*歪む戦場2*
ふわりと浮きそうになる体を手すりにつかまることで支えて、ルカはやっと足を下につけることが出来るようになった。
地球から月へ、月から地球への移動を二度体験しているが、いずれもシャトルのシートに腰掛けていたので無重力での移動がどれほど大変であるのかを、ルカはこのヴィマーナに乗って身を持って実感した。
食堂や居住区、その他の特別区を除けば、そこには無重力な空間が広がっている。地に足がつくということがどれ程に素晴らしく、そして地に足が着かないことがこれほど頼りのないものなのだと骨身にしみる。
歩くこと走ること、通常の生活を送ること、これらを当たり前のように享受している地球の環境は、改めて考えれば本当に素晴らしいものだ。
やっとの思いで歩いていたルカが悪態をつくついでに「無重力って無情」という戯言を発した途端、ルリは笑うでもなく同情するでもなく、ノーリアクションのままルカに視線を向ける。
ルカはバツが悪そうにため息をついた。
ルカ自身でも笑えない言葉を繰り出して呪いたいほど、この環境に手こずっている。
隣にいるルリは、双子であるのにどうしてこうまで違うのかと嘆くほど、何の苦もなく馴染み宇宙酔いにすらならなかった。
ルリが持ち得る抜群の運動神経のなせる技なのか、はたまた別の要因なのかは判らない。
ルカは最初の二日、まともな食事を摂取できないどころか胃液まで吐き続け、鳴りやまない耳鳴りと、何度も襲い来る目眩に揺れる身体と格闘する体力すらも奪われた。
見かねた軍医が投薬を進めたが、病気ではないからと断ったことを後から後悔したくらいだ。
ルリは昔から呆れるほど健康優良で病気とは無縁ではあったが、改めてルリの丈夫さと適応能力の高さにルカは舌を巻いた。
月から飛び立った戦艦ヴィマーナが、すぐに地球に降下してブルームに入国すると疑っていなかったルカは「一週間は月の艦隊と行動を共にする」と聞かされ絶句した。
地球から月へと逃れた際、別のシャトルで打ち上げたアティール、ウィル、ウィッシュの三機を月の護衛艦隊が保管しており、地球に降下する前に受領しなければ意味がないからとルクは説明した。
作戦上のことで、ヴィマーナは紛れもなく軍艦であるから、反対する権利など民間人であるルカが持ち合わせているはずもなく泣く泣く現状を受け入れた。
その後、防衛艦隊とは何事もなく無事に接触することに成功したが、艦を運航させるためのスタッフ入れ替え業務や引き継ぎなども考慮すると最低でも一週間は降下が出来ないのだと聞くに至り、ルカは気分が悪いことも手伝い目眩を催して文字通り倒れた。
あれから三日が過ぎ、やっと体が動かせるようになり、なんとか艦内を歩き回れるようになるまでに回復した。
「ルカ、大丈夫?」
ルカの隣で心配そうにしているルリに「うん」と笑顔で頷けば、ルリが安心したとばかりに笑った。
この数日でルリはルリなりに心の整理がつき始めたのか、伏せ目がちだった視線は前を向き始め、微かな動きしか見られなかった表情には、少しずつだが明るさが戻り始めている。
「ルリは、全然平気なんだから、ずるいよね、双子なのに。遺伝子なんて殆ど同じで、身体の構造だって大差ないのに、この差はなんなんだろ」
「ルカは昔から苦手だったよね。スピードのあるモノとか回転運動のものとか。馬の背は平気なのに」
「それを言ったらアスランもだよ。馬から転げ落ちては泣き出して、アトラクション乗せたら吐き続けた、あのアスランがSSのパイロットなんて、よくやってられるよ」
心底呆れたと言わんばかりの口調で呟いてからルカはしまったとばかりにルリを見る。
「ルカ、気にしすぎだよ…」
そう呟くルリにどう切り返そうか迷っていたら、前方から歩いてきた人物に名前を呼ばれて、今度はどうしようか困る羽目になった。
「ルカ、もう平気なの?」
ほんの少しだけ遠慮を含ませた視線がルカに注がれ、そのままルリへと向き視線を受けてルリは微笑んだ。
その微笑みに答えることなく、彼女は目で簡単に挨拶を返すとルカの隣に、ルリとは反対の方向に立ちルカを伺う。
「大丈夫だよ、ローザ。君も休憩?」
ローザはルカににこやかに微笑む。
その笑顔はルリに向いていたものとは全く違っていたが、ローザがルリを敵視していたり邪険にしているわけではない。
