第7話 初めての異世界通貨
村へ続く道を進んでいたマコトとアリシアは、やがて入り口らしき場所にたどり着いた。
周囲には木製の柵が設けられ、その内側にいくつもの建物が並んでいる。建物の多くは木造で、屋根には木の板や藁のようなものが使われていた。道は土を踏み固めただけの簡素なものだったが、行き交う人々の姿もあり、ここが人の暮らす場所であることは間違いない。
「やっと着いたな。」
マコトは自転車を止め、ほっと息を吐いた。
荒れ地で目を覚ましてから、ようやく人の住む場所にたどり着いたのだ。これで水や食料の確保も、少しは楽になるかもしれない。
「本当に、ここまで来られてよかったです。」
トレーラーから降りたアリシアも、安堵した様子で村を眺めていた。
そのとき、近くにいた中年の男が二人に気づき、声をかけてきた。
「おや、見ない顔だな。旅人かい?」
男はマコトの自転車とトレーラーを見てから、アリシアへ視線を移した。二人の服装も、見慣れない乗り物も、村人には珍しいものなのだろう。
「ええ。少し事情があって、こちらへ来たんです。」
マコトは曖昧に答えた。
「どこから来たんだ?」
「荒れ地の向こうからです。」
その言葉を聞いた途端、男の表情が変わった。
「荒れ地から来たって? あそこを通ってきたのか?」
「はい。」
「そいつは驚いた。あの荒れ地を越えてきた人間なんて、そうそういないぞ。」
男は信じられないといった様子で、二人を交互に見た。
「魔物に襲われなかったのか? あそこはかなり危険な場所だが。」
「幸い、遭遇せずに済みました。」
マコトは正直に答えた。
実際、最初に目を覚ましたときには魔物らしき唸り声を聞いている。その後も何かが潜んでいる可能性はあったが、幸運にも襲われることなくここまで来られた。
最初は疑っていた男も嘘を付いていないと信じてくれたのか感心したようにうなずいた。
「運がよかったんだな。あの辺りには近づかないほうがいい。何が出るかわからないからな。」
「気をつけます。教えてくれてありがとうございます。」
マコトは礼を言った。
すると、隣にいたアリシアが男に尋ねた。
「失礼ですが、こちらの村の名前を教えていただけますか?」
「ん? ここか? ここはモバ村だよ」
「モバ村……。」
その名前を聞いたアリシアは、急に考え込むような表情になった。
「どうかしたの、アリシアさん?」
マコトが尋ねても、アリシアはすぐには答えなかった。何かを思い出そうとしているようにも、聞いた名前について考えているようにも見える。
「いえ、少し気になっただけです。ありがとうございます。」
アリシアは男に向き直り、丁寧に頭を下げた。
男は特に気にした様子もなく、気さくに笑った。
「なに、たいしたことじゃないさ。旅の途中なら、まずは宿を探すといい。村に大きな宿はないが、一軒だけ泊まれるところがある。」
「それは助かります。場所を教えていただけますか?」
マコトが尋ねると、男は村の中央へ続く道を指さした。
「あの道をまっすぐ行けば、看板の出ている建物がある。そこが宿屋だ。食事も出してくれるから、旅人にはありがたいだろう。」
「ありがとうございます。行ってみます。」
マコトはもう一度礼を言い、自転車を押して歩き始めた。
村の中を進むと、道の両側に小さな店や民家が並んでいた。店先には野菜らしきものや布製品が置かれ、住民たちはそれぞれの仕事に励んでいる。
荒れ地では見ることのできなかった光景だった。
「人がいるってだけで、ずいぶん安心するな。」
「そうですね。ここなら、必要なものも手に入りそうです。」
アリシアも周囲を見ながら答えた。
ただし、マコトには気がかりなことがあった。
「そういえば、宿泊費っていくらくらいなんだろう。」
日本円なら銀行口座に残高がある。だが、この世界で円が使えるはずもない。アリバースで買い物をすることはできても、村の宿屋で日本円を受け取ってくれるとは思えなかった。
つまりこの世界の通貨が必要だ。
「まあ、まずは聞いてみるしかないか。」
二人は村の中央にある宿屋へ向かった。
建物の前には木製の看板が掲げられており、扉の向こうから人の話し声が聞こえてくる。マコトは自転車を邪魔にならない場所へ止め、アリシアと一緒に中へ入った。
室内には木製のテーブルと椅子が並び、奥には受付らしきカウンターがあった。食事をしている客も何人かいる。
カウンターの向こうにいた女性が、二人に気づいて声をかけてきた。
「いらっしゃい。泊まりかい?」
「はい。二人なんですが、二部屋は空いていますか?」
「空いているよ。食事付きなら、一人につき銀貨二枚だね」
「銀貨?」
聞き慣れない単位に、マコトは思わず聞き返した。
