給料日
その日の営業中、田村とユウはほとんど口を聞かなかった。
殺伐とした雰囲気で、ただ単に機械的に与えられた仕事、お互いにやるべきことをこなした。
それはまるで感情をなくしてしまったロボットのように。
営業が終わり、一人ずつ給料が配られる。
ユウの労働の対価。
11万7千円。
ユウは日払いをしているので、実際の月給はこの額の倍はあったが、毎日の生活費で少しずつ使ってしまうので、10万以上のまとまったお金を手にするのは久しぶりのことだった。
ユウにとってこの1ヶ月相当に長く感じた。ようやく手にするまともなお金。
ユウの財布にはまだ毎日の日払いからためたお金が、4万円くらい入っていたから、とりあえずは十分だった。当分は暮らせる。
ユウの腹は決まっている。
今日この店を去るのだ。
給料の半月分は仕方がない。くれてやる。半月分といってもその半分は日払いで貰っている。
丸々半月分じゃないだけまだいいほうだ。
世の中では、きちんと給料を貰わずに辞める人間をバカ呼ばわりするが、ではどこまで我慢すればよいのか問い詰めたい。
実際に自分で経験してみろと、怒鳴りつけてあげたい。
田村にあそこまで言われて、まだゴマをするつもりはユウにはないのだ。
家を借りるまで、辞めないといった決意は完全に無効。
それは肉体的なことであって、精神的なことまでではない。自分のプライド。人としての尊厳まで傷つけられて、これ以上やる意味はない。もうまったく未練はないのだ。
どうせ、自分が辞めてしまえば、こんな店長くは持たないだろう。ユウはそう思っていた。
ユウはそそくさと閉店作業をしながら、明日からこの面倒くさい作業を田村一人でやらなければならず、困りはてる姿を想像してほくそ笑んだ。ユウは手際よく片付け、ボトル整理、洗い物をこなす。
今日は早く帰らなければいけない。なにしろ営業中にアスカと約束した、待ち合わせ場所にすぐに向かわなければいけないのだ。そう思ってユウは最後の仕事も、抜かりなくきっちりと終えた。
「田村さん、終わりました。」
ユウがリストに座っている田村にそういうと、田村は横に置いてあるタイムカードの時計をチラリと見た。表示されたデジタルの数字はまだ、四時前だった。
「早いな…。」
田村はそう言うと、いつものようにソファーに移動して、ユウに座るよう促した。
「あの、今日はちょっと早出で、疲れちゃったのでお先にあがらしてもらってもいいですか?」
ユウは早くアスカの元に向かいたかったので、やんわりと丁寧に断るように言った。
それに田村となんか話したくもなかった。
「えっ。だって帰るって言ったって、まだ始発ねーだろ。」
「えっ。ええ、ああ、あの。ちょっとお腹がすいたので、飯でも食ってから帰ろうかなと思いまして。」
ユウの下手な言い訳に田村は疑いの目を飛ばす。
動揺が読み取られたのだろうか。
「ふーん。だったら、一緒にいこうぜ。俺も腹減ったし。」
田村は鋭い目つきのままかまをかけるように言った。
「いや、あの何か今日は…、一人で食べたいというか…。」
ユウは不自然な言い回しになる。これからアスカと会うのがうしろめたいからなのか自分でも動揺しているのが分かる。
「ああ、そうなんだぁ。」
田村はさびしそうな目を床に落とした。
ユウはその様子を見て、田村の孤独さを感じて少しだけ可哀相に思えた。
「……。」
「あのさぁ。俺は負けないよ。」
田村はつぶやくように言った。
「えっ。?」
「俺は負けないよ。」
ユウが聞きなおすと、再び同じ事を言った。
「何がですか?」
ユウはこの後、アスカと会うことがばれたのかと思いドキッとして聞いた。
田村はもしかしたら、自分がみんなに嫌われているのを知っていて、ユウがキャスト達とつながっていると思っているのかもしれない。
ユウは何故だかそう思った。
だから、あえてユウに負けないよと言ったのだと。
田村は両足を大きく広げて、下をうつむいたままスポーツ選手が集中力を高めるかのような格好で自分を奮い立たせるようにこう言った。
「俺は絶対に負けない。どんなことをしてでも成り上がる。そして必ず金を掴む。」
田村の両方の拳は強く握られていた。
田村の体からは、強い決意と気迫が感じられた。
こいつは自信家なのだ。そして、自己顕示欲の塊。
