*見失う未来3*
「まったく嫌になるわね、こんな時になんて迷惑な女が生きてるのかしら。確実に仕留めておけとあれほど命令したのに」
報告を受けた途端、手にしていた羽の付いた扇を忌々しそうに投げつけた。
それは誰に当たるでもなく敷き詰められた赤い絨毯の上に音も立てずに墜ちたのが、それが、なお一層忌々しさを募らせた。
「いかがなさいますか、陛下」
自分の目の前で恭しく頭を下げている男を見遣ると、フラーミングは気を取り直すように一度だけ息をゆっくり吐き出した。
先ほどまでの激昂をしまい込んで急にクスリと笑う。
何かにつけて諍いの絶えなかった相手が生きていて、さらに自分の邪魔をしようとしていることに苛立ちは感じるが、自分の手で直接始末をつけなかったツケが回ってきているのだと思えば、腹を立てたところで解決する訳ではない。
冷静に考えれば、今度こそケリを付けられるならば、好機ととらえることも出来る。
「で、その女じゃないわね、畏れ多くも先の正婦人様はいまどこに居るの?」
「アンタレスです」
「やはり其処に逃げ込んでいたのね……まったく、宗教なんてロクな事をしないわね。わたくしから見れば、アンタレスとてコクーンに住む連中同様に宇宙に住む野蛮人には変わりないけれど。議会で随分とメルヴィル派が元気だと思っていたら、影に正婦人がいたということね……」
「どうなさいますか……」
「殺しますか」という言葉を敢えて口には出さずに視線で女帝の命令をまったが、彼女は口元に笑みを浮かべながら「なにもせずともよい」と告げた。
「よろしいのですか?」
「よい、デュオンにいる能なしを、一掃したいと思っていたところなのよ。それに今ブルームに潰れられても困るわ。暫くは、高見の見物をさせてもらうわ」
「メルヴィル派はよろしいので?」
「あとから罪を被ってくれる人がいなくなったら、それこそ困るでしょう。理想を言えば連邦にコクーンを壊滅させてもらって、その連邦をブルームが片づけてくれれば良かったけれど……まあ、そこまでは無理ね。ただし、あの女があの時どうやって抜け出せたのかは調べなさい。協力者がいるはずよ」
「はい」
「カトリーヌ様、わたくし、皇帝陛下の御子を身ごもっておりますの」
人々のすすり泣き声や不安な声、これからの事をどうするのかと指示を飛ばす文官の声が入り交じるその部屋。
みまかったばかりの皇帝の骸にすがりついて涙を流していた女性は、弾かれたように涙に濡れた顔を上げた。
そこには悲しみに涙を浮かべるでもなく取り乱すこともない、どちらかといえばこの状況すらも楽しんで嘲笑わんばかりの表情を浮かべた一人の女性がいた。
誰もが褒め称える豊かな金色の長い巻き毛、ガラス玉のように澄んだ瞳は、暖かさや温もりは感じられないが、美しい顔を彩ることには成功している。
まだ一九歳の女性とは思えないほどに妖艶な人物だった。
大きく開いた胸元には、つい先ほどまでの情事の痕が色濃く残され、胸の谷間には鬱血した痕が情事の生々しさを物語っている。
誰もがそこに目を向け、ある者は視線をそらし、ある者は眉を顰めているが、彼女は全く意に介した風もなく逆に堂々としたものであった。
このような姿を男が見れば、その肌を、その身体を称賛し自分の閨にと思うのは間違いないだろうが、齢六〇を過ぎた皇帝には毒でしかなかった。
つい三〇分ほど前に、皇帝はカトリーヌの目の前にいるフラーミングの目の前で心臓発作を起こしたあげくに死亡したのだ。
俗に言う腹上死と呼ばれるもので。
六〇歳を過ぎてから皇帝が娶った側室のフラーミングは、後宮に入ったとき、まだ一六歳の少女だったが、美しさと賢さは他よりも抜きん出ていた。
