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【第二章完結・第三章開幕】無属性の落ちこぼれ追放令息は、失われた魔法《原初式》を読み解く ~世界の魔法は、最初から間違っていた~  作者: 刈谷るあ
冒険者編

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第77話「輪の中」

 王都へ発つと決めた、その翌々日だった。僕はギルドの掲示板の前で、赤い縁の札を順に眺めていた。

 路銀の算段だ。領都から王都までは遠い。C級で貯めた銀貨だけでは、着いた先ですぐに底をつく。ひと月ある。あるうちに、割のいい仕事をあと何枚か片づけておきたかった。カイルの推薦を待つあいだ、ただ待つのは性に合わない。手を動かしていないと、余計なことばかり頭に湧く。城のこと。兄のこと。まだ言っていない別れのこと。

 「よう。ずいぶん難しい顔だな」

 振り向くと、ダーグがいた。うしろにクレイとグラン、シェナも続いている。鉄輪の四人だ。

 「同じ札を見てるようだな」ダーグが顎で掲示板を指した。「北の街道の、あれだろう」

 赤印の札だった。北へ二日の街道で、隊商が三度立て続けに潰されたという。護衛ごと、荷ごと踏み砕かれて。逃げた御者の話では、岩を背負った牛のようなものが地の底から突き上げて現れるらしい。札の隅に、討伐対象の名が走り書きされていた。ボルダーオックス。B級。

 「うちだけじゃ、荷が重い」ダーグが頭を掻いた。「あいつは硬い。俺たちの刃じゃ、背も脇腹も通らねえ。クレイの雷でしびれさせて、グランで受けて、そこまではいい。だが、止めを刺す一本がない」

 「それで、僕か」

 「B級の札は、お前しか受けられねえしな」ダーグは白い歯を見せた。「分け前は等分だ。悪い話じゃねえと思うが、どうだ」

 僕は、すぐには答えなかった。

 ひと月のうちに、僕はこの街を出る。四人には、まだ言っていない。一緒に札を受ければ帰ってからまた飯を食う流れになる。そのぶん、切り出しにくくなる。分かっていて、僕は「いいよ」と口にしていた。手が先に動いた、とでも言えばいいのか。理由は、うまく言えない。ただ、この四人と街道を行くことがそう何度もないことのように思えた。だったら、行っておきたかった。

 「決まりだ」ダーグが札を剥がしにいく。シェナが横から「肩、まだ痛むんじゃないの」と僕の古傷のあたりを覗き込んだ。「無理はしないでよ」

 「大丈夫だ」

 「その大丈夫が、いちばん当てにならないんだから」シェナは口を尖らせた。グランは何も言わず、ただ僕の腰の山刀にちらと目をやって、小さく頷いた。使えると見てくれているのか、ただの癖なのかは、分からなかった。


 北へ、丸一日歩いた。

 道中、クレイはずっと喋っていた。前に組んだ隊の間抜けな失敗。酒場で吹っかけられた喧嘩。どこそこの受付嬢がどうの。半分は聞き流した。だが、耳障りではなかった。人の声のあるところを歩くのは、久しくなかった。野営の火を熾すとき、僕が湿った薪に手間取っているとグランが黙って乾いた小枝を寄越した。礼を言うと、顎を引くだけだった。

 妙な心地だった。誰かの歩幅に合わせて歩くと、自分の足の癖がよく分かる。僕はいつも、少しだけ急いでいるらしかった。前へ、前へと。何から逃げるでもなく、何かへ追いつくでもなく、ただ落ち着かずに。四人の輪は、僕より半歩ぶん、ゆっくりだった。

 「あんた、あんまり喋らないな」火の向こうで、クレイが言った。

 「聞いてる」

 「聞いてるだけの奴は、たいてい何か隠してる」クレイは笑ったが、目は笑っていなかった。それ以上は言わず、また別の間抜けな話を始めた。僕は、火に枝をくべた。この男は、勘がいい。いつか厄介になる。そう思いながら、その厄介が来る前に、自分がいなくなることを、僕は知っていた。


 二日目の昼過ぎ、崩れた石積みの辺りでそれは来た。

 地面が、下から一度、ぐんと持ち上がった。土と石が跳ね、道の真ん中を割って岩の塊がせり上がる。牛だ、と最初は思った。牛の、倍はある。岩を背負った牛。肩も背もごつごつした殻に覆われ、その隙間で目だけが赤く濁っていた。ボルダーオックスが、鼻を鳴らして地を掻いた。

 「配置ッ!」ダーグが叫んだ。

 四人が、散った。考えるより先に、体が流れる。グランが前へ出て、大盾を地に据える。クレイが後ろで指を鳴らし、青白い雷を溜めはじめる。ダーグは大回りに横へ。シェナは、さらに後ろへ退がった。

 そして、僕は。

 僕の持ち場は、どこだ。一瞬、迷った。ソロでは、迷うことがない。全部が自分の持ち場だからだ。だが今は、四人ぶんの背中があって、その隙間に、僕のいるべき場所があった。それを探すのに、半拍かかった。

 「レイ、止めだ! 隙は、こっちで作る!」

 ダーグの声で、腹が据わった。任せていい。うしろも、横も。その安心が、体を軽くした。

 牛が突進した。地を蹴る音が、腹の底に響く。グランの盾がそれを正面から受け止めた。鈍い、重い音。グランの足が土を削って後ろへ滑る。だが、倒れない。受けきった。その一瞬、クレイの雷が牛の横っ面で弾けた。巨体がびくりと頭を振る。しびれている。

