夕方と夜の間に
ユウがアパートを夜逃げしてから、丁度1ヶ月がたった。
この1ヶ月間仕事を探し続けていたが、ユウの求める{安定した仕事}、{人間らしい生活を取り戻すことのできる仕事}のメドはまったく立たなかった。
やったことと言えば、月のうち半分近く(正確には12日)は日給6000円の交通費なしの日雇いバイトをやったことと、4件ほど寮つきの仕事の面接に行ったことと、大田と行った図書館で3冊ほど本を読んだことだけだった。
最近は日雇いの派遣のバイトもすぐ定員になってしまって断られるので、朝早く起きて登録している派遣会社に連絡するのも億劫になってしまっていた。
ユウは電話代がもったいないとか、このまま日雇いを続けていても未来がないなどと、電話をかけないことに対して自分に言い訳を作って納得していたが、朝早く起きれないのと、電話をかけて仕事がないことの絶望感を味わいたくないのだった。
そういうわけで当然、ユウの財布の残りのお金もこころもとなくなっってきた。
このままだといよいよ野宿も考えなくてはならない。
今はまだ、自分が野宿をするということに、現実感がわかない。
野宿をすることになったら、都会は嫌だなぁなどと、深夜のネカフェのフラットタイプの一室で、電気を消して横に丸くなりながら漠然と考えていた。
(新聞配達。警備員。夜のお仕事。どれも続かなそうだしな。)
いつものように深いため息をつく。
ガタッ! ゴトゴト。 バタッ。
「大丈夫?ほらここで、足伸ばせば寝れるから。」
「うーん。」
ユウのボックスの近くで物音がうるさい。
カップルのようで、若い男女の話声が聞こえた。
ユウは深夜の満喫で、普通に会話するようなマナーがない人間は大嫌いだった。
(酔っ払いか?うぜぇな。)
「あー。もう大丈夫だから。ありがとう。」
若い女性の声だ。
ユウはちょっと気になった。
「ああそうじゃあ、俺行くから、何かあったら・・・。」
「うん。大丈夫ありがと。」
!?
(えっ?男かえるの?置いて?酔っ払いの女を?漫画喫茶に?)
別に聞き耳を立てていたわけではないが、会話を聞いていたユウはその不自然な会話に少し興奮した。
そしてすぐに、いろいろ妄想(推理といったほうがいいかもしれない)しだした。
きっと近くのキャバ嬢とボーイだな。嫌、男のほうの声も若かったから、あまり親しくない客とキャバ嬢かも知れない。
まてよもしかすると、会社の飲み会で酔っ払った新入社員の女子と男子社員かもしれない。
酔っ払って、置いていかれた女の子可愛かったらどうしよう。
置いていかれるくらいだから可愛いってことはないか。
大田は今日いるのかな?
大田はこの会話を聞いていたかな?
それにしても、大田の旧帝大中退って本当かな?
などと考えていたら、先ほどまでのこれからの悩みはどこかにいってしまった。
キャバ嬢の部屋からは物音一つ聞こえなくなっていた。
そんなことがあった次の日、ユウはキャバクラのホール社員の面接を受けに行った。
面接を担当した男は川島と名乗った。名詞には店長と書いてあった。
黒髪の長髪で、黒いスリムなスーツを着こなし、インテリのような細いふちなし眼鏡をかけていた。その夜の男オーラにユウは若干圧倒されていた。
仕事に対して厳しく、やり手のような印象を受けた。
そんな見た目では、あるが丁寧に物腰も柔らかく質問してきた。
「えっと。履歴書を見させていただいたんですが、こういった商売のご経験はないようですが、
なぜ、うちで働こうと思ったのですか?」
「はい。えー。生活に困りまして、日払いもできるし、夜でがんばれば稼げるかなと思ったからです。」
「なるほど。」
ユウの正直な酷い答えにも、一切感情を出すことなく、川島は淡々と質問を続けた。
「現在は大田区にお住まいのようですが、一人暮らしですか?」
「えっ。・・・。ああ。はい。」
川島の冷たい視線がユウに突き刺さる。動揺がばれたのか?ユウの履歴書の住所は旧住所、つまり夜逃げしたアパートのままになっている。
「ところで、スーツは持っていますか?」
「!・・・。持っていません。」
ユウはハッとした。
「そうですか。・・・・・・・・・・・・・・。」
川島は少し考え込むように、持っていたペンを自身のあごの先にそっとあてた。
「やっぱり、スーツ持って無いと厳しいですか。」
ユウは沈黙に耐えられなくなって、口を開いた。
「そうですねー。もし働くようになれば、うちは基本スーツでのお仕事ですから、最低でも白いワイシャツと黒のスラックス。うーん。やはりスーツは買ってもらうしかないかと。・・」
ユウは考えてみれば、当たり前だなと自分で思った。
むしろカジュアルな服装でこういうお店に面接に来るほうがおかしいだろと、自分で自分を突っ込んだ。なんだか恥ずかしくなった。
川島はユウの格好をひととおりなめる様に見ると、
「今は安いスーツも売っていますから、1万円ぐらいで買えるやつもありますよ。」と言った。
「あっ。はい。」
「以前のお仕事は、スーツではなかったのですか?」
