↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第二章完結・第三章開幕】無属性の落ちこぼれ追放令息は、失われた魔法《原初式》を読み解く ~世界の魔法は、最初から間違っていた~  作者: 刈谷るあ
学園編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
91/120

第91話「囲う手」

 塔通いは、続いていた。

 夜明け前に潜り、空になるまで振り、朝の水汲みまでに戻る。それを繰り返すうちに、掌の内で変わってきたものがあった。

 流す、という一手だ。魔力を細く長く送り、狙った一点へ火の芯を寄せる。物置で蝋燭のまん中を狙っていたころは、頭のなかで筋道を一つずつ組んでからでないと送れなかった。組んで、確かめて、それから流す。手間取るあいだに蝋燭は揺れて的が動く。十のうち三度がやっとだった。

 それが、このごろ違う。組もうと考える前に掌のほうが先に形を作っている。動く的へ指が勝手に芯を寄せていく。考えるより感じるほうが速い。まだ十のうち六度か七度だ。外すときは派手に外す。だが当たるときの手応えが前とは別のものになっていた。筋道を一つずつたどる稽古から、体が覚えて勝手に動く稽古へ、道が一段変わりかけている。

 いつか、これが十のうち十になったら。組む手間さえ要らず、思っただけで芯が寄るようになったら。――あの氷を思い出す。指一本、声も出さずに狙った一点を凍らせた学生。あそこまでは途方もなく遠い。だが遠くに立つ形が見えているというだけで、朝はまた潜れた。


 その日の昼下がり、書庫で傷んだ本を仕分けていると、あの若い研究生がまた顔を出した。風しか使えないと、自分で言っていた男だ。

 「モス先生が呼んでる」前より、いくらか角の取れた声だった。「院まで来い。今日は使い走りじゃない。ちゃんとした仕事だとさ」

 司書の老人は顎だけで行けと示した。止めはしない。ただその目の端に、この前と同じ案じる色があった。


 研究院の長机の一つに、モスは僕を座らせた。下働きが院の机につくというだけで、妙な絵だったらしい。近くの研究者が二人、あからさまに手を止めてこちらを見た。モスは構わなかった。

 「この前の蔵書録だ」茶に灼けた綴じ本を、僕の前へ滑らせる。「虫の食っていない頁は、全部おまえに読ませる。読めた行をこっちの紙へ書き写せ。今の字で、な」

 正式な仕事だった。読み手として写しを作る。水汲みとは、月とすっぽんの扱いだ。

 「籍の話は」僕は訊いた。

 「働きぶりを見てから、と言ったろう」モスはインクの染みた指で紙の束を押しやった。「これがその、見てから、だ。読め」


 僕は頁に屈み込んだ。三代前の書役の癖は、もう手の内にある。崩れた行を今の字へ移していく。北の棟に何を納め、南の棟に何を移したか。詩集、法令の写し、古い薬草の覚え書き。埃をかぶった宝の目録が、僕の手の下で、読める形に戻っていく。

 半分ほど進んだところで、指が止まった。

 一行だけ、ほかと違っていた。「――献上。城の奥、封じの蔵へ」。そう読めた。何を、とは書いていない。ただそこへ送った、とだけある。送り先の名に背筋がひやりとした。城の奥。封じの蔵。司書が格子を顎でしゃくって言った、もっと上、と同じ場所だ。

 三代前、この学舎にあった何かが、読める者のいない字とともに、城の奥の蔵へ送られた。しまうために。読まれないように。

 僕は、その一行を写す手を少しだけ緩めた。写しはする。だが心には別に刻んでおく。門の向こうの、そのまた奥。行きたい場所の在り処が、茶色い頁のたった一行に、たしかに書いてあった。


 「精が出るな」

 背後から、静かな声がした。

 振り返ると、地味な、けれど仕立てのいい上着の男が立っていた。研究院を出るとき、すれ違ったあの男だ。帳面に書きとめるような目で、僕の顔を確かめた、あの。近くで見ても、年の頃が掴めない。若くも老けてもなく、どこにでもいそうで、どこにも残らない顔だ。物腰は柔らかい。だが柔らかさの奥が読めなかった。

