アスカ
「どういうこと?」
ユウは驚いて聞き返した。
「だから、今日給料日だったじゃない。それでみんなとんじゃおうって、言ってた。」
「みんなって?」
「とりあえず、ユウカちゃんとマミちゃんは来ないらしいよ。…。」
アスカは持っていたグラスに口をつけた。
ユウは今のお店の雰囲気からして、給料日後は何人かいなくなるじゃないかなと、ある程度は予想していた。先日も島さんと、給料日後は危ないんじゃないかと話をしていた。
しかし、よりよってレギュラーの2人が同時に辞めてしまうとは考えていなかった。
レギュラーというのは毎日お店に出勤する子達で、大体が夜の仕事を本職にしている子を指す。、ユウのお店では毎日10人前後出勤するが、そのうちの半分くらいがレギュラーの子だった。後の半分は学生だったり昼間の仕事と掛け持ちをしているアルバイトの子達で、当然スキルが違うので、売り上げにも差があった。
アスカが名前を挙げたメンバーはレギュラーの中でも売り上げの上位を占めていて、マナミのいなくなった今、数字的な意味でお店の運営には欠かせない中心的な二人だった。
「ふーんそうなんだ。」
ユウは冷静に興味のないような口ぶりで言った。
自分も明日から行くつもりはないのだから、ユウにとっては困るような問題じゃなかったし、むしろ田村のせいでお店が壊滅していくのはうれしくさえ思えた。
「やばいでしょ。もう明日から全然人がいないって言うか、営業できるのって感じだよ。」
アスカは興奮した様子で早口で話した。
「営業はするだろ。」
ユウは突き放すような口調で言った後、つまみに箸をのばし無造作に口に入れた。
そしてすぐに、空気がおかしくなったのを感じて、アスカの顔を見た。
「……。」
アスカはがっかりしていて、それでいて悔しいようななんとも言えない表情をしていた。苦笑いを浮かべているような、とにかくユウが今まで見たことのない顔をしていた。その顔はユウの胸をきつく締め付けた。ユウは少し冷たく言い過ぎたかなと反省した。
「……。」
「そういえばさぁー。田中さんもなんか話があるって言ってなかった。」
ユウの興味なさそうな様子を察したのか、あるいは空気を読んだのかアスカは何事もなかったかのようにいつもの笑顔をユウに向けていった。
ユウは迷っていた。ここに来るまでは自分も今日で辞めると言うつもりだった。そして、唯一自分のことを気にかけてくれていたアスカにお礼とお別れを言うつもりだった。しかし目の前にある無邪気なアスカの笑顔にすぐには言い出せそうになかった。それに話の流れからしてとても言える雰囲気じゃない。
「えっ。ああ、そうだったね。」
「何?話って?」
「えっ。ああ、たいした話じゃないんだけどさ、ところで、アスカって何でこの仕事をやってるの?」
「えっ。何でそんなこと急に聞くの?」
アスカは少し驚いた様子で、右手を開いて自分の口元を隠すような仕草をしながら言った。口にコンプレックスがあるのか笑う時もいつもこうしていた。これはアスカの癖だった。
「いや、ちょっと気になってさ。アスカだったら、昼間の仕事もできそうだし、何もキャバクラじゃなくても…。」
「何それ?年だって言いたいの?」
「ご、ごめん。別にそういうつもりで言ったわけじゃないんだ。それに俺アスカの本当の年、知らないし。」
「本当の年って、わたし店でもサバ読んでないよ。客にも本当のこと言ってるし。」
「そうか。で、いくつなの?」
「26。」
アスカは少し怒ったのか、そっぽを向きながら言った。
ユウはその見た目どおりの年齢、ユウの予想していた年齢にぴったりだったので、どうリアクションして良いものなのか分からなかった。
「あー。」
「何あーって?そういう田中さんは何歳なの?」
「えっ。俺29だよ。」
「えっ。本当に?みえなーい。わたしとあんまり変わらないじゃん。もっと上かと思ってた。」
「何だよ。失礼な。」
「ホントにー。へー。29なんだぁ。」
アスカはニコニコして、目を輝かせながらユウの顔を覗き込むようにして言った。まるで小さな子供を愛でるような瞳だった。
「アスカとあんまり変わらないんだよ。いくつだと思ってたんだ。」
「35位かと思ってたー。」
ユウはたいてい、見た目年齢は実際の年齢より上に言われた。言われなれているせいもあって、アスカにそう言われてもこれといってショックという訳でもなかった。それにアスカの口ぶりからマイナスのイメージは感じられなかった。