どちらかといえば遠回しに観察している感じで、だからこそルカも何も言えないでいる。
ルリは学園にいた頃から友達も多かったが、アスランを巡って対立した女生徒も多く、それなりの修羅場もくぐり抜けている。
こういう場合の対処の仕方にも慣れているはずなのだが、どうしてだがローザに対してはどこか遠慮がちで、そして敬遠しがちだった。
親しみやすく人見知りもしない、誰とでもすぐにうち解けて屈託ないルリからは想像もつかない姿だが、その原因は ルカも理解している。
そして、学園では女生徒の人気をアスランと二分していた実績もあるから、ローザが自分に寄せている好意も気づいている。
その好意の裏に何かあることをなんとなく感じているから、実はルカ自身も困惑しているのだ。
リデリオの屋敷でルカが助けた少女はローザローナというルリ達より一才年上の少女だった。
月で一度見舞いに行き、医師から精神的なショックは見られるが肉体的には健康であるから退院も早いだろうと聞かされた。
その後、彼女は月の支援者の元に身を寄せるのだと思っていたら、その彼女がこの艦に乗っていた。
最初は驚愕したが、彼女もブルームの一員であるのだし、コウキやルクが正式に認めたのならば、ルカが口を出すことではないのだと思ってもいる。
その一方で、やたらとルカについて回り、ルリとの緊張関係を見ていると、ルカはどうしたものかと吐き気がする胃がもっと痛めつけられてた。
ルリとローザの緊張関係はルカだけではなく、ルクも気付いているが、多忙を極めるルクには対処のしようがない。
ルリの緊張の最大原因はローザの容姿だ。
ローザはルリとルカの姉で今は行方不明で殆ど絶望視されているランによく似ていた。
ルリやルカよりも柔らかで薄い水色の瞳、眩しい程に輝く波打つ黄金色の髪、時折見せるその表情。
妹である、弟であるルリとルカすらも一瞬、ランと見間違えてしまいそうななるくらいによく似ている。
それは助けたときからルカは分かっていた事だけれどルリは…。
「これから休憩時間だからカフェに行くところ。ルカも一緒にどう? もちろんルリも」
「……うん。でも、ちょっとルク兄に聞きたいことがあるから、二人で行ってきて」
「でも、ルリ!」
ルカの制止に「あとでね、ルカ」と貼り付けたような笑顔を浮かべて、直ぐに後ろ姿を向けてしまう。
そのルリの後ろ姿にルカは内心舌打ちをしたい気分だ。
もちろんルリにではなく自分自身に。どうしようかとも迷ったものの特別断る理由も見あたらないため、ローザと連れだってカフェに向かうことにした。
茶をとりつつたわいもない話をしていたら、元気になり始めた胃が食べ物を欲し、ルカはその欲求のままに食事を取り、気が付けばルリと別れてから三時間近く経過していた。
少し不満顔をするローザに、別れを告げてルリがあてがわれている女性乗務員用の居住区に行ってみたが姿はなかった。
動けるようになったばかりの自分にはヴィマーナ内部が途方もなく広すぎて、当てもなく探し続けることは不可能だと早々に諦めて、ルクに聞きに行こうとしていた矢先。
通りがかった展望室への入り口を見て、間違いなくルリはここにいると辺りを付けた。
戦艦ヴィマーナの後方にある展望ルームは、乗務員達の息抜きや憩いの場として設けられたスペースで、非常時以外はガラスを通して宇宙の暗闇を見ることが出来る。
ルリは昔からその手の類の場所が好きだった。
案の定ルリの後ろ姿を見つけて、ルカはふわりと浮かせているルリの体に後ろから抱き、探し当てることの出来た安堵のため息を漏らした。
「ここにいたんだねルリ、探しちゃったよ」
ルリが見つめていた暗い宇宙空間に特別な何かが見えるわけもなく、特別な何かがあるわけでもない。
見えるのは広大に無限に広がる空間と後は人工衛星や月の防衛艦隊の放つシグナルなどで、幼い頃に屋敷の展望から見た景色とは全く違っていた。
あの頃は、遙か彼方の光が星となって見えることがとても素晴らしいことの事に思えて、ルリとルカそしてアスランとよく夜通し見上げていたものだ。
そのいつも見上げていた空間に、自分達がいるという不思議な感覚に、ルカはルリを抱きしめたままの腕をほどくことなく視線を向ける。
「こうしてみると、以外とデブリが多いね」
「さっき艦に当たりそうな大きいは回収してたよ……なんだか不思議。SSも本当はこういう作業をしやすくするためのものだったんだよね、きっと」
