第97話「隣」
編入して十日ほどで最初の実習が回ってきた。
実習迷宮へ四人一組で潜る。街の外れのあの浅い塔だ。生徒はふだんから思い思いに潜っているが、月に一度、教官の目のもとで組を作って課題をこなす。連携を見るのだという。
問題は、その組だった。
誰も僕と組みたがらなかった。出自の知れない編入生。下働き上がりの火と風。腕は未知数で後ろ盾もない。正規生たちは、勝手知ったる者同士でさっさと組を固めていく。僕はいつものように、輪の外にいた。それで、よかった。独りには慣れている。
「はい、この人もらうわ」
澄んだ声が僕の腕を指さした。
あの娘だった。すでに二人、連れている。大柄な、盾を負った男子生徒と、そばかすの治し手の女子生徒。
「え、その、編入の……」盾の男子が、言いにくそうにした。
「火と風の二属性よ。読み手で剣も使う。四人目に、文句ある?」あの娘は僕の返事も待たずに決めた。「ないでしょ。行くわよ」
また、勝手に決められた。
組む、というのが僕はいちばん苦手だった。
剣を教えてくれた男は、独りで森を歩いた。理由が、今なら分かる。誰かが隣にいれば、守りたくなる。守ろうとすれば、そこに隙ができる。その隙は、いつか自分を殺す。あるいは――守ろうとしたその誰かを。
灰の村で、僕はそれを骨の髄まで教わった。目の前で守れなかった。だから決めた。独りで動く。誰も背負わない。背負わなければ、誰も落とさずに済む。
なのに今、僕の左右には三人の他人がいる。
塔の浅い層は、危険というほどではなかった。
湧いて出るのは、蝙蝠と小鬼の類だ。盾の男子が前で受け、そばかすの子が後ろで傷を診る。役割がきれいに決まっている。慣れた組だ。あの娘の火が小鬼の一匹を正確に灼いた。澄んだ詠唱の迷いのない火。
僕は、どう動くか決めかねていた。
前に出すぎれば、盾の男子の領分を荒らす。火を使えば、あの娘の隣で下手な火を、また演じることになる。剣で始末できる相手は、剣で。手を出さずに済むものは、出さない。僕は、いちばん目立たない動き方を探していた。
一度だけ、離れた蝙蝠の群れへ火を放った。覚えた呪文を口で唱え、わざと大ざっぱに。焼け方が少し雑すぎたらしい。盾の男子が妙な顔で僕の手元を見た。詠唱の切れも型も、どこか教本のそれと違う。そういう目だ。
「我流なのよ、その子の魔法」あの娘がすかさず言った。「田舎で独りで覚えたんだって。効けばいいでしょ、効けば」
盾の男子は、それもそうかという顔で前へ向き直った。あの娘は、僕を見もしない。だが今、この娘は僕の面をいっしょに押さえた。暴いた本人が、こんどは暴かれないように、隣で口を添える。妙な話だった。妙だが、心強いとも思ってしまった。
だが、通路の角から小鬼が三匹いちどきに湧いたとき。
盾の男子の受けが、一匹ぶん足りなかった。零れた一匹が、後ろのそばかすの子へまっすぐ牙を向けた。
考えるより、体が動いた。
僕は割り込んで、剣でその一匹を薙いだ。ボルツの型だ。振り抜いた切っ先の先で、小鬼が声もなく崩れる。そばかすの子が、目を丸くして僕を見上げた。
「……あ、ありがとう」
守って、しまった。反射で。誓いを破って。
背中に冷たいものが流れた。今のは、隙だ。誰かを守ろうとして、僕は自分の守りを、一瞬空けた。灰の村の朝が、後ろから追いついてくる。
だが。
その空けた隙へ、飛び込んでくるはずの次の牙は来なかった。
見ると、あの娘の火が、僕の背後の一匹をすでに灼いていた。僕が誰かを守るために空けた場所を、あの娘が当たり前の顔で埋めていた。
「よそ見しない」あの娘は、こともなげに言った。「後ろは、こっちで見る。あんたは、前をやって」
当たり前のことのように。ずっとそうしてきた組の口ぶりで。
組む、というのはこういうことだったか。
守れば、隙ができる。その隙を隣の誰かが埋める。僕が空けた背中を、誰かが見ていてくれる。灰の村では、それがなかった。僕は独りで、全部を守ろうとして全部を落とした。
背負わなくていい、とはまだ思えない。だが、背負うのは、僕一人ではないのかもしれない。今日、この浅い層でだけは。
変な感じだった。背中が軽い。ずっと独りで全部を張っていた背中が、誰かに預けたぶんだけ軽くなっている。その軽さが怖かった。慣れてしまえば、いつかまた失うのが怖くなる。失うのが怖くなれば、僕はまた、動けなくなる。
課題の的――層の奥の、印のついた石を確かめて、僕たちは戻りかけた。
その帰り道、僕はふと、通路の奥の暗がりへ目をやった。
この浅い層の、さらに下。空気がわずかに動いている気がした。何か大きなものが、深いところで身じろぎしたような。冒険者のころ、氾濫の前に幾度か感じた気配だ。獣が下から押し出されてくる前の。
気のせいかもしれない。教官は、何も言わなかった。ほかの三人も、気づいていない。
だが、僕の指の先はうっすらと冷たかった。理屈ではない。あの朝を生き延びた体だけが、覚えている強張りだ。
覚えておこう、とだけ思った。
次の課題は、もう一つ下の層だと教官が言っていた。もし、あの気配が気のせいでないなら。……いや。今から要らぬことを考えても、仕方がない。ただ、指の冷たさだけは忘れないでおく。
塔を出ると、日が傾いていた。
盾の男子が、去り際ぶっきらぼうに言った。「……お前、剣、いけるじゃないか」それだけ言って、行ってしまった。そばかすの子は小さく手を振った。値踏みの目ではなかった。組んだ、というだけの軽い距離だ。それが、なぜかこそばゆかった。
あの娘は、僕の隣を当然のように歩いていた。
「独りのほうが、気楽そうな顔してる」ふいに、そう言った。「でも、あんた、さっきあの子を庇ったでしょ。反射で。……独りでいたい人間は、あんなことしないのよ」
図星だった。返す言葉が、なかった。
「まあ、いいけど」あの娘は、先へ歩いていく。「次も、わたしの組ね。決まりだから」
決まり、ではない。だが、否とも言わなかった。
独りの掟に、今日小さな罅が入った。埋めたのは、僕ではない。隣で、当たり前の顔で背中を見ていたあの娘だ。その罅を塞ぐべきなのか、放っておくべきなのか。僕には、まだ分からなかった。
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