みんながとぶ日
アスカは7時前には帰っていった。
ユウはアスカをタクシーに乗せると、自分は帰る場所などないので、駅前のビデオボックスに向かった。ユウは健康ランドに帰らない時は、しばしば性欲処理もかねて個室ビデオを利用していた。もちろんユウもどこにでもいるような一般的な健康な男子。どんなに忙しく働いて疲れていても性欲は溜まる。静かで暗いビデオボックスは漫画喫茶より寝るのに最適だった。
ユウは何本かのDVDを選び、小さな手かごに入れ指示された部屋に入る。広めのベットに横になりユウは先ほどまで、一緒だったアスカのことを考えた。心なしか選んだDVDの女の子もアスカに少し似ていたようだった。
ユウは迷っていた。店を出たときはもう二度と出勤するものかと思っていたが、せっかくこうしてアスカと親しくなれた。今まで一人ぼっちだった自分にもある程度仲良く話のできる人間ができたのだ。本当にこのまま辞めてしまってよいのだろうか?それに辞めてしまっても次の行動予定がまったく立たなかった。
そんなことを考えていると、ユウの携帯電話が鳴った。
アスカからのメールだった。
『今日はありがとう。お互いきついけど今日もがんばろうね。』と書いてあった。
ユウはメールを見て、このままアスカと二度と会わないかと思うと、とても名残惜しいような気もしたし、何より最初の目的であるお別れの挨拶もできていない。それにみんなとんでしまった後の店の様子も少し気になったので、とりあえず今日だけは行こうかなという気になった。ユウは今日も午後3時には出勤しなくてはいけない。そう思うともうあまり時間がない。ユウは焦って寝ようとするが、色々考えてしまいなかなか寝付けなかった。
結局十分な眠りが取れないまま3時に店に着くと、意外なことに田村が先に来ていた。田村は昨日のことがあったからなのか、スカウトは中止だといった。ユウは仕方なしにいつもより2時間も早く開店作業を行った。掃除もいつもより時間をかけて念入りにやり、普段やらないガラス拭きや、モップで店前の清掃をしたりした。
掃除は全ての仕事の基本だ。ユウは以前勤めていた教材の訪問販売の会社で胡散臭い50代の上司にそう言われ続けた。ユウは掃除が嫌いだったし、自分のアパートの掃除などもほとんどしなかった。一応大学も出ていたので掃除などという誰でもできる単純作業でその人物の良し悪しが判断されるのは納得がいかなかった。日本人にありがちな根性論、前時代的な考え方だと思っていた。結果さえ出せば認めてもらえる外資系の企業の方が、合理的で近代的だと思っていた。海外の会社などは掃除など全て業者のやることだし、営業社員で入った自分のやることではないと考えていた。しかし、その後のテレアポやデモで思うように結果が出なくて精神的にやられてくると、掃除をすることはユウの心を落ち着かせてくれるようになった。たかが掃除と馬鹿にしていたが集中して掃除に打ち込んでいると嫌なことを忘れさせてくれたし、何より掃除をする前の状態より綺麗になっていく様はユウの心を晴れ晴れとさせてくれる。今のユウも当時と同じ心境で、スカウトに出るよりもユウにとっては全然ましだった。それに目に見えて結果が出せるのは呼び込みと掃除だけだった。
掃除も一生懸命やると汗が止まらない。肉体的には多少疲れても仕事をしている充実感はあった。だからどんな時も掃除だけは手を抜かずにやっていた。それだけがここで働くユウにとっての自信につながるのだ。
それでも終わった頃にはまだ5時だった。田村も時間をもてあました様で、今日は外に飯を食いに行こうと言った。普段は準備が全て終わってから、7時ごろにお店にコンビ二の弁当をかってきて食べるのだが、まだ誰も出勤してこないだろうし電話もなる時間でもない。それとも何か考えがあるのか、田村とジョナサンに行くことになった。