女性は不思議そうな顔をした。
「なんだい、通貨を知らないのかい?」
「すみません。遠いところから来たばかりで、このあたりのお金に詳しくないんです。教えてもらえますか?」
マコトはできるだけ自然に尋ねた。
女性は少し考えてから、カウンターに置いてあった小さな袋を取り出した。
「この辺りじゃ、銅貨、銀貨、金貨を使うんだよ。銅貨が一番安くて、その上が銀貨、さらに上が金貨だね」
そう言いながら、女性は三種類の硬貨を一枚ずつ見せてくれた。
銅貨は赤みがかった色をしており、銀貨は鈍い銀色、金貨はその名の通り金色に輝いていた。どれも日本の硬貨とは形が違い、表面には見慣れない紋様が刻まれている。
「だいたいの価値はどれくらいなんですか?」
「銅貨十枚で銀貨一枚、銀貨十枚で金貨一枚だよ。もちろん、品物によって値段は変わるけどね。」
なるほど。十進法に近い仕組みなら、計算はしやすそうだ。
しかし、肝心の硬貨を一枚も持っていない。
マコトは内心で頭を抱えた。
「ええと、実は今、手持ちのお金がなくて。」
「お金がない?」
女性は困ったように眉を寄せた。
「悪いけど、宿代は先払いなんだ。ツケにするわけにもいかないからね。」
「そうですよね。」
マコトはうなだれそうになるのをこらえた。
せっかく村に着いたというのに、宿に泊まることすらできないとは。食料や水ならアリバースで購入できるが、この世界の通貨を持っていない以上、現地のサービスを利用するには換金手段が必要になる。
隣にいるアリシアにも、頼れる様子はなかった。
「アリシアさんは、お金を持っていないの?」
小声で尋ねると、アリシアは申し訳なさそうに首を横に振った。
「はい。持ち物は持っていなくて。」
「そっか。」
二人そろって無一文。なかなか厳しい状況だった。
とはいえ、宿屋の女性に無理を言うわけにもいかない。何か売れるものを探すしかなさそうだ。
マコトは少し考えた。
アリバースで購入した品物を、この世界の人に売ることはできるだろうか。もちろん、いきなり見慣れない品物を大量に出せば怪しまれるかもしれない。しかし、現地で手に入るものと大きく違わず、使い道のある商品なら、買い取ってもらえる可能性はある。
「すみません。村に道具を買い取ってくれる店はありませんか?」
マコトが尋ねると、女性は少し考えて答えた。
「買い取り専門の店はないけど、道具屋なら村の広場の近くにあるよ。店主は品物を見る目があるから、売れそうなものなら買い取ってくれるかもしれないね。」
「本当ですか? 場所を教えてもらえますか?」
「宿を出て右へ進むと広場がある。そこから少し先に、道具を並べた店があるよ。」
「ありがとうございます。行ってみます。」
マコトは礼を言い、アリシアとともに宿屋を出た。
外へ出ると、アリシアが心配そうに口を開いた。
「マコトさん、何か売れるものがあるのですか?」
「うん。ちょっと試してみたいことがあるんだ。」
マコトはアリバースのことを思い浮かべた。
この世界で売れそうなものがあれば、アリバースで購入して持ち込み、買い取ってもらえばいい。もちろん、仕入れ値より安く買い取られれば損をする。まずは少量で試し、相場を確認する必要がある。
「うまくいけば、宿代くらいは何とかなると思う。」
「そうですか。私には何もできず、申し訳ありません。」
「気にしないで。俺も今はお金を持っていないんだから、二人で何とかしよう。」
マコトはそう言って歩き出した。
村の広場は、建物の間に開けた空間として設けられていた。何人かの村人が行き交い、荷物を運んだり、店先で品物を売ったりしている。
その一角に、道具屋らしき建物があった。入り口の脇には木箱や道具が並べられ、店内にもさまざまな商品が置かれている。
「ここかな。」
マコトが中をのぞくと、カウンターの向こうに中年の男性が座っていた。
「いらっしゃい。何を探しているんだ?」
「買い物というより、売りたいものがあるんです。品物を見てもらえませんか?」
「売りたいもの? 何を持ってきたんだ?」
「それを今、確認しているところです。少し店内を見てもいいですか?」
「ああ、構わないよ。買うにしても売るにしても、まずは品物を見ないとな。」
店主の許可を得て、マコトは商品棚を見て回った。
並んでいるのは、ロープや工具、革製の小物、簡単な調理器具などだった。どれも使い込まれたものが多く、見た目は素朴だが、実用性を重視しているのがわかる。
そのとき、マコトの目に透明なガラス瓶が留まった。
棚の隅に、何本かのガラス瓶が並べられていた。形は不揃いで、表面には細かな傷がついている。栓も簡素な作りだったが、液体を入れる用途には十分そうだ。
「ガラス瓶か。」
マコトは小さくつぶやいた。
