戦友
暑い。・・
とにかく暑い。
日中の日差しはまさに地獄。
冷暖房エアコンに慣れきった体には、7月の太陽は耐え切れない。
照りつける紫外線は、焼け付いたアスファルトに陽炎をつくり、
その捻じ曲がった世界は、すべてのやる気を失くさせた。
ユウは公園の植え込みの囲いに横になり、右手で太陽を遮りながら、
左手でジーパンのポケットのタバコを探った。
「ユウ君、俺にも一本頂戴よ。」
横になっているユウの頭の上に腰掛けた、大柄な男が手を出した。
ユウは自分が吸うよりも先に、その手に残り少ない赤マルを箱ごと渡した。
「悪いね。いつも。」
ユウは何も答えなかった。
この暑さのせいで、いつもにも増してこの大田という男がうっとうしく感じた。
「ライターある?」
ユウはそう言われるのも、分かっていたので、お気に入りの十字架のついた
ライターを言葉が発せられるのと同時に投げるように渡した。
「機嫌でも悪いの?」
「嫌・・別に。ただなんか暑くて、だるいだけ。」
さすがにちょっと態度が悪すぎたのか、太田は気を使っているようだった。
「まあ確かに暑いね。」
「・・・・・。」
「今日はどうするの?俺は暑いから、図書館でも行こうと思うけど。ユウ君は?」
「ああ。・・俺はいいよ。」
ユウは移動するのもめんどうくさくなっていた。
それに図書館の空気があまり好きじゃなかったし、今は本など読みたくなかった。
夕方になって涼しくなってから、今後のことを考えようと思っていた。
「そうか。」
大田はため息と同時にタバコの煙を吐いた。
「それじゃあ。いくとするかな。」
大田は咥えタバコで、独り言を言うように腰を上げると、そのまま公園の出口にゆっくりと面倒くさそうに、サンダルを引きずりながら歩いていった。
その間ユウは一度も顔の上に置いた右の腕をどかさなかったが、
少したって身を起こして、大田の歩いていった方に目をやった。
すると公園の出口の方に、大田の丸まった背中がさびしそうに見えた。
(一緒に行ってほしかったのかな?)
(少し冷たくしすぎたかな?)
などと思いながら、起き上がり座ってタバコに火をつけた。
大田は図書館が好きだった。
よく図書館に行った。
彼は所謂軍オタで、図書館でもそれ関係の本ばかり読んでいた。
戦艦や戦闘機の図鑑や解説書。
仮想戦記や、近現代史の本など。
ユウはあまり興味を惹かれなかったが、
彼に薦められて読んだ、太平洋戦争の南方戦線の体験記はなんだか考えさせられたし、
悲惨な話を読みたくなるような気持ちは分かったような気がした。
たった60年時代が違うだけでも、こうも住む世界が違うとは。
きっと大田は、今の自分の境遇を、当時の若者と比べて幸せに感じているのだろうと思った。
ユウはお腹がすいたので、サイゼリアに行き、タウンワークを見ながら、
ナイトパックが始まる時間まで時間をつぶそうと考え、
サイゼリアに向かった。
まだ3時前だった。
時間はたっぷりあった。
やっぱり一緒に図書館に行けばよかったかなと、少し後悔した。
サイゼリアは相変わらず騒がしい。
ギリシャ風なのか、地中海風なのか良く分からないが、
この内装はとても落ち着かない。
ユウはこの内装は会社側の戦略なのだと、どこかで聞いたのを思い出した。
何でもわざと落ち着かないようにして、ユウのような客を帰し、店の回転率を上げる目的があるとか。
ユウはせっかく手に入れた涼しさを、そんな思惑に負けてたまるかと思い、苦行にも似た心境で、ただ一人でジンジャーエールを何杯も飲むのだった。
タウンワークを見ながら、ドリンクバーで粘っていると、
6時頃偶然にも、図書館帰りの大田が来た。
太田は紺色のTシャツにうっすらと塩をふかせ、トレードマークのような大きなリュックサック
を背負い、おまけにTシャツを肩の辺りまで日向君みたいに捲り上げていた。
普通なら、知り合いと思われるのをためらってしまうが、
3時間もざわついた店内で、他人のくだらない会話を黙って聞かされていたユウは、