ジョナサンで2人してハンバーグを食べていると、田村はおもむろに言った。
「正直田中は来ないかと思ったよ。」
「えっ。」
ユウはビックリして、口の中のものを喉に詰まらせそうになる。
田村はユウがとぶことを予感していたのだ。
ユウはまさに図星をつかれたかっこうとなった。
「だから、今日は早くに来たんだ。一人で準備をするようじゃ間に合わないからな。だから、来た時は少し驚いたよ。」
田村は柄にもなく綺麗にナイフとフォークを使いながら淡々と話した。
「どうしてそう思ったんですか?」
「なぁに。経験上ね。勘かな。」
田村は相変わらず格好つけた口調で言う。どうもこの話し方がユウにはあわない。いちいち不快にさせる。
「……。」
「今まで他の店でもそうだけど、とぶ奴を何人も見てきたからなぁ。田中みたいに心を開かない奴は一番とびやすいタイプなんだ。」
「…心を開かない?」
「そう、自分の感情を表に出さず、思っていることを口にしない奴。」
田村は丁寧に切り分けた肉の塊をフォークで口の中に運ぶ。
「自分はそんなことないと思いますけど。」
ユウも食べながら珍しく反論した。
「そうかなぁ。俺は田中から愚痴の一つも聞いたことないし、嫌な仕事も黙々とこなすだろ。それに昨日だってあれだけ、俺が挑発しても決してキレない。俺が急に呼び捨てで呼ぼうが、偉そうにしようが、文句も言わず嫌な顔もせずただただ従う。」
「……。」
「そういう人間はどっちかしかいない。ただ気が弱くて言えないだけの臆病者か、そういう自分を演じていて狡猾にチャンスを狙っている奴かだ。」
「はぁ。」
ユウは話が変な方向に向かっているのに気づいて、少しあきれて気のない返事をした。田村はバカのくせに時々仕事や人生に対しての哲学のようなことを言う。そういう時はたいてい一人で興奮して話が長くなるのだ。ただまれに鋭いことを言うなぁと感心させられることもあるのも事実だった。
「どっちも上の人間からすれば部下としては使いずらい。例え自分に反発してきたとしても、ある程度感情を表に出してくるほうがいい。ぶつかったとしても仕事のコミュニケーションは図れるし、相手が何を考えているかが分かるから扱いやすい。それにそのほうが人間らしい。」
「それはそうですね。」
正確にはお前は上司じゃないと心の中でつっこみつつも、ユウが適当に相槌を打っていると、突然田村が目線を鉄板からユウに移す。
「知ってるんだろ?」
「何がですか?」
「とぼけるなよ。俺が店の金を抜いていることも、店長を辞めさせるように追い込んだこともさ。」
田村はユウを睨みつけるように、声を低くして話した。
「ああ、そのことですか。」
ユウはさらりと言った。
「知っていて何で言わない。俺の弱みでも握っいるつもりか。オーナーにちくって俺を辞めさせるのにそのネタを利用するつもりか?」
「利用するつもりなんてありませんよ。俺は店長になりたいなんて思っていないし、やれるとも思っていませんよ。そもそもそんなにこの商売に興味はないんです。」
「何?」
田村は目を丸くさせてユウの顔を凝視した。その顔は驚きというよりも、憎しみと恐れが入り混じったような顔だった。
「それに自分は、オーナーと面識ないじゃないですか。ちくるったってちくる相手がいませんよ。」
ユウは全て食べ終えて、テーブルの横にさしてあるナプキンで口を拭いながら言った。
ユウは自分でも不思議に思うくらい、田村と話をするときの自分は昨日までとは違ったように落ち着いていた。それは一生懸命掃除をしたからなのかと一瞬思ったが、多分もう辞めると決意して仕方なしに来ているからだと思った。やる気がないとかではなく、田村のことが眼中になくなったのだ。
店に戻って、営業が始まる時間になっても案の定キャストは来なかった。
