第2話 恐怖の荒れ地
「一体どこなんだ?ここ。」
真は、乾いた地面に手をつきながら周囲を見回した。
視界に広がっているのは、どこまでも続く荒れ地だった。ひび割れた地面に草一本生えておらず、大小の岩があちこちに転がっている。遠くには茶色い岩山が連なり、頭上には雲ひとつない空が広がっていた。
太陽の光が容赦なく照りつけ、肌を焼いていく。空気は乾燥しており、息を吸うたびに喉がひりついた。
見渡す限り、人の姿はない。道らしいものも、建物らしいものも見当たらなかった。
「いや、ちょっと待ってくれ。聞いてた話と違うんだけど……。」
真は額を押さえた。
ついさっきまで、女神と話していたはずだ。異世界に転生させてもらい、冒険者として自由に暮らす。そんな未来を思い描いていたのに、目が覚めたらこんな場所に放り出されていた。
どう考えてもおかしい。
転送の直前、女神が何かに気づいた様子だった。空間が揺れ、見えない力に引っ張られた感覚も覚えている。
「もしかして、あのときの何かが原因か?」
答えを知っていそうな女神は、ここにはいない。
真はため息をつき、改めて自分の体を確認した。服装は転生前と変わらない。スマートフォンも財布も、ポケットには入っていなかった。体に傷はなく、手足も問題なく動く。
命があるだけ、まだましなのかもしれない。
そう思いかけたときだった。
「グルルル……。」
遠くから、低い唸り声が聞こえた。
真は動きを止めた。
風の音ではない。動物の鳴き声にも聞こえるが、妙に重く、腹の底に響くような声だった。
「今の、何だ?」
岩山の向こうで、何かが動いた気配がする。
真は目を凝らした。しかし、距離があるうえに岩が邪魔をして、姿までは確認できなかった。
もう一度、唸り声が響いた。
今度は、さっきよりも近く聞こえた。
真の背中に冷たい汗が流れる。
異世界、魔物、冒険者。
先ほどまで、楽しげに思い描いていた言葉が頭をよぎる。
もし、あれが魔物だったら。
そして、もし自分を襲ってくるような相手だったら?今の真に戦う術はない。
「冗談じゃないぞ。」
真は反射的に立ち上がった。逃げるべきか、隠れるべきか。それすら判断できない。
とにかく、自分に何ができるのか確かめる必要がある。
「ええと、ステータスとか……そういうの、出てこないかな。」
ゲームや小説でおなじみの言葉を口にしてみる。
すると、目の前に半透明の画面が浮かび上がった。
「うおっ!」
思わず声を上げてしまったが、画面は消えなかった。
そこには、自分の名前や年齢、身体能力らしき項目が表示されている。さらに、スキルや所持能力の欄もあった。
真は食い入るように画面を見つめた。
「おお、本当にあるのか。こういうの。」
これがあれば、少なくとも自分の状態くらいは把握できる。
何か能力があるはずだと期待を込めて能力の項目を確認したが、表示された内容は拍子抜けするものだった。数値を見ても恐らくだが特別に高い能力値はなく、戦闘に役立ちそうなスキルも見当たらない。至って平凡だった。
剣術も魔法も、どうやら使えないようだ。
「まったくもって普通だな。」
異世界転生といえば、強力な能力を与えられる展開がお約束だと思っていた。ところが、どうやら自分はその例外らしい。
いや、そもそも女神から特別な力をもらう話など、していなかった気もする。
「いやいや、今はそんなことを考えてる場合じゃない。」
真は頭を切り替えた。
戦う力がないのなら、魔物と遭遇した時点で終わりかねない。素手でどうにかできる相手ならともかく、牙や爪を持つ化け物が相手では勝ち目などないだろう。
冒険者として活躍するどころか、まずは生き延びる方法を考えなければならなかった。
そのとき、ステータス画面の下部に、見覚えのない文字があることに気づいた。
「……アリバース?」
そこには、URLらしき文字列が表示されていた。AliverseとはAll Universeを合わせた造語の名前を冠している世界でもっとも大きなネットショッピングサイトだ。買えない物は何もないとよくCMでやっている。
真は眉をひそめた。異世界のステータスに、なぜそんなものがあるのだろうか。
試しにボタンを押してみると、画面上の文字が反応した。
次の瞬間、見慣れたショッピングサイトの画面が目の前に開いた。
「は? えっ、マジで?」
思わず二度見した。
そこに表示されていたのは、やはりアリバースのサイトだった。商品検索もできるし、カテゴリもある。商品画像も価格も表示されている。