川島は履歴書に目をやり、不思議そうに聞いてきた。
「えっ。ああ。スーツでしたよ。スーツで。持っていたのですが、転職した先が作業着の仕事だったので、使わないと思い捨ててしまったのです。」
実際にユウはスーツを持っていた。スーツを着て仕事をしていた時期もあった。革靴もネクタイも白いワイシャツも持っていた。
それら全て夜逃げしたアパートに置き去りにしてきたのだ。
「そうですか。余計なおせっかいかもしれませんが、もう29にもなるので、スーツの一着ぐらい持っていた方が、いいと思いますよ。」
「ああ。そうですね。」
ユウは本当に余計なお節介だとと思った。面接官とはいえ、まだ部下ではなく、赤の他人だ。自分と同じくらい、むしろ自分より年下に見える人間に恥を掻かされているのだ。ここで働くのはあきらめて、とにかく早くこの場を離れたかった。
「うちの従業員でも安いスーツを着ているものもいるので、どこで買えば安いか聞いてみましょうか?」
「いや・・。あの。」
「田村。たむらー。」
川島は後ろを振り返り、部下らしき丸刈り坊主の男を呼んだ。
「いや。あのっ。・・大丈夫です。」
ユウはあわてて言った。
「はいっ。?」
田村と呼ばれた、丸刈りの幸薄そうな男が近づいてくる。
川島にはユウの声が聞こえなかったのか、その田村に話しかける。
「あのさ。スーツ安いとこ知ってるだろ。」
「えっ。はぁ。サカゼンとかすっかねぇ。」
「いくら位?」
「3万ぐらいっすかね。」
「はぁ?もっと安いところあんだろ。1万円とか。」
「えっ。そんなとこあるんですか?」
田村はご機嫌取りなのか、少し大げさに驚いたような態度でいった。
「あるだろ。前話してた。」
「えっ。それ自分じゃないっすねぇ。たぶん。」
「イトーヨーカドーにあるよ。向こう口の。」
川島と、田村のやり取りが聞こえていたのか奥のキッチンで作業をしていた太目の男が、面接しているユウと川島を覗き込むようにちょこっと顔をだし、大きな声で会話に入ってきた。
「えっ。何ー?しまさん。イトーヨーカ堂にあるのー?」
「そうー、あるよー1万円スーツ。向こう口のー。」
「なんで、しまさんそんなのしってんのー。うけるー。」
ユウにはしまさんがそんなことを知ってようが、知らなかろうがぜんぜん面白くもなかったが、先ほどまでの川島とは別人のように、明るく笑っていた。
店内中に聞こえるくらい大きな声で、1万円スーツがイトウヨーカ堂にあるというだけの情報のやり取りがおこなわれる。
出勤して準備している、女の子もたくさんいるのに。
ユウはさらに恥ずかしい思いをすることになった。もうここでは働きたくなかった。
我にかかえったのか、川島は円イスの上できちんとユウのほうに向き直り、最初に話した時のような口調で言った。
「向こう口のイトウヨーカ堂で、1万円でスーツが買えるみたいなので、買われてはいかがでしょうか。それでは働けるとしたら、いつから・・・。」
「あの。すみません。」
ユウが口を挿む。
「はい。?」
「やっぱり、ちょっと考えさせてもらってもいいですか。」
「ええ。それはかまいませんけど、どうしました。?」
川島は眼鏡の中で目を丸くさせて、小さい子を心配する母親のような表情をした。
それは目まるで、かわいがり飼っていたハムスターが突然悪戯をして、お気に入りのカーテンを食いちぎっているのを発見したような、驚きと慈愛に満ちた目だ。
「いや、いきなり電話して、即日面接してもらったものですからその、ちょっと。」
実際には表情にはださなかったが、ユウには川島がニヤリとしたように思えた。
「ああ。もしスーツのことでしたら、本当にやる気があるのなら、私が立て替えてもいいんですよ。」
「いえ。違うんです。やっぱり少し考えたいなと思いまして。」
「・・・・・・。そうですか。わかりました。」
「今日はどうもありがとうございました。」
「いえ、いえ。もし考えて何かあれば、いつでも連絡してください。」
ユウが席を立つと、川島は入り口まで見送ってくれて、ドアまで開けてくれた。
「それでは・・・。」
「それでは、ありがとうございました。また何かあれば、よろしくお願いします。」
入り口で川島は長髪をなびかせて、綺麗で丁寧なお辞儀をした。
本当に紳士的な男だ。
ユウはあわせて深々と頭を下げた。
帰り道ユウは情けなかった。
面接官、店長川島には悪気がないのはわかっていた。むしろ親身になってくれたいい人だったのに。あの店では、働きたくなかった。恥をかかされたから、恥ずかしい思いをしたからではない。
もし仮にイトウヨーカ堂1万円スーツを立替てもらったとしても、
ユウには革靴、ワイシャツ、ネクタイ、ベルトなどそろえられないし、
なによりこんな惨めな気持ちで、華やかな世界で働きたくなかったからだ。
夜の世界にあこがれた自分を反省した。
ユウは、珍しく飲みたい気分だった。
大田は一緒に飲みに行くだろうか?そんなことを考えて、夕方と夜の間の繁華街を歩くのだった。