8時前に来たのはアスカだけだった。田村はあわてたのかレギュラーの子達に電話をかけまくっていたが、そのほとんどが連絡がつかないようだった。キャスト同士連絡を取り合っているのかもしれない。
一応10時にアルバイトの子が2人来ることにはなっていたが、今日のキャストの出勤人数は確保できて4人とかそういうレベルだった。
アスカは不機嫌そうに黙って待機席に座り、手鏡で化粧を直している。
最初こそユウに明るく挨拶したが、その後はずっと無言だった。ユウがテーブルセットでアスカの近くに行っても話しかけてくることはなかった。まるで、昨日のことなど覚えていなくて何もなかったかのような態度にユウは少しさびしさを覚えた。
8時になりアルバイトの島さんが出勤してきて、いつものようにニヤニヤとしながらユウに近づいてくる。
「どうすんのこれ、店開けられないよ。」
「さぁ。どうするんですかねぇー。」
「たなかぁー。」
リストで忙しく電話を掛けまくっていた田村がユウを大きな声で呼んだ。
「はい、どうしますか。外でますか?」
ユウは田村のもとに駆けつけると、嫌味っぽく言った。
「あほ、一人しかいないのに呼び込みやってどうするんだよ。とりあえず仕方ないから今日は10時開店な。10時になれば一応2人来るし。」
「えっ。それまではどうするんですか?」
「まぁ、とりあえず待機だな。あっ。それと島さんに帰ってもらって。」
「えっ。僕が言うのですか?」
「そうだよ。女の子少ないのにいても仕方ないだろ。」
「えー。」
「それで、おれちょっと出てくるから、10時まで待機してて。」
そう言うと田村は脇においてあったカバンを持って、慌ただしく店を出て行ってしまった。
ホールでは島さんとアスカがなにやら話をしている。
ユウは島さんに帰ってというのが憂鬱だった。
ユウは呆然と田村を見送ると、冗談を言い合っている2人のもとにいって、今田村から言われたことを伝え事情を説明した。
当然島さんは怒った。
「冗談じゃないよ。俺だって、急いで着替えてここまで来てるんだ。人が少ないから帰れって言われたって困るよ。それだったら、もっと早く言ってくれよ。」
「まぁ。それはそうですけど……。」
「俺だって、働きにきてるんだ。遊びに来てるのとはわけが違うんだぞ。」
「そうですけど、あの僕に言われても……。」
「わたしの時給はどうなるの?10時から開けるのは分かったけど、当然8時から出るよね。」
島さんとユウのやり取りを間近で見ていたアスカが横から口を開いた。
「さぁ。…」
「さぁって……。それでアイツどこ行ったの?」
アスカはユウに対して明らかな不快感を表した。そこには昨日の笑顔のアスカはいなかった。
「そうだよ。田村どこ行ったんだ。?」
アスカの言葉に反応して島さんが言った。
「さぁ…。」
2人はあきれたような顔をして黙ってしまった。店には嫌な空気が流れる。
ユウは自分がつかえないと責められている気がして滅入ってしまった。考えればこの2人とって自分は、お店側の人間であり。給料を貰っている社員だった。だから、ユウに向けられたその冷ややかな目線は当然のものだった。この2人にとって、今日一日の給料のことでも死活問題。真面目な問題なのだ。(もっともそれはユウにも言えることだが。)
いくら勝手に自分が辞めようと決意しようが、やる気がなかろうが関係ない。そもそも2人にはそのことも言っていない。とぼうと思っていたが、店がどうなるか面白半分で来たなどと言えたものじゃない。
しかしそれでも、ユウにはさぁとしか答えられなかった。どうしようもない状況だった。ある程度は予想していたとはいえ、実際にこういう状況になるとは思っていなかった。自分が責められることになるとは考えもしなかった。想像力が足りない。現実はいつだって起こってから初めて実感する。そして後悔する。
腕組みをするアスカの睨むような目つきに、ユウは嫌われたなと思った。




