を聞いていたルクが「そっか…」と小さく呟いた。
その場にはラシードもいたが、ルカが事細かに何があったのか話をする間、一度も口を挟むことはなかった。
「アスラン……びっくりしてた。勿論……僕も驚いたけどね」
いつも皮肉と嫌みを吐き出すルカの口も今は鳴りを潜め弱々しい響き。
「ルリの気持ち……やっぱり……あんな形でアスランと逢ったら、僕も泣きたくなったよ。大事な幼なじみで、親友で……」
言葉を切って唇を噛みしめるルカの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
間違っていると、何度もつぶやいた。
けれど、その呟きが喉を通り過ぎ唇からこぼれる前に、ルカの名前を呼ぶ別の唇を塞ぐ。
彼女の唇から求めるように何度も呟かれる自分の名前が、耳に届くとひどく不快で耳障りな気がした。
ルリの心地のよい信頼と親愛の音ではない。
ランが呼んでくれた慈愛の音でもない。
ラティーナの朗らかな音でもない。
ただ甘いだけの、ただ快楽をむさぼるだのその音が滑稽で不潔な感じがした。
彼女からの口付けを拒否しないまま受け入れて慰めを求めたのに、その行為自体が不愉快だった。
体を支配する快楽は、もっと深く、もっと強くと訴える。
それが堪らなく汚らわしいことに思えて体の別の部分から急激に感情が冷え始めた。
快楽をねだるように彼女の手が背中を抱きしめた瞬間、こみあげる嘔吐感にも似た気持ち悪さを押し払うようにルカは彼女の身体を強く押し返した。
熱を含んだ快楽を取り上げられたローナは何事が起きたのか理解できないまま、しばらくは自分の身体に留まっている甘い熱に浮かされていたが、急激に襲った冷たい空気に現実に帰る。
ベッドに横たわったままのローナが「ルカ」と声をかけるより早く、ルカはベッドから立ち上がり床に落ちていた薄手のシャツを拾い上げた。
愛撫の痕も露なローナと違い自分はシャツを脱ぎ捨てただけという二人の姿の落差に押し込められない嫌悪感が襲う。
ルカの様子に何かを感じたのか、ローナがもう一度「ルカ」と名前を呼んで腕を差し伸べたが、間髪いれずに振り払うと「またね」と笑って、その部屋を後にした。
先ほどまで甘い空気に支配された部屋にひとり取り残されたローナは、唇をかみ締めるとルカとは違う名前を呟くと淀み始めた空気の中、気だるげにベッドに横たわった。
自分の心に嘘をついて、体に快楽を刻んでいるのはルカだけではない。
彼はいつも真っ白なシーツの豪華なベッドの上でローナを抱きながら、一度も「ローナ」とも「ローザ」とも名前を呼ぶことは無かった。
何度も名前を呼んでほしいと懇願したのに「そんなことは判っているだろう」と誤魔化した。
それがローナを通して別の女性を愛しているのだと知らされている気がしてひどくローナを傷つけた。
たった一言でいいから言ってくれたら彼を疑うことすらしないでいられるのに、体を愛撫している間すらも「愛してると」と言われないことがローナを打ちのめしている。
なのに、やはり彼を裏切ることができないから、寂しさをルカで満たして自分の心を騙している。
最初からルカが勢いでローナを抱いたのだということはローナ自身もわかっていた。
何度も互いの苛立ちや寂しさをぶつけているだけだということも互いに理解し、その上で関係を続けていた。
けれど、抱かれるたびに、今まで騙していたはずの心にさざなみが起こる。
体だけを愛してるのは、彼もルカも何一つ変わらないのに、ここ数日のルカは様子が違う。
感情を押し殺して気づかないふりをしているのに、快楽を受ける体の方が敏感でルカの気持ちが伝わってくる。
ローナは言い聞かせるように彼の名前を呼んで幸せだと思っていた頃の自分を思い出そうと目を閉じた。
けれど、その瞼に映るのは、愛していた彼の笑顔ではなく、ルカのちょっとはにかんだ様な笑顔だった。
「珍しいなルカ」
ふらりと展望台に姿を見せたルカに声をかけたのはラシードだった。
どこからどう見ても展望台で安らぎを求めるとは無縁な気がするラシードだが「ここは緑も多くて心がやすらぐな」とその場にいた誰もが耳を疑う台詞を軽やかに吐き出して以来、ここに居る事が多い。
精力的で行動的なラシードが、緑に囲まれた静かな空間で読書に勤しむなど想像も出来ない。
だが、実際に目にすれば、この人にこれ以上、似合う場所もない。
砂漠で稟としているとはまた違う姿が、そこにはある。
でも何よりも今、ルカの目を引いたのはラシードの服装だった。
いつもの身に着けている黒ずくめの服やらケープやらは見当たらず、すらりと長い足を黒いジーンズに包み込み白いシャツを着込んでいる。
