*歪む戦場5*
「こんなに気の重い命令は初めてだよ」と、呟く上官ジェフリーの言葉にマリーは表情も変えずにモニターを見つめた。
浮き足立っているヴィマーナの艦橋に比べれば、統制のとれたこのパールレインの艦橋は落ち着き払っている。
つい最近までは帝国の宇宙艦隊とやり合っていたのだから、当然であるが、連邦の宇宙艦隊は統率が行き届いていることで有名でもあった。
「軍曹はどう思う?」
ジェフリーが自分が信頼する部下のマリーに意見を求めるため見上げれば、彼女はジェフリーの疲れ切った表情とは対照的に厳しい顔をしてモニターを見つめていた。
娘と同じ年齢のマリーは、冷静沈着でそして機知に富み自分を律することに関しては、とても十代とは思えない。
宇宙艦隊の再編成で宇宙艦隊の花形と呼ばれる第一線のSS前線部隊から、裏方となる運営官に転属になった際も彼女は愚痴一つ零さずに着任してきた。
優秀でありながらも女性であるというだけでステラになれなかったということは、ジェフリーも聞いていたが、その 優秀さには本当に驚いたほどだ。
今では自分の右腕としてこれ以上の人物はいないと断言できる。
将来的には優秀な士官候補にもなれるだろう。
そのためになら口添えをしてもいいと思えるほどだ。
「……軍曹」
「任務中です。私語は慎んだ方がよろしいかと思われます」
遙かに年下の自分の部下に私語を慎めと窘められても怒る気力もない。
そしてそれが正しいことでもあったので、ジェフリーは艦長席で姿勢を正して気持ちを入れ替えようと試みる。が、やはり上手くはいかなかった。
その後にマリーが幾分か表情を歪めて呟いた言葉に、なぜだかふっと心の重荷がとれた気がした。
「これより作戦に入る。軍曹も持ち場に」
「はい。艦長、私個人の意見を問われたのでしたら、艦長と同じ気持ちです。ですがこの軍服を着ている以上は連邦軍の兵士ですから命令に従うのが当然だと思います。制服を着てしまったのなら、私の個の意見など……述べる立場にはおりません」
「マリー、君は強いな」
マリーの肩書きの軍曹ではなく名前を呼んでやはり疲れ切った声を絞り出す。
その音にマリーは優しく微笑んで艦長に敬礼をすると与えられた席に付く。
マリーもジェフリーと同じでこの作戦に対して乗り気ではない。
正直を言えば参加したくはない。
高度な政治的理由など下っ端たる自分たちには判らないことではあるが、この期に及んでまだ戦争を望む政治家達の気持ちを理解することは出来ない。
帝国との戦争は仕方ないと思うことも多く存在していた。
だからこそ自分の心に折り合いを付けることが出来た。
けれど、今回のブルームに対する戦争だけは納得が出来ない。
子供であったのなら仮病を使っても泣きわめいてでもずる休みをしたいくらいだ。
だが子供でもなく軍に入隊して軍人として軍服を着てしまっている以上は上の命令は絶対だ。
と、アカデミーでも教え込まれている。
気持ちにどこかで折り合いを付けなければならないことも理解しているが、果たして自分は折り合いを付けられるかどうかと自問して、マリーは誰にも解らない程度の溜息をついた。
多分、自分と同じ思いを、先陣をきって出撃していった同期のアッシュもしているはずなのだ。
アッシュはマリーよりもっと清廉で真正直な人間で、そういう部分を問うのならアスランと同様に軍人に向いていない。
人それぞれに思うことがあって志願して兵士になっても、やはり人の心なのだから思いは揺れ変わっていく。
そういう意味でマリーの同期には戦士に向かない人間が多く存在している。
其処まで考えて、マリーは任務中だと自分を律すると再び表情を納めて自分の任務をこなすために前を向いた。
「ルカ!」
ここ数年で何度も驚愕に遭遇したルカだったけれど、このときは未だかつて聞いたこともないほどに響き渡ったルリの声に驚いた。
自分の背中に抱きついて、必死に行かせまいとする姿は、一見すればどこか恋人達の別れのようも見えるだろう。
今、自分たちがいる場所が与えられた部屋ではなく、数多の目がある格納庫であることは、ルカも意識のどこかに留めてはいた。
だが背中から伝わるルリの震えが、そしてまわされた腕の力が常識を問う意識を遮断させる。
「ルカ! どうして、どうしてルカが行くの!」
「ルリ……」
押し問答などしている余裕はないのだが、先ほどからルリにしがみつかれて身動きが出来ず、かといって振りほどく程ルカも強くはないから、正直途方に暮れてしまった。
昔から、こういう場に置いて上手にルリをあしらうのはアスランの役目だった。
ルリに対してはアスランの上を行くほどに甘やかしていたルカが、口の達者なルリを説得出来た事がない。
「ルリ、敵の増援があと三〇分で合流してしまう。そしたら僕たちは全滅しちゃうんだよ、それはルリにもわかるよね?」
「わかる、解るけど! でも、あれに乗るんでしょう?」