しかも、画面の表示は普段使っているまま、つまり日本語だった。
真は恐る恐る商品を検索した。水、食料、衣類、日用品。どれも普通に検索できる。商品ページを開けば、価格や詳細まで確認できた。
「これ、買えるのか?」
もし本当に購入できるのなら、話は大きく変わる。
少なくとも、水や食料を確保できる可能性がある。荒れ地を彷徨う前に、まずはそれを確かめたい。
真は飲料水を検索し、手頃な商品を選んだ。試しに一本だけ購入してみる。
購入ボタンを押すと、注文が完了したという表示が出た。
直後、手元にずしりとした感触が生まれた。
「……うわっ、本当に出てきた。」
そこには、未開封のペットボトルがあった。
ラベルも容器も、日本で売られているものと変わらない。真は急いでキャップを開け、一口飲んだ。
冷たくはなかったが、間違いなく水だった。
乾いた喉を潤すと、ようやく少しだけ落ち着きを取り戻せた。
「助かった。」
ただし、喜んでばかりもいられない。
真は購入履歴と支払い方法を確認した。そこには、転生前に登録していた銀行口座の情報が表示されていた。
試しに残高を確認してみると、購入した金額分だけ引かれているようだった。
「こっちの世界でも銀行口座が使えるのか?」
正確な仕組みは分からない。本来のアリバースではカード支払いになるがこちらでは銀行引き落としになっている。どう繋がっているのかもよくわからない。ただ、少なくとも商品の代金は、転生前の自分の預金から支払われているらしい。
真は記憶をたどった。
大学時代、アルバイトで少しずつ貯めた金があった。就職してからは忙しくて使う暇もなく、給料もある程度は貯金に回していた。
ざっと計算すれば、500万円ほど。
大金持ちというほどではないが、一般的な二十三歳の貯金としては悪くないはずだ。
しかし、今はその金が自分の命綱になっている。
「500万円か……。しばらくは何とかなる、のか?」
水や食料を買えるのは大きい。だが、使い続ければ残高は減る。現地でお金を稼ぐ方法が見つからなければ、いずれ買い物もできなくなる。
しかも、ここがどこなのかも分からない。街があるのか、人間が暮らしているのか、そもそも安全な場所が存在するのかさえ不明だ。
水だけでなく、食料や寝床も必要になる。怪我をしたときの薬も欲しいし、魔物から身を守る道具も用意したい。
何も考えずに買い物をしていたら、あっという間に資金が尽きてしまうだろう。
「まずは必要なものを整理しないとな。」
真は画面を操作し、商品を探し始めた。
飲み水をどれだけ確保するか。長期保存できる食料は何がいいか。夜を越せる道具はあるか。日差しや砂埃を防ぐための装備も必要だろう。
考えることは山ほどあった。
幸い、ネットショッピングの画面は自由に開けるようだった。商品を購入すれば手元に届き、買ったものは専用のアイテムボックスに収納できるらしい。画面の説明によれば、容量には限りがない。ただし、収納できるのはこのショップで購入した商品だけで、現地で手に入れた物は入れられないようだった。
便利な能力ではあるが、何でもできるわけではないらしい。
それでも、今の真にとっては十分すぎるほどありがたい。
「よし。まずは生き延びるために人のいるところにいかないとな。」
真は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
冒険者になって自由に暮らす。そんな夢は、いったん脇に置くしかない。
まずは水と食料を確保する。そして、魔物に襲われずにこの世界の人間がいるところを探す。
そうやって少しずつ、生活の基盤を整えていくしかない。
遠くから、再び魔物らしき唸り声が聞こえた。
真はびくりと肩を震わせ、慌てて周囲を見回した。幸い、すぐ近くに姿は見えない。
「……頼むから、こっちに来るなよ。」
彼は水のボトルをアイテムボックスにしまい、ショッピング画面を閉じずに歩き始めた。
どこかに身を隠せる場所はないか。水源はないか。魔物の縄張りから離れられないか。
何も分からない荒れ地で、手探りの生活が始まろうとしていた。
真が望んでいたのは、仕事に追われず、好きなことをして暮らす平穏な人生だった。
だが、その夢を実現するためには、まず今日を生き延びなければならない。
そして、手元にある500万円が尽きる前に、この世界で生きていく方法を見つける必要があった。
―――
今回の購入品
水 100円
今回の購入合計100円
購入前の銀行残高
500万円
購入後の銀行残高
499万9900円