「……まあ、戦争は科学を発展させて、ビジネスも発展させるからね。戦争が公共事業だってルク兄が言ってたけど。ああ見えても一応は職業軍人なのに自分の仕事を否定してるんだからルク兄ってなんで軍人になったんだろ?」
「……ねぇ、ルカ。アスランはどうして軍人になったんだろう。それも連邦の。お爺様とお父様が反目しているのは知っていたはずなのに……聞いてみたい、ちゃんと。アスランの口から、アスランの言葉で、アスランの気持ちを聞きたい」
「ルリ………」
「あの時は何かが空回って、アスランの言いたいことや考えていることとか、二年の間で何があったのか……何も聞けなくて、聞こうとしていなくて、だから今は、アスランの話を聞きたい……それに、私、アスランにひどいことを言っちゃったかもしれないの」
ルリの地球行きへの本心は、粗方そんなところだろうと察してたものの、本人の口から聞くと、どこかでアスランを呪ったしまいたくなるルカがいた。
ルクはそれなりに自分の人生や先のことを考えてその道を選んでいるのだろうと、ルカも思っている。
だが、親友であり兄弟も同然のアスランに関しては、そういう先のことやら自分の事を考えての職業軍人選択ではない気がするのだ。
どちらかといわれたら、遙か先より目先の出来事に走った感じがある。
アスランはルカから見ても流されがちなところがある。
ルリは流されがちに見えて、以外と地に足をつけて物事を見据えて慎重な部分も数多くある。
それはルカも同じで、意外なところでは、ルリもルカもよく似ている。
臆病者とは到底思えないアスランに対して、ルリは意外なほどに臆病だ。
怖いモノ見たさや、好奇心が旺盛でも一定のラインを飛び越えることは絶対にしない。
だがアスランは時々、全てを吹っ飛ばしてしまう。
思慮深く泰然としているように見えて一度、火がついたら止められない激しい気性の持ち主。
だから、なんとなくではあるが、アスランの選択がルリに関する事ではないのかとも、察しを付けている。
ただ、その選択にどうして軍人として入隊するに至ったのか、理解はできないけれども。
「今なんと言った?」
アッシュは自分に下された命令の内容が耳に入ってはきたが頭で理解する事ができずにもう一度、聞き返した。
相手の表情には戸惑いが見て取れて、アッシュは自分がどれほどの渋面を作っているのかを理解したが、伝えられた内容は眉をひそめる程度で済ませる事が出来ない。
「月から地球に向かっている維持軍を地球に降ろすな、あれは維持軍の名を語るテロの支援者だと……子供でもそんな屁理屈は言わないぞ! 上は本気でそれをやれと言っているのか!」
辺りにアッシュの怒号が辺りに響き、その場にいた人間達も言葉の意味にアッシュ同様、怪訝な表情をする。
通達を読み上げた人間に責任はないことはアッシュも重々承知していたが、それでも口から飛び出した怒号を押さえることは出来なかった。
二、三度深呼吸をして自身の内にこみ上げる怒りを抑え込む努力をする。
「司令官は……なんと言っている」
「……少尉と同じようにおっしゃっておいでです」
「当然だろ!」
「ですが、レンラ司令官はそれを上層部に進言した途端、ドーマスカー大臣から司令の任を解かれ現在、その身柄を本部に移されています」
今度は怒号を発するかわりに奥歯をかみしめた。
転属する上司の護衛について地球に向かい、わずか三時間程度のことではあったが級友達と再会したことを喜んだのも束の間、自分の所属する艦隊に戻って来て知らされた命令に、アッシュは本気で怒りと目眩を感じた。
帝国と連邦の二年間に及ぶブルームを解放するためという大義名分をこじつけた戦争は数ヶ月前、旧ブルームの人間達が帝国に対し内乱を起こした上で主権を勝ち取った。
主権を勝ち取った以上、連邦が帝国と戦う理由は無くなり、なし崩し的に、その戦争に対して停戦をする他なかった。
どのような政治的取引と駆け引きかあったのかは、軍の人間に、しかも下っ端であるアッシュ達には予想も付かない。
それでも長い戦争が終わったこと自体は喜ばしい事だと思っている。
アッシュ自身、父の件や家の立場があるから連邦軍として参加しているが、本音を言ってしまえば軍に心酔しているわけではない。