ユウはまた、田村に対して背筋が寒くなるのを感じながら、それじゃあお先にと言って早々に退散した。
これ以上田村といても良いことなどない。
田村は少し頭がおかしいのだ。
まともに話をしていれば、自分までおかしくなってしまう。
ユウは歩きながら、アスカの携帯に電話した。
ユウが指定された居酒屋に着くと、意外なことに待っていたのはアスカ一人だった。
奥の席で、アスカがおつかれーと言いながら手を振る。
そのテンションから酔っ払っているのが分かる。かなり飲んだのだろう。
「あれ、みんなは?」
ユウはアスカのそばに行くと開口一番そう聞いた。
「みんな、帰っちゃったよ。」
「はぁ?なんで?アスカ一人置いていったのか?」
「へへへっ。そうだよ。ちょうどラストオーダーだった時に、田中さんから電話が来たから、ミエ張って彼氏が迎えに来るって言っちゃった。」
「ええっ。何だよそれ。」
ユウはまんざら悪い気はしなかった。
「どうする?店もう終わりだってさ。ラストオーダー終わっちゃったよ。」
ユウは入り口付近にかけてある掛け時計に目をやった。
時刻はもう4時半だった。
「どうするったって…、とりあえず出るしかないな。」
「出ても、他もやっていないよ。ここら辺の居酒屋は大体5時までだから…。」
アスカのその言葉に、ユウは少し考えるようにしたが、すぐに何か思いついたように一軒あると言った。
24時間営業の居酒屋。
ここは以前ユウが警備員のアルバイトをしている時に、ソウさんと伴と来た場所だった。
ユウとアスカは大通りに出て、タクシーを拾うとすぐにここに向かった。
「それで、話って?」
入り口付近の壁際の席に座った、ユウは席に着くとすぐにアスカに尋ねた。
「えっ、ああ。私レモンサワー。田中さんは?」
「それじゃあ、俺はビール。」
アスカは注文を済ますと、一杯目が運ばれてくる前にユウの目を見て言った。
きっとこれから話すことが、話したいことなのだろう。
「それが、やばいことになってるよ。」
「何が?」
注文した、生ビールとレモンサワーが運ばれてくる。
「とりあえず。」
アスカがグラスを手にもつ。
「ああ。」
ユウも置かれたジョッキに目を移す。
「おつかれー。」
「おつかれ。」
2人は乾杯してユウはジョッキに口をつける。
やっぱり朝方でも、仕事終わりのビールは最高だった。
最近はあまり飲んでいないが、もしかしたら自分も飲むために働くようになるかもしれないと、この場所でソウさんの言った言葉を思い出した。労働の後に飲むビールはそれほど旨いのだ。
「何頼む?お腹すいてるでしょ。」
アスカは気を使ったのかメニューをユウの前に広げる。
「ああ、そうだなー。俺は豆腐だね。あと煮込み。それと軟骨のから揚げ。アスカは?」
「私は待っている間に食べたから……。」
「あっ。そっか。」
店員を呼び注文をすませたあと、アスカはテーブルに右の肘をついて、顎を乗せるような格好でユウを眺めていた。
どこかさびしさを伺わせた目だった。
ユウは最初のビールを一気に飲み干してしまい、すぐに2杯目を頼む。
「それで?何の話だっけ?」
ビールを飲み干して落ち着いたユウが、アスカにたずねる。
「ああ、そうそう。ちょっとやばいことになってるみたいよ。」
アスカは横に置いていた、カバンに手を入れてタバコを取り出して、口に咥えた。
「だから、何が?どうしたんだ?」
「えっ。あの今日給料日だったでしょ。」
「ああ。」
アスカはタバコを咥えながら、再びカバンをゴソゴソとしだした。
「ライター持ってない?」
「ごめん、俺タバコやめてるんだ。」
「そっかぁ。」
アスカは一旦咥えたタバコを灰皿に置いて、火を探し始めた。
「それで、何がやばいって?」
ライターを探して、カバンの中を覗き込んでいるアスカに遠慮せず、ユウは話の先を急いだ。
「えっ。ああ。おかしいな。さっきの店かなぁ。すみませーん。」
アスカはユウの質問には空返事で、店員を呼びマッチを持ってくるように頼んだ。
ユウはその間、黙ってビールのジョッキに口をつけアスカの話を待っていた。
店員はマッチをすぐに持ってきた。
アスカはマッチを受け取ると、気取って刷り、煙たそうに目を細めながらタバコに火をつけた。
これで、ようやく本題に入れる。
「明日から、みんな来ないって。」
アスカはタバコの煙を天井に吐き出しながら、つまらなさそうに言った。




