*歪む戦場6*
「出来れば逃げて欲しいな……」
アッシュは誰にも聞こえていない事を知った上であえて口にした。
進んで参加したい作戦ではないが、自分立場では命令に従うしかない。
どれほど理不尽で納得の出来ない作戦だとしても、それが上からの命令ならば従うしかないのだ。
マリーに「出るのか」と聞かれて肯定の言葉を返したとき、自分が思っていたより弱々しい声しか出なかったことが、今思えば随分と情けないようにも感じる。
だが、本音を言ってしまえば誰か一人にくらい自分の気持ちを理解して欲しかった。
そういう意味でマリーが心情的にアッシュと同じであることは、直感的に分かっていたし、
そしてマリーならば絶対に同じだという思いもあった。
多分、あの場にタイスとアスランがいたのなら、同じ反応をしていたとも思う。
先日、短い時間を利用して再会したアスランとタイス。
アスランから「軍人としてではなく俺個人の意見を問われたのなら、ブルームに弓は引きたくない」と素直に打ち明けられて、思わず絶句した。
「帝国が相手だから戦える。だけど、ブルームだったら解らない」とタイスからアスランが洩らしていたと聞いて、その心情を思って哀れになった。
けれど、アッシュ自身も同じ思いだ。
ブルームに特別な思い入れがあるわけではないが、上の命令が詭弁だと感じる以上、敵だと思えといわれても思えるはずがない。
だから逃げてくれればいいと思う。
立ち向かってこなければいいとも思う。
それでも、これだけ攻撃されれば相手方が防衛のために迎撃してくるのは当然で、その成り行きにもアッシュはやりきれない思いを抱えた。
ただ、逢いたくて。
自分が手にしていたモノの恐怖を初めて知った
呪文のように唱えても、その声が届くことはない。
それでも震える唇から出てくるのは、アスランの名前だけで、目を瞑ればまぶたの裏には優しい笑顔で手をさしのべるアスランが居た。
「アスラン……」
聞こえるはずがないと解っていても、呟かずには居られない名前は、今ルリたちに攻撃を仕掛けている敵方にいる。
目を背けたくて、知らない振りをしたくてこの期に及んでもまだ、都合の悪いことを封印しようとするルリを、現実が許すはずもない。
慌ただしく下されるラシエルの号令も、ひっきりなしに鳴る計器の音も、普通とは違う音が渦を巻いている艦橋で、ルリに答えを押し迫っていた。
出撃する直前まで行かないでと懇願するルリに「逃げるだけ逃げ回って時間をかせぐから、ルリをちゃんと守るからね」とルカは笑みを浮かべ、安心させるために軽く抱きしめてキスをしたが、ルリはぎこちなく受け止めるしか出来ずにいた。
ルカの身につけているパイロット用のスーツがヒヤリと冷たくてルリの心まで凍らせた。
入れ替わるようにして補給の為に帰投してきたルクは、憮然とした表情のまま運営士官と激しいやりとりをしていた。
その様子すら、ルリはどこか遠く感じていた。
耳元で整備主任であるボブの補給完了を知らせる大声すらも遠く感じ、自分達の今置かれている現状を思い出して盛 大な舌打ちをするルクの姿すら、霞んで見えた。
再び出撃するためにウィッシュに乗り込んでいったルクは、ルリに何事かを言っていたがその声もルリの耳には届いてこなかった。
どこにも行き場のない自分の存在も不安で、初めてルリは戦闘員と非戦闘員の違いを肌で感じた。
非戦闘員としての自分たちの立場が、この艦においてどれだけ不安定であるかを悟った。
だからといってもう一度あの鋼鉄の巨人に乗る気はなかった。
ここでアレに搭乗するということは、操縦桿を握るということは紛れもなく戦争に参加することであり、確実に敵機を撃ち落とすことに繋がり、果ては自分の手で誰かの命を奪うことを意味している。
ルクは出撃する直前ラシエルに、ルリに監視を付けるかもしくは艦橋に置くように指示をしていった。
それを聞いた運営士官が苦虫をつぶしたような厳めしい顔をしたが、無表情のまま青ざめているルリを見てさすがの彼も強く反対することはなく、そして監視に割けるように人員もないなからと、ルリの艦橋への入室を許可した。
無表情のまま微かに震えていたルリは、今にも倒れてしまいそうだったが、目だけでしっかりとモニターを見つめていた。
その場にいた他のクルー達の誰もが声をかける余裕もなく、敵の増援部隊が合流し空域での交戦がより一層激しさを増したとき、艦に向かって別の艦隊があと一時間程で合流すると策敵係が報告すると、ラシエルが瞬時に顔色を変え、それをルクに告げた。
わずか2機でこの空域を戦い抜くことが不可能なのは、誰の目から見ても明らかだ。
だが、これから月に援軍を求めたところで間に合うはずも無い。
この時ばかりはルクも絶句していた。
ルリはまだ現実を受け止め切れず、それを振り払うかのように「アスラン」と名前を呼んだ。
その名前を呟いたところで現実が変わる訳でもない。
目の前で飛び交う砲火が明るく照らし出す戦場を見ているうちに、忘れていたはずの記憶が様々と蘇ってきて、無音の世界が鮮やかに色を帯び始め、今まで聞こえなかった音の洪水が突然ルリを襲った。
空港で手を放した隙に姉を失った。
空港で別れたままのアスランと分かり合えないままに離れてしまった。
そして今「ルリを守るからね」と言い残し出撃していった半身が二度と帰ってこないかもしれないという恐怖は、ルリの足元から忍びあがってきた。