はだけられた胸元から除くのは、この人の出身地を指し示す褐色の肌。そしてシャツを通しても感じられ鍛えられた体躯。
ルカですらもやはり羨ましいと思わせるに十分な大人の男。
あの時、ルカの幼なじみのアスランの目にもやはり羨望の光があった。
それは当然だな、とこんな姿を見ると思わずにはいられない。
ルカもまだまだ成長段階だが、同じ年齢になったとき、これほどの体躯を持つことが出来るとはあまり思えない。
遺伝子というには時に残酷だ。
だから、過去の人々は欲しい物を手に入れたくて禁忌と知りながら手を染め、全てを手に入れたと信じていた。
その代償がどれほどのものだったのかを知るよしもなく。
ともあれ、ルカの父であるダイが劣っているわけではないが、決して恵まれているとも断言は出来ない。
言うなれば、可でもなく不可でもなく。
どちらかといえば、ルカよりもアスランの方が体格的には恵まれている。
ただ、ルカは自分にない物を羨ましいと思うことはあっても、自分を蔑むことはない。
「ルカ?」
自分を凝視したままのルカに呼びかけたラシードの声は、二度目で届いた。
一瞬、訝しげな表情は浮かべたが、深く追求することもなく気にした様子もない。
ルカはこんな時にはラシードという人物の懐の深さを知らされてしまう。
ルリはラシードのその深さが居心地がいいと言っていた。
幼い頃から守られることを当たり前に享受していたルリだからかもしれないが。
「珍しいね。どうしたの、それ」
「ラティーナに剥ぎ取られた。で、これはルクの服だ」
どちらかといえば楽しげに語る口調に嫌味も不愉快さも滲んではいない。
「あんた何日同じモノを着てるのよ。脱がないと船にいれないわよ、と。柳眉を逆立てて仁王立ちされたら両手を挙げるしかない。他の連中も同じだ…あれは何日着ても平気なんだが、気晴らしになるなら協力しても構わない」
「やっぱり……連邦の攻撃を受けた報告は誤報じゃなかったんだね。僕も滅入りそう」
ルカの表情を見る限りとても滅入っている様子は見られない。が、ルカの言葉尻を取ることはせずに答える代わりに、ラシードは自分が今まで読んでいた書類を手渡す。
ペーパーレスになったこの時代でも、ラシード達の間ではまだフラッシュペーパー等が幅を効かせているらしく、ルカは微かに笑みを浮かべた。
その笑みは書類の中身を知るまでの短い時間だったが。
「誤報であればいいと思ったが、希望的観測で物事を処理するわけにもいかない。現実は現実で替えることは出来ない」
「この艦が向かっているのは…その激戦区? …だよね。それ以外は考えられないもんね。でも、随分と回り込まれたね」
「そこから侵入されるのは想定内だったが、こんなに早く第2派があるとは思わなかった。……もっと余裕があると思ったんだが。ルカの言うとおり、女帝は戦争の仕掛け方も巧いうえに、負け戦はしないというのは本当だな」
「まあ…ディオンは戦乱の申し子と言われてる一族だしね…その言い方からすると、連邦のあの攻撃は帝国と示し合わせた陽動だったってことだね」
ルカから返されたペーパーに、火を付けながらラシードは静かにうなずく。
「ママ達が例の彼と連絡がとれたと喜んでいたのを傍目に、女帝は次の手を打っていたわけだ」
「と、いうことだな。徹底抗戦にも限度はある。こっちには戦闘機の数も限られているからな」
「この間、それは反乱分子だから一緒に戦ってくれとか言っていたのに、もう態度が変わってるんだから、ホント、女帝ってすごいよね」
「おまえさんの親戚だろ」
「感謝してよ、僕たちの一族があの女帝とは反目してるってこと」
軽やかに返答されてラシードは「それもそうだな」と頷いてしまった。
ラシードは女帝に直接逢ったことはない。
そもそもこの艦に乗務している人間の中で女帝に直接逢ったことがあるのは、ルリとルカの二人だけだ。
ブルームにいた頃も、二人はどちらかといえば、カーディナル家の子供達であったのだから、女帝と縁続きであることは忘れがちだ。
けれど時々、ルカが纏うヒンヤリとした含みのある空気や、微かにルリが垣間見せるある行動を見ていると、なるほどな、と思うことがある。
「あの映像をを見て…自分たちが向かっている場所がその場所だと知らされれば誰もが気分も滅入るだろう。前回とは…まったく違ってしまっている」
「だ、ろうね」
その後は二人とも、ただ静かに窓の外を流れる景色を見遣っていた。
朝になればヴィマーナは、激戦の中に躍り出る。
艦内の張りつめた空気も、どことなく漂う切望間も、あえて今は封印して。