「マジで?俺そんなに老けてる?」
ユウはわざとおどけた様に聞いた。
「うーん。老けてるっていうか、何か雰囲気がね…。しっかりしているというか…。」
「俺、しっかりなんかしてないよ。」
「そうかなぁ。」
アスカは自分に対してどういうイメージを持っているのだろうか。どこをどう見れば自分がしっかりしているように見えるのか疑問だ。それに部屋も借りれなくて、仕事も長続きせず、いつもお金に困っているどうにもならない自分の現状を考えると、ユウは自分のことを真面目だとかしっかりしているとか言われるのが嫌だった。すくなくともいい加減で、性格上好きでそうしているように思われたかった。
ユウは右足を隣のイスの上に乗せるようにして、斜に構えて2杯目のビールを飲み干した。それを見ていたアスカは、お願いしまーすと店員を呼んだ。キャバクラで働く女の子達の職業病だ。
お店でそうしているように、彼女達は無意識にお願いしますと店員を呼ぶ。
ユウは少し可笑しかったのでニヤリとしたが、やってきた店員にお茶わりとだけ言った。ユウが飲み物を注文するとアスカは急に真面目な顔をして話し出した。
「あのね。これは誰にも言っていないんだけど……。」
「何?」
「実はわたし子供がいるの。」
「えっ。」
「だから、この仕事をしているのは生活のタメかな。あーどうしよ。本当に誰も知らないんだよ。」
そういうとアスカははずかしそうに、顔をふせた。
突然のカミングアウトだった。
ユウはショックと言うより、あっけにとられてしまった。毎日顔をあわせていながら、ユウはアスカのことは何も知らない。普段のアスカにはとても子供がいるようには見えなかった。明るくて仕事熱心なアスカは、どこにでもいるちょっと綺麗なおねいさんといった印象だった。
「そうなんだ。何歳?」
ユウは動揺を隠すかのように運ばれてきたお茶ハイを飲んだ。
「2歳。」
「それぐらいが一番かわいいよね。女の子?」
「ううん。男の子。」
「今どうしてるの?仕事の時とか?旦那は?」
ユウはやつぎばやに質問した。アスカのことが少しでも知りたかった。それは興味本位に思われたかも知れないが、ユウは少なくともアスカに好意を抱いていたし、せっかく会って話をするのだから、遠慮せずお互いに心を開いて話したかった。それが今、アスカがユウに誰にも言っていない秘密を言うことで、お互いの心のダムは崩壊した。
そして、水が勢いよく流れ出したかのごとく、2人は心のダムに溜まっていたことをを色々と話し出した。先ほどまでの微妙な会話ではなく。身のある話。深い話。
本来『飲み』とはこうあるべき。普段のストレスを吐き出す。接客をしているアスカにとって逆の立場で、ユウに本当のことを話す。
アスカは所謂シングルマザーだった。結婚していないし、その子供の父親の認知も貰っていない。元彼と別れた後に妊娠が発覚した。おろす事も考えたが、お腹に宿った子供の命のことを思うとどうしてもできなかった。生みたかったのだ。今は実家暮らしで、お母さんと妹と一緒に女3人と男の赤ちゃん4人で住んでいる。お母さんは働いていなくて、妹はパチンコ屋でアルバイトをしていた。妹はまだ学生気分が抜けないのか遊び歩いて、家に2万ぐらいしかお金を入れなかった。また彼氏ができると出て行ってしまい、別れれば戻ってくるといったことを繰り返していた。家族はそんな状態なので、アスカが夜働いて生活費を稼いぐしかなかった。その代わりといっては何だが夜アスカが仕事に出かける時は、母親に子供の面倒を見てもらっていた。アスカの本心は昼間働きたかったが、子供がまだ小さいのと、夜に比べて収入が少ないので働けない状況だった。だからお店がなくなってしまっては困るのだった。他を探すといってもこの不景気で、すぐに次のお店が見つかるかも分からないし、年齢的にも新しいお店で一からお客さんを掴むとなると厳しいように感じていたからだ。
「わたしも本当は辞めたいんだけどねぇ。」
アスカは手にタバコを持って、テーブルの上でトントンと葉を詰めるようにしながら本音を呟いた。その様子を見ていて、ユウは切なくなった。単なる同情ではない。親近感が沸き、いとおしいという気持ちだった。一見華やかに見えるキャバ嬢アスカも、ボトムの住人の一人なのだ。
そんなわけでとうとうユウは言い出せなかった。
時刻は6時半を過ぎていた。