それだけではなく身体に流れるのは皇帝が愛して止まないデュオンの血。
皇帝はこの少女が後宮に入ったその日から、毎日のように伽をさせ、ことあるごとに自分の傍らに侍らせた。
正婦人であったカトリーヌは地位をフラーミングに奪われたが、それでも皇帝の躯を思い伽も程ほどにとそれとなく進言したのだが、彼は「よけいなこと」だ、とばかりに一笑し死亡した。
「カトリーヌ様、聞こえませんでしたの? わたくし皇帝の子を妊娠しておりますの」
二度目の声には先ほどとは違い、絶対的な音が含まれていて、その場にいた誰もが悲しみや慌ただしさも忘れて、声を発した人物であるフラーミングを見遣った。
「……それは、間違いがないのですか」
カトリーヌは身体を起こし、背筋を伸ばしてフラーミングと向き合うと、努めて落ち着いて声を発したが、最後の方はかすれてしまった。
「間違いございません。陛下にしばらく伽は無理だとお伝えしましたら急に激昂されました。お止めする間もなくこのような事態になりましたの。残念ですわ、陛下にお子をお見せできなくて」
感情すらも込められることのないフラーミングの声。
静かになったその部屋の中で絶望的な声をあげたのは、次期皇帝候補であった第一王子で、誰もかれもがその第一王子に同情の目を向けた。
本来ならば転がり込んでくるはずの地位を逃しかねない人物への哀れみではない。
フラーミングが皇帝と王子の両方と関係を持ち、夜な夜な同衾しているのを、ここにいる誰もが知っているからだ。
それは、カトリーヌも十分承知していて、何度も、息子と夫を諫めていたのだ。
にもかかわらず、皇帝も第一王子も彼女との逢瀬をやめようとはしなかった。
だから、いずれこんな事が起きるのではないかとも思っていたのだ。
夫ならず息子までもが、カトリーヌの目の前にいるフラーミングに良いように操られていた。
それを知っていながらカトリーヌにはどうすることも出来ずにただ手をこまねいている間に、事態は思わぬ方向へと転がり始めている。
どちらかと言えば悪名高きデュオン家は、帝国内の一地方の大貴族でしかなかったが、その有り余る財力によって幾度となく帝国を助け、王家と婚姻によって血のつながりを持ち今の地位を築きあげた。
今日では当然のことのようにデュオン家の血を引く子供が皇帝になるという図式すらも作り上げてしまった。
しかも、カトリーヌの目の前にいるのは、デュオン家の正当な血筋を引いたたった一人の女性であり、現在の当主が亡くなれば、デュオン家当主になる。
その女性から生まれるのが男の子ならば、間違いなく皇帝となり、フラーミングは帝国の事実上の女帝として君臨することになる。
連邦との諍いが絶えない今日では、デュオン家の力は絶対に必要であるから、彼女の産む子供がその地位に就いたとしても誰も文句は言えない。
デュオン家は分家であるカーディナル家もカーディナルフェル家とともに、今や地球圏の経済の全てを掌握している。
「カトリーヌ様、私の子が生まれるまでは新皇帝の承認の儀はお待ち戴けますわね」
冷たいガラス玉には切っ先のような鋭さが宿っている。
享楽的で女性にだらしのなかった皇帝は、政治のことは家臣達に任せきりで、それがデュオン家の台頭を許す一因でもある。
幼い頃から同じ宮殿内で育ち、生まれながらにして婚約者同士であったカトリーヌには長年連れ添った大切な夫でもあった。
その夫の愛情が自分より遙かに年下の少女に奪われただけでなく、王家の正当な血筋でありながらデュオン家の血筋に屈し正婦人の地位までも奪われた。
必死に自分を律してきたのだが、その結末がこれだと思うと憎々しさも通り越して呆然とするしかない。
その後、気を失ったのは彼女にとっては幸いの何物でもなかった。