人恋しかったのか、すぐに声をかけた。
「大田。」
大田は少しきょろきょろと店内を見回して、ようやくユウに気づく。
「何だ。ユウ君ここにいたのか。偶然だねぇ。」
大田はそういいながら、自然とユウの前に荷物をおろして、腰掛ける。
「まぁね。他に行くところなんてないからな。」
「アハハ。そうだよね。」
店員が来て、大田はメニューも見ずに「ミラぺぺ。」とだけ言った。
「なんだよそれ。」
「えっ?ああ。ミラノ風ドリアとぺペロンチーノの略だよ。」
ユウはなぜか軽くイラッとした。
「なんか良いのあった?」
大田はユウの手元のタウンワークに視線をやりながら言った。
「いや。・・全然。」
「ないよねー。ちょっとよさそうでも受かる気しないしねー。」
「確かに。・・ね。」
ユウはこの男と一緒にされるのは嫌だったが、確かに受かる気がしなかった。
以前面接に行った所などは、採用1人に対して応募が46人も来ていたそうだ。
この薄っぺらいフリーペーパーに、たくさんの無職な仲間が、毎週わずかな望みをかけている。
まさにワーキングプア。
ワンコールワーカーのこの二人は、今日も仕事にありつけなかったのだ。もう三日も働いていない。最近特に仕事が取れなくなった。早急に安定して入れる仕事を見つけないと、寝床である漫画喫茶にもいられなくなってしまう。
ユウは焦っていた。
「明日も仕事なかったらどうする。?」
「えっ。ああ。そしたらまた図書館に行くよ。」
大田は運ばれてきたぺペロンチーノをがっつく様に食べながら答えた。
ユウは大田のこの食べ方が嫌いだった。
「のんきだな。」
あきれたようなものの言い方だった。
それがカンに触ったのか、太田はあせるように口の中の物を飲み込み、珍しく言い返してきた。
「だってあせったってしょうがないだろ。仕事がないのは仕方がない。ないものはないんだよ。
それに図書館は無料だし、勉強にもなるじゃないか。」
「勉強?勉強だって?大田の読む本が何の為になるんだ?翔鶴と瑞鶴の違いを見て分かるようになることが、生活の役に立つのか?ただの趣味じゃないか。」
「・・・・・。」
大田は黙って、スパゲッティーを平らげてしまい。ミラノ風ドリアの方に手をつけた。
ユウは自分から声をかけて喧嘩を吹っかけてしまったような気がして、気まずくなった。
「確かに、俺も悲惨な戦争体験談が書いてある本を読んで、こんな自分でもまだ幸せのような気がしたし、がんばろうという気持ちになったけど・・・。」
ユウなりにフォローしたつもりだった。
「ユウ君は分かってないな。」
大田はそれだけ言うと、スプーンを口に運んだ。
「・・・・・・・。何が?」
どうも大田の上から目線の言い方が、ユウをイラつかせ、突っかからずにはいられない。
「・・・・・・・。」
大田は黙ってドリアを食べた。
「俺はね、自分より悲惨な60年前の若者と自分の境遇を比べて、安心してる大田とは違うよ。
俺は今を生きてるんだ。下を見て安心している場合じゃなく、今、これからをどうにかしなきゃいけないんだ。」
「・・・・・・。」
大田は皿の端についた、チーズの硬くなった部分まで、意地汚く食べた。
「少しでも生活を改善っ・・・!」
ユウが言いかけたところで、大田はユウの顔の前に左手を広げて制すように言った。
「説教はいいよ。」
「・・・・・・・。」
「それにね。俺は戦争中の兵士の話を読んだところで、今幸せだなぁ。なんて思わないよ。むしろその逆。」
「・・・・・・・。」
「確かに当時に比べてこうして食い物は食えるけど、国の為に命を懸けて戦う気持ちってどういうのだろうな。同じ境遇の仲間と共に一つの目的に向かって一生懸命がんばるっていうのがうらやましいよ。それに比べて俺は夢も目標もない。ただ、毎日飯食って寝るだけの生活だ。むしろ戦争でもおきねぇかなって思ってるよ。そうすれば人生変わりそうな気がするし。」
「ちょっ・・・。」
「それに、軍隊って厳しいけど、楽しそうじゃない?」