ルリもルカも民間人として乗艦していて、戦闘機に搭乗する許可も持っていない。
前回は特例で、月に向かえばパイロットはいるのだし、自分たちが前線に出る必要すらもないのだと、ルクにも言い含められていた。
だが、たった一機で戦っているルクにも限界はあり、すでに限界に近い。
ルカも進んであれに乗りたいわけではない。
自ら志願して戦争をしたい訳でもないがルリだけは助けたい。
この状況でルカがあれに乗らなければ間違いなくルリにその話が行くはずだ。
運営を担当している男の発言はひどく腹立ちもするが正しい。
「この場においてあの機体を動かせるのが君たちだけならば出てもらうしかない。現在、この艦は攻撃に晒されていて全員が持ち場に着いている。民間人といえども特別扱いできる状況下にない」
男の厳めしい顔の前に出てきたのはラシエルだった。
ラシエルは彼がルリとルカのいる居住区に向かったことを知ると、頭の中でルクと同じ事をしている自分に舌打ちしながら艦橋の事をひとまず放り投げてこの場に来た。
「この二人は、コウキ司令官の指示で地球に連れて行くのです。戦闘員ではなく非戦闘員です」
「それは解っている。だが白兵戦になれば、この二人を守る人間はいない。そもそもこの艦に非戦闘員を乗艦させる事自体、問題なんだ」
「解ってますよ、そんなこと! でも決定を下したのは本部であり、コウキ代表です。あなたではありません!」
「この二人が非戦闘員であるうちは、護衛用の銃すらも持たせられない。それにここは戦艦で今は戦闘中だ! やれることがあるならやってもらうしかない」
目の前でこれだけ声高にやりとりをされれば、ルリやルカにも状況は飲み込める。
「そんなに戦況は危ないの?」
ルカの半ば小馬鹿にしたような言葉に苦虫をつぶしたように肯定だと呟いたのは彼だった。
良くも悪くも軍事畑を歩んできた彼に様々な葛藤が体中を駆け抜けた。
けれど解放戦線としてゲリ活動をしていた間に、どこか軍人としての規律を置き忘れてきたのも確かだ。
国のために、愛する人のために、守りたい者のために志し半ばで死んだ同士を数多く見てきた。
抵抗することもないままに嬲り殺された人間も見てきた。
蹂躙されるがままの人々も見てきた。
勝つためには何をしても赦される。
ということはないが、逆をいえば死んでは元も子もないのだ。
軍人として一般人、それも自分よりも遙か年下の少年少女にむかって頼み事をする屈辱はない。
だが、この場に置いてこの二人にしか頼れないのなら、軍人のとしてのプライドを捨てることに厭いもない。
「私が搭乗できるなら、そうする。だが、私では無理なのだ。なら、君たちに頭を垂れるしかない!」
ルカは自分にしがみついているルリを見やってから、ため息をついた。
ルカも死にたくはない。
白兵戦になったら圧倒的に不利なのも理解できる。
銃撃戦の訓練など受けていないし、生身で戦う自信など毛頭もない。
ルリを守りながら戦う事は不可能に近く、下手をすれば自分がルリに守られそうだと思うと同時に、ふと頭にあのリデリオの一件がちらついた。
白兵戦になった時のことを考え、改めてルカの背中に震えが走った。
なんとなく上手く言いくるめられた気がしなくもないが、ルリを守りたいという思いは本当だ。
白兵戦になって万が一捕まったりしてルリの身に何か起こるくらいならば、鋼鉄の鎧を着て戦った方がマシに気がする。
(どうせ作るなら汎用機にすればよかったのに。パパの馬鹿!誰もが乗れない機体を作ったって売れないじゃん! 商売考えろよ! 息子を人殺しにする気か!)
しがみつくルリをきつく抱きしめると、ルカはため息を一つ付いて「わかりました」と告げた。
「僕はルリだけは守りたい。はっきり言ってあなた達が死のうが生きようがどうでもいいけど、ルリだけは守りたい。あなた達が不甲斐ないばかりに、僕は人殺しになりますよ」
嫌味を吐き出す笑顔に含まれた怒気と、瞳の奥に宿った軽蔑の光にその場にいた誰もが半歩のけぞった。
後にラシエルはその時のルカの怒りに満ちた笑顔を一生忘れられないと、ルクに打ち明けたくらいだ。
ルカが納得したとしてもルリには納得が出来ず、ルカがパイロットブースへ行くときも、スーツに着替えるときも「お願い行かないで」と懇願し、離れようとはしなかった。
見かねたクルーがルカから引きはがそうと何度か試みたが、ルリはルカから離れなかった。
その様子が二年前のやりとりを彷彿とさせ、アスランの困惑がほんの少しだけ解った気がして、ルカはルリを止めることが出来なかった。
そして多分。
ルリもあの時の事を思い出して、ルカと離れることが出来ないのだ。
あの時、自分たちは父親と離されアスランと離され姉のランを失った。
全てを失って二度と取り返すことが出来ない。
「ルカ! ルカ! 行かないで!」
未だかつて聞いたこともないルリの悲痛な声は、やはりルカの動きを拘束した。