 今だ。

 胸の奥に力を通した。血の巡りに乗せて、脚へ流す。十のうち、五つは掴めるようになった流れだ。今日は、掴めた。背に追い風を添える。体が軽くなって、風が僕を押した。地を蹴った足が、いつもより半歩ぶん、遠くへ運んでくれる。

 牛の頭の脇へ滑り込んだ。濁った赤い目が、すぐそこにある。

 息を、絞る。指先ほどに火を絞る。青白く、細く、鋭く。

 突いた。火が目を灼いた。牛が地を揺らして吼える。効いた、はずだった。だが、灼かれた首の跳ねが、思ったより速かった。狂ったように振られた頭に、僕の絞りは片目までしか届かなかった。もう片方が、まだ生きている。

 「シェナ!」

 牛が後ろのシェナへ向き直った。半分潰れた目で、匂いだけを頼りに。まずい。シェナの手当ては味方の傷を塞ぐが、こういう時、前へは出られない。

 考える間はなかった。刃に、風を纏わせる。人前で切る札ではない。だが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。切れ味だけを、風で研ぐ。牛の後ろ脚の、殻の継ぎ目へ、体ごとねじ込んだ。

 腱の、切れる手応え。巨体ががくりと傾いだ。

 そこへ、グランだった。傾いだ横腹へ、大盾ごと体をぶつける。牛が、横倒しになった。晒された腹の、殻の薄いところへ、ダーグの剣と、クレイの二撃目の雷が、続けて突き立った。

 牛が、一度、大きく身をよじって。それきり、動かなくなった。


 静かになった街道で、僕は膝に手をついて、息を整えた。

 倒したのは、僕じゃない。誰か一人でもなかった。グランが受けて、クレイがしびれさせて、僕が目を潰して脚を裂いて、最後はダーグと、またクレイだった。誰の一撃が止めか、もう分からない。あの大鷲を独りで墜としたときとは、ずいぶん違う手応えだった。あのときの、独りきりの冴えとは、別の何かが、胸に残っていた。うまく言えない。悪くはなかった。

 グランが、盾を引きずって戻ってくる。受け止めた腕が、赤く腫れていた。シェナが駆け寄って、その腕に手をかざす。淡い光が、腫れをゆっくり引かせていく。前に、この盾は僕を庇ってくれた。ひしゃげるほどに。今日は、僕がその腕を守れたのか。それとも、また守られたのか。数えかけて、やめた。数えるものではない気がした。

 「なあ」

 クレイだった。雷の残りで、指先をまだ光らせている。「あんたのあの火。やっぱり、細いな」

 僕は、答えなかった。

 「火のくせに、火の使い方じゃねえ。前から思ってた」クレイは、僕の顔を覗き込んだ。悪意はない。ただ、腑に落ちないだけの顔だ。「まあ、いい。訊いても、はぐらかすんだろ。……助かったよ。それだけは、ほんとだ」

 クレイは、それ以上は踏み込まなかった。ダーグが「細かい詮索はよせ、荷の勘定が先だ」と割って入って、話はそれで流れた。だが、クレイの目は、僕の掌のあたりに、まだ少し残っていた。この男は、忘れない。いつか、どこかで、また訊いてくるだろう。そのとき、僕はもう、この街にいない。


 帰り道、ダーグが横に並んだ。

 「お前、いい動きするな」上機嫌だった。「次はもっと上の札を受けようや。赤印の、もっと厄介なのをな。お前がいりゃ、うちも一つ格が上がる」

 次は。

 僕は、その言葉に、うまく相槌が打てなかった。次はない。ひと月のうちに、僕は王都へ行く。この四人とは、たぶん、もう街道を歩かない。それを、今ここで言えばいい。言えばいいのに、口が動かなかった。

 「……ああ」とだけ、返した。嘘ではない。だが、本当でもなかった。


 その晩、街道沿いの安宿で、僕は天井を見ていた。

 黙って消えるのは、簡単だ。荷をまとめて、朝、誰にも言わずに門を出る。それで済む。今までも、そうしてきた。名を捨てたときも、街を移ったときも、僕は誰にも別れを言わなかった。言えば、惜しくなる。惜しくなれば、足が鈍る。

 だが、今度は。

 グランが寄越した小枝の乾いた感触。シェナの横目。クレイのしつこい目。それを思うと、黙って消えるのは、なんだか卑怯な気がした。守るのは、できる。何度でも前へ出られる。それなのに、別れの一つが、いまだに下手くそだ。灰の村で、いっぺんに全部を失ってから、ずっとそうだ。あのときは、別れを言う暇さえなかった。今度は、暇がある。暇があるのに、逃げるのか。

 ちゃんと、言おう。

 発つ前に、四人に。うまく言えなくてもいい。世話になった、の一つでも。それくらいは、していこう。今夜じゃない。明日でもない。だが、消える前に、一度は。

 決めてしまうと、少しだけ息がしやすくなった。

 枕元で、銀の首飾りが、冷たく光っていた。母さん、と、心のなかで呼んでみる。あなたのいる場所へ、僕は行く。そのために、ここを出る。出る前に、置いていく相手へ、きちんと背を向ける練習をしておきたいのだと思う。妙な話だ。会いに行くための旅立ちなのに、まず覚えたいのが別れ方のほうだった。

 我ながら、世話が焼ける。魔物の前では退かないくせに、たった四人に一言言うだけのことが、こんなにも重い。

 目を閉じた。明日は、路銀の残りを数えよう。それから、いつ切り出すか、考えよう。考えることがまた一つ増えた。ただ、悪い気はしなかった。

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