これなら、アリバースで購入できる。現代のガラス瓶なら品質も安定しているだろうし、この世界でも使い道はあるはずだ。薬や液体を保存する容器として、需要があるかもしれない。
ただし、いきなり大量に持ち込むのは避けたほうがいい。珍しい品物を大量に出せば、出所を疑われる可能性がある。
「すみません、ちょっと外で考えてきてもいいですか?」
「ああ、好きにしな。」
マコトは店主に断り、いったん店の外へ出た。
アリシアが不思議そうに尋ねる。
「何か見つかったのですか?」
「うん。ガラス瓶なら売れるかもしれないと思ってね。」
「ガラス瓶ですか?」
「そう。ちょっと試してみるよ。」
マコトは人目が少ない建物の陰へ移動し、アリバースを開いた。
検索欄に「ガラス瓶」と入力すると、透明な瓶がいくつも表示された。サイズや形状もさまざまで、価格も比較的安い。
マコトは商品を見比べ、シンプルな透明ガラス瓶を四十個購入した。仕入れにかかった金額は、およそ二千円だった。
購入した瓶はアイテムボックスに収納し、再び道具屋へ戻る。
「お待たせしました。こちらの品を買い取ってもらえませんか?」
マコトは店主の前に立ち、ガラス瓶を取り出してカウンターに並べた。
店主は目を丸くした。
「おや、これは……。」
四十個の瓶が、次々とカウンターに並ぶ。透明で傷も少なく、形もそろっている。村で流通している瓶よりも、見た目はかなり整っていた。
店主は一本手に取り、光にかざして確認した。
「ずいぶんきれいな瓶だな。どこで手に入れたんだ?」
「遠いところから持ってきた品です。使い道はいろいろあると思いますが、買い取ってもらえませんか?」
マコトは慎重に答えた。
店主は瓶を何本か確認し、少し考え込んだあと、うなずいた。
「品質は悪くない。これだけ数がそろっているなら、店でも扱えそうだ。全部で銀貨十枚でどうだ?」
「銀貨十枚ですか?」
マコトは内心で驚いた。
宿屋で聞いた相場では、銀貨十枚は金貨一枚に相当する。少なくとも、二人分の宿泊費でも5日分はある。十分な金額だ。
仕入れに使ったのは約二千円。そこから考えれば、かなり大きな差がある。
もちろん、この世界での銀貨の価値が日本円でいくらなのか、まだ正確にはわからない。それでも、今の二人にとっては十分ありがたい金額だった。
「わかりました。それでお願いします。」
「よし、決まりだ。」
店主は銀貨を十枚取り出し、マコトに渡した。
マコトは一枚ずつ硬貨を確認した。ずっしりとした重みがあり、表面には見慣れない紋様が刻まれている。
これが、この世界で初めて手に入れたお金だった。
「ありがとうございます。」
マコトは銀貨を受け取り、頭を下げた。
店を出ると、アリシアが驚いた様子で尋ねてきた。
「本当に買い取ってもらえたのですね。あの瓶は、どこから手に入れたのですか?」
「まあ、いろいろとね。」
マコトは曖昧に笑った。
アリシアはまだ不思議そうだったが、それ以上は追及しなかった。
マコトは手の中の銀貨を見つめた。
これで宿泊費を払える。食事も確保できるし、村で必要なものを買うこともできるだろう。
しかし、今回うまくいったからといって、いつも同じように稼げるとは限らない。ガラス瓶がこの世界でどれほどの価値を持つのかも、ほかの商品がいくらで売れるのかも、まだわからないことだらけだ。
アリバースで安く買えるものが、この世界では高く売れる可能性がある。逆に、仕入れ値より安く買い取られるものもあるだろう。
「この世界の相場観も、ちゃんと覚えないとな。」
マコトは銀貨を袋にしまった。
アリバースがあれば、物資を調達することはできる。しかし、この世界で生きていくには、それだけでは足りない。現地のお金を稼ぎ、支出を管理し、限られた銀行残高を守る必要がある。
その第一歩を、ようやく踏み出せたのだった。
「アリシア、これで宿に泊まれるよ。」
「よかったです。マコトさん、本当にありがとうございます。」
「いや、まだこれからだよ。まずは宿を確保して、今後のことを考えよう。」
二人は再び宿屋へ向かった。
荒れ地でのサバイバルは、ひとまず終わった。しかし、異世界での生活は始まったばかりだ。
マコトは手に入れた銀貨の重みを感じながら、これから必要になるものを頭の中で整理し始めた。
まずは宿泊費を払い、ゆっくり休むこと。そして、この世界で何が売れ、何が必要とされているのかを少しずつ調べていくこと。
アリバースを頼りにしながらも、それだけに依存しない生活を築くために。
―――
今回の購入品
ガラス瓶×40個 2000円
手持ちの通貨
銀貨 10枚
購入前の銀行残高
498万2400円
購入後の銀行残高
491万0400円