疑問に感じることは山のように存在していたのだ。
帝国に対しては一概には言えないが、ブルームに対しては攻め滅ぼしたいという願望もなく、どこか連邦軍のしている事に対しての腑に落ちない部分もある。
だからこそ、アカデミー時代にはブルーム出身者であるアスランとは感情面で共通する部分が多かった。
地球に赴き滞在している間にある程度の事情は理解してきた。
帝国が今までにない程の不気味な沈黙をしている以上、連邦内部で内紛や権力争いなどしている場合かと呆れ、この期に及んでもまだ戦争を続けようとしている事にも嫌気が差してきた。
ブルームの主張に対して連邦は反発しているが、どこをどう見てもブルームが正しいのだアッシュも思う。
連邦諸国内で起きているテロにしても、ブルームが裏で糸を引いているという確たる証拠もないままに、全ての責任をブルームとテロリストになすりつけ、荒唐無稽と切り捨てられそうな言いがかりだけで戦争をしようなど正気の沙汰とも思えない。
昔は、帝国のあからさまに他国を見下した対応や「自分たちが指導者である世界の総てである」という態度が鼻持ちならないと思っていたが、今は自分が所属している連邦軍の方がはるかに胡散臭くて鼻持ちならない。
職業軍人である以上は、上からの命令には絶対的に服従だと分かっていても今回のこの命令だけは承服しきれない。
アッシュは一つ舌打ちをすると、アタッシュケースを出迎えた部下に投げつけて「艦長に会ってくる」と言い残し、足早にその場を離れていった。
「これを正当化できると思っているのですか、上は」
「……思ってはいないだろうが、理由はなんでもいいんだ。地球はどうだった」
「……艦長のおっしゃっていた通りでした。連邦内部自体が二分して揉めています。一見は勢力争いに見えましたが、裏には何かありそうです」
アッシュの言葉に戦艦レッドストーンを預かっている艦長のマイケルは深くシートに腰掛けた。
「コクーンは……ひとつに纏まろうとしている。月もそのコクーンと足並みを合わせ始めている。地球にしても、今までは帝国と連邦という、圧倒的な経済力と軍力を持つ二大勢力に押されて言いなりになるしかなかった国が、声を上げ始めている……強引するぎるのだ、連邦のやり方は」
「連邦ではなく、ドーマスカー大臣が、ではないですか」
「そうとも言うな。長く政権を握りすぎている。今の大統領はそのドーマスカー大臣の息のかかった軍閥政党から出ている」
「新しい駆逐艦を見てきました。上は宇宙艦隊に、と思っているようです」
「無駄なことを……」
マイケルは白髪頭を軽く振ると、アッシュに一枚のカードを投げてよこす。
「………半数以上の国がブルームの支援ですか。これでは逆に連邦が兵糧責めにあいます」
「だからだよ、アッシュ。コクーンはもう地球に頼らずとも独り立ちが出来る。月もそのコクーンと足並みをそろえる。ブルームは地球の各国の支持をつりつけて、月やコクーンとも協調姿勢をとっている。月の大統領暗殺事件で滞った流れが一挙に動き出したんだ」
「……ブルームは帝国や、連邦よりも賢くそして政治的手腕もあるということですか」
「賢いだけではこうまで上手くは立ちまわれん……多国との関係も大きな要因だが、二年前、理不尽な理由で侵攻され戦場となり様々な煮え湯を飲まされても、コウキ氏をはじめとして必死に耐え力を蓄え協力者を捜し募り、時期を目極め勝機を探していた……彼らの『今こそ』という意志は強い。そしてそれは連邦や帝国にはないものだ。なぜなら帝国も連邦も、ブルームが受けた『屈辱』を知らなさすぎる」
マイケルは再び白い頭を振って「どうしたものか」と呟きながら、深いため息を一つついた。
「命令に従うのですか」
「我らが軍人である以上、命令は絶対だ。アッシュ、世の中には誰もが納得出来る戦争など存在していないのだ。そして戦争とは人の意志など必要としない。必要としているのは政治家の意思だよ。これは本来ならば君に伝えることではないがね、君の父上の件もあるから」
「確かに父の件に関してはわだかまりがないとは言えませんが、それでも軍にいる以上は軍に従います」
その後に続く言葉をアッシュは喉の奥で封印して、マイケルに一礼をすると踵を返して退出していった。
後ろ姿を見送った後、マイケルは背もたれに背を預けながら目を瞑った。