 「モス殿から聞いた。崩し字を、二、三行で解くそうだな」男は僕の写した紙を、断りもなく一枚つまみ上げた。「しかも、正しく。……たいした手だ。こんな粗布のまま、水を汲ませておくのは惜しい」

 褒め言葉のはずだった。だが、うなじの毛が逆立った。

 「その手がもっと活きる場所がある」男は紙を戻した。「静かで、暖かく、良い紙と良い明かりのある場所だ。読めるというだけで飯が食える。囲いのなかは存外わるくないぞ」

 囲い。その一語を、男はさらりと使った。隠す気もないらしい。

 僕は、写しの手を止めなかった。止めれば、心が動いたと知れる。

 「僕は、下働きです」できるだけ平らに言った。「字が読めるのは、村で覚えただけのことで」

 「村で」男は薄く笑った。「その村で、格子の向こうの字まで覚えたか」

 心の臓が、ひとつ大きく鳴った。格子の向こう。あの古い字のことを、この男は知っている。僕がそれを見たことも、たぶん。帳面に書きとめる目は、水場の噂などではない、もっと奥まで見ていた。

 「……模様なら、きれいだと思いました」前と同じ逃げを、もう一度使った。

 男は、それ以上は押さなかった。押す必要がないと思ったのかもしれない。

 「急ぐ話じゃない」上着の埃を払うしぐさをして、背を向ける。「気が向いたら、モス殿に言え。話は通しておく」

 去り際、ふと足を止めた。

 「才のある子は、たいてい囲われて、幸せになる。表から消えるのを不幸だと決めるのは、外の人間だけだ」

 それだけ言って、長机のあいだを抜けていった。


 男の姿が扉の外へ消えてから、モスがぽつりと言った。

 「あの手の誘いは、断っても角が立つ。乗っても、な」筆を置かないまま。「うちで読み手をしているぶんには、まだ表にいられる。籍が入れば、なおさらだ。……焦って良い返事をするなよ」

 庇ってくれているのか院の宝を取られたくないだけか。どちらとも取れた。たぶん、両方だ。

 僕は写しの続きへ戻った。城の奥、封じの蔵。その一行を今の字で丁寧に写しながら、思った。

 あの娘の言ったとおりだった。変わった才の子は、学園の話より先に、どこかへ囲われて表から消える。使いつぶされる。半ばは脅しだと思っていた。だが今日、囲いの手は柔らかい声で、良い紙と暖かい部屋を差し出しながら、たしかに僕の肩へ伸びてきた。

 読めるというのは、宝だ。宝は、欲しがられる。欲しがられれば、囲われる。門へ近づくというのは、こういう手が一つずつ増えていくことでもあるらしかった。


 その夜、物置に戻っても、あの男の声が耳に残っていた。

 囲いのなかは暖かいという。良い紙と、良い明かり。読めるというだけで飯が食える。……正直、心が動かなかったと言えば嘘になる。灰の村を出てから、暖かい部屋も、減りを気にせず使える明かりも僕には縁のないものだった。

 だが、暖かい部屋で、この稽古は続けられない。誰かの目のある場所で、火は流せない。塔にも、たぶん潜れなくなる。

 どちらが幸せか。あの男に言わせれば、決まっているのだろう。僕には、まだ決められなかった。

 ただ、今夜のところは。

 蝋燭を一本だけ立て、消えぎわの炎のまん中へ、芯を流した。考えるより、先に。指が、組む。……七度に一度は、まだ外す。それでも、当たったときの速さは、たしかに前と違った。

 これを手放すのは、まだ早い。それだけは、暗がりのなかで、はっきりしていた。

面白いと思っていただけたら、ブックマークや★★★★★評価・感想をいただけると、今後の執筆の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。