大田はドリアの皿からユウを見上げるように、悪戯っぽく言った。
大田の眼鏡の奥の瞳は少年のようだった。
(軍ヲタの目だ。こいつは人でも殺すんじゃないか。)とユウは思った。
ユウはこの男に対して背筋が寒くなるのを感じた。
大田との出会いは、派遣の日雇いで行った浮間舟渡の冷凍食品の倉庫だった。
お互いに社交的ではないので、必要最低限の挨拶だけして、特に会話らしい会話はなく、一週間ぐらい同じ現場で仕事をした。特にきつい現場ではなかったのだが、いつも大田はリーダーに注意されていた。
ユウはその時は大田に対して見下すような、ダメ人間のような印象を持っていた。
そんな大田に偶然漫画喫茶で会ってしまう。ユウがネットカフェ難民だということがばれてしまって、その後も何度か同じ現場にはいり、なつかれた。
偶然満喫で会った時の、お互いの気まずそうな苦笑いが今も忘れられない。
仕事の休憩時間に「ああいう時、どういう顔したらいいのかな。」と大田に聞いてみたら、「笑えばいいと思うよ。」とエヴァねたで返されたので、ユウも親近感がわいた。
ネカフェ生活は孤独との戦いだ。
ユウはアパートに住んでいる頃から、孤独には慣れていたが、ネットカフェは住宅街ではなく、街中にある。嫌でも自分と同じくらいの若者の幸せそうな行動が目に入る。
その中で、話せる仲間がいるのは良いことだ。
しかも、昔の出世した同級生や、結婚している会社員の友達などと比べて、かっこつける必要もなく、気兼ねすることもないのだ。
下を見て安心しているのはユウかもしれなかった。
「ちょっと俺にはわからねぇな。戦争したいって気持ちが・・・・。」
「違うよ。戦争したいんじゃなくて、軍隊さぁ。」
大田は食べ終わった皿をきれいに重ねて、テーブルの端に寄せた。
「うーん。そうだなぁ。」
そういいながら、大田は勝手にユウのアカマルの箱から、一本取り出し口に咥えた。
「例えば、中学校の時合唱コンクールってあったろう。」
「ああ。あったけど。」
「あれってクラスみんなすごい盛り上がらない?」
「そうかなぁー?。ちょっと軍隊の話とはだいぶ違うんじゃねぇーか。」
「まぁ。例えばの話で、分かりやすく話すから。」
「ああ。はぁ。」
「中学校って、先生がいて強制的にそういった行事をやらされるじゃない。それこそ板金屋の息子から、大手商社のサラリーマンの娘まで。」
「その話長くなるの?」
ユウはちょっとめんどくさくなっていたが、大田はそういうことを気にせず話を続けた。
「なんか絶対他のクラスには負けないぞとか、絶対賞取ろうとか、一つの目的があるわけ、それに向かって半ば強制的にも関わらず、放課後残って練習したりとかして、一生懸命がんばるわけよ。」
「・・・・・・・・・。」
ユウは大田が乗ってきたようなので、黙って聞いていた。
「そうして、本番になる。目標を達成できればもちろん。そうでなくても、普段不良ぶって歌わない子とかが、本番になって初めて歌ったとか、感動があるわけよ。それもクラスメイト全員で、それは戦争とか軍隊みたいに死とはだいぶかけ離れたところにあるわけだけど、あの時の一体感というか達成感といったらなかったな。あれこそ生きてるって感じだったよ。」
ユウは大田の言いたいことが分かるような、分からないようなもやもやした気持ちになった。
それにしても中学校ってちょっとさびしいなと、太田を哀れんだ。
「それが、国全体で、国民みんなが協力して。生きてるって・・。」
「わかった。わかったから。・・・・共産主義みたいだな。」
ユウはこれ以上耐えられなくなったのか、はたまた思想問題になるのを恐れたのか、話題を切った。
「ところで、大田って高校とか行ったの?」
いきなりの話題変えに大田は少しビックリしたようだった。
「何で?」
「嫌、別になんとなく。」
「一応大学まで行ったよ、大学は中退だけど・・。」
「ふぅーん。どこ大?」
「一応旧帝大だけど。・・」
ユウはまたしても大田に対して背筋が寒くなるのを感じた。