敵に撃墜されればルカは死ぬ。敵に船を撃沈させられれば自分も死ぬ。
唐突にルリは自分の現在いる場所が命のやりとりがなされている「戦場」なのだと認識した。
怖くて逃げ出したくても足がすくんで動かないのに、心はルカを助けなきゃと叫んでいて、すくんでいたはずの足 が、動かないはずの体が、別の意志を持ち始めた。
「ここで死んだら私はアスランに逢えなくなる」
その問いは艦橋に渦巻く様々な音にかき消されて、誰も答えを返してはくれない。
だが、それが事実であるとでもいうように、敵からの攻撃が一層激化した。
ラシエルが乗員に白兵戦同等の装備を命令し、同じ事をルリにも告げた途端、艦橋内に「もうだめかもしれない」という空気が漂い始め、その恐怖は次から次へと人を飲み込み始める。
ラシエルの怒号を背中で聞きながら、ルリは自分を呼ぶ声に向かって艦橋を飛び出していてた。
『おい! アティールに出撃許可は出てるのか!』
ボブの怒声がラシエルの怒号を遙かに凌いで艦橋内に届く。
体格がいいだけに声も随分と通る。
「何を言ってるんです! 搭乗者もいないのに出せるわけ、ないじゃないですか!」
『じゃあなんで動いてるんだ!』
「知りませんよ」
互いに余裕のない子供の言い合いレベルのやりとりが数回交わされる。
ラシエルは度量の狭い方ではない。
以外と大雑把で剛胆なルクの部下をやっているせいで、細かなことに五月蠅い小心者に見られがちだが、ルクに負けないほどの剛胆さと磊落さを持っている。
そのラシエルが鷹揚に物事に当たれない程に、事態は緊迫しているのだ。
『ハッチ開けて!』
ラシエルとボブ以外の第三者の声が飛び込んできたとき、二人は一瞬押し黙った。
聞き覚えのある声に慌ててモニターを確認すれば、そこには一般乗務員用の宇宙服に身を包み、アティールの操縦席に乗り込んだルリが居た。
先ほどまでは確かに艦橋の端で震えていたはずで、何時の間に艦橋を抜け出したのか、今はアティールのパイロット席に座り、艦橋にハッチを開けるように求めていた。
どうしてその場にいて搭乗席に座っているのか、ラシエル自身も理解したわけではないが口から出てきたのは、その「どうして」の言葉ではかった。
「ルリ! 出撃許可は出てない」
ラシエルの声にルリが微かに目を細めると、そんなものはいらないとばかりにハッチに向かってアティールが歩き始めた。
二人の遣り取りを呆然と聞いていたボブは、アティールが歩き始めたのを見て今度は度肝を抜かれた。
慌てて部下達に待避を命令すると手元にあったスイッチを押す。
瞬時に格納庫から繋がる誘導路が色分けされたライトに照らされ、ハッチが開放された。
自分の対処出来える範囲の事態を遙かに越えて次から次と起こる出来事にラシエルの思考力は一気に停止して、ここが戦場ではなかったら確実に倒れていたはずだ。
一度だけぎゅっと目を瞑り再び見開くと、不安定な艦橋の空気を変えるべく号令を発し続けた。
ラシエルの号令をどこか遠くで聞きながら、誘導もなく解放され飛び出した宇宙は、不思議な懐かしさをルリに感じさせた。
「……あれか? ブルームに現れたという新型機は」
戦闘空域内の砲火の中で現れた戦闘機。
連邦の上層部が敵の戦艦として撃沈命令を下した戦艦には護衛艦もなく、そして護衛部隊も護衛機もいない模様で、一隻の艦から出てきたのは2機の戦闘機だった。
連邦の宇宙艦隊が利用している最新型機に比べれば、かなりシャープなフォルム。
背中についた翼は大空を飛ぶ鳥を連想させ戦闘機とは思えない程の美しさを持っていた。
色も形状も違う2機は汎用機ではなく主力機であることが一目で見て取れる。
戦争とは、様々な面に置いて経費のかかるものである。
一方で利益を受けている者もある。
国単位で考えれば戦時下に置いては利潤よりも遙かに経費がかさむ場合もある。
ましてや、新型戦闘機ともなると一日やそこらで出来上がる代物ではなく、研究費や開発費が馬鹿にならない。
新型機を次から次へと戦場に送り出すには、大国である帝国も連邦にも限界があるから、どの陣営も汎用機を導入している。
だから自ずと戦場では汎用機が幅をきかせている。
現にアッシュの陣営も最新型主力戦闘機と呼ばれる機体は現在4機しか存在しない。
地球に降下したアスランのチェイサー、タイスのマスタング、アッシュのランサー、そしてつい最近まで宇宙艦隊を事実上指揮していたヴァルハラのライトニング。
最も重要な部隊や必要な部隊にしか配備されていないものだ。
そういうことを踏まえれば、あの艦には2機の戦闘機しか、搭載されておらず、他の戦力はないことを示していた。その上、月政府陣営が汎用タイプの人型戦闘機を配備導入しているという話も聞いたことがない。
だからこそ、上からの命令を承服しかねていたのだ、アッシュは。
だが、ブルームに突如として現れたという戦闘機が、もし月やブルーム解放戦線が有していた物だとするのであれば、それはそれで上層部が目の色を変えるのは当然の結果ではある。
アッシュは地球より持ち帰り自分の愛機に組み込んだデータを空域内に現れた機体と照合し軽くため息をつく。
「噂は……本当だということか。アスランが気に病むのも無理はない……」
それでも心のどこかでは、まだ躊躇するアッシュがいた。




