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【第二章完結・第三章開幕】無属性の落ちこぼれ追放令息は、失われた魔法《原初式》を読み解く ~世界の魔法は、最初から間違っていた~  作者: 刈谷るあ
冒険者編

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第74話「客人」

 三日は、あっけないほど早く過ぎた。

 その間、僕は何もしなかった。傷の残る肩を庇って、宿でだらだらと過ごした。飯を食う。眠る。天井を見る。それだけだ。決めたはずなのに、いざとなると、あれこれ考えるのが億劫だった。頭のどこかが、ずっと痺れていた。逃げ出す度胸も、腹をくくる潔さも、どちらも中途半端なままだった。日だけが過ぎた。

 三日後の昼。僕は、城の東門の前に立っていた。

 迎えの者は、もう来ていた。ハロルドだ。あの日と同じ隙のない身なりで、僕を見ると軽く頭を下げた。門番が槍を引く。重い扉がゆっくりと開いた。その音を、なぜか腹の底で聞いた気がした。

 正面からこの門をくぐるのは、初めてだった。


 子供のころ、僕はいつも、裏の使用人門から出入りしていた。

 正面の門は、兄のものだ。父のものだ。客人のものだ。庭の隅から、僕はそれをいつも見ていた。その正面の石畳を、今、自分の足で踏んでいる。革靴の下で、石が記憶のとおりの硬さで鳴った。

 変わっていない。そう思った。それから、いや、と思い直した。

 庭木が、記憶よりずいぶん高い。五年ぶんだ。植え込みの形も、少し違う。噴水の縁の欠けていた石は、直されている。当たり前だ。時は、僕がいなくなってからも、ここで流れていた。僕だけが、あの日で止まったまま、外をぐるぐる回っていたのだ。

 ハロルドの後をついて、廊下を歩いた。

 壁の垂れ幕に、三つの塔の紋がある。あの紋を、僕は寝台の頭板でも見て育った。廊下の途中で、若い侍女とすれ違った。見覚えのない顔だ。向こうも、僕をただの客としか見ない。当たり前だ。それでも、少しだけ拍子抜けした。この家の誰も、僕をもう覚えていない。

 母の肖像は、どこにもなかった。

 広間にも廊下にも、歴代の当主とその妻の絵が並んでいる。父の絵もあった。母のものだけが、ない。捜すつもりなどなかった。それなのに、目が勝手にその空白を拾う。ここでも母は、いなかったことになっている。喉の奥が、妙に渇いた。

 それから、腹が減っていることに気づいた。こんなときに、と思う。命の懸かった場所へ来ておいて、頭は昼を抜いたことを気にしている。人というのは、たぶん、そういうふうにできているのだろう。


 通されたのは、客間だった。

 子供のころ、入ったこともない部屋だ。磨かれた卓。火の入っていない暖炉。窓から、手入れの行き届いた庭が見える。ハロルドが「若君は、じきに」とだけ言って、下がった。

 僕は、椅子に浅く腰かけて待った。

 卓の木目を、指でなぞる。逃げるなら、今のうちだ、と頭の隅で誰かが言った。この門を出て、街を出て、遠くへ。もう名は書かれている。それでも、消えることはできる。何度もそうしてきた。……そこまで考えて、やめた。考えるだけ無駄だった。僕の足は、もうこの椅子から動く気がなかった。

 やがて扉が開いた。

 入ってきた男を見て、僕は立ち上がるのを忘れかけた。

 カイルだ。兄だった。東の山の頂で、名乗らぬまま並んで戦った、あの人。明るい光の下で見る兄は、記憶よりずっと大人びていた。目もとに、疲れの影がある。それでも、背筋はまっすぐだった。父に似てきたな、と場違いなことを思った。


 「よく来てくれた」

 兄はそう言って、僕の向かいに腰を下ろした。

 「まずは、礼を言わせてくれ。広場で、大勢の民を守ってくれたそうだな。……それに、東の山でも。あの頂で、俺の隊を助けてくれたのは、お前だと聞いた。二度も、この家はお前に助けられている」

 「……仕事だ。冒険者の」

 「仕事、か」

 兄は、少し笑った。それから、その笑みがゆっくりと消えた。じっと僕の顔を見ている。値踏みではない。もっと、途方に暮れたような目だった。

 「妙なことを訊いてもいいか」

 「……なんだ」

 「お前のその火だ。東の山で見たときから、ずっと引っかかっている。細くて、鋭くて、俺の知っている火とは別のものだ。どこで、覚えた」

 「遠い、山向こうの流派だ。師は、もう死んだ」

 用意していた言葉を、僕は口の中で転がすように出した。何度も使った嘘だ。慣れているはずだった。それなのに、この部屋で、この人の前で言うと、舌の裏がやけに乾いた。

 兄は、しばらく黙っていた。信じたのか、信じなかったのか。その顔からは、読めなかった。


 「……昔、弟がいた」

 ふいに、兄が言った。

 脈が、跳ねた。

 「無属性でな。魔法は使えない、と誰もがそう決めつけていた。俺も、そう思っていた。……賢い子だった。俺なんかより、ずっとものを見る目があった。庭の隅で、いつも何かを書いていたよ」

 兄は、卓の一点を見つめている。僕を見てはいない。だが、その言葉のひとつひとつが、僕の芯を順番に冷やしていく。

 「父が、あれを辺境へやった。体のいい厄介払いだ。俺は、止められなかった。……いや、止めなかった。あとでそれを知って、父とずいぶんやり合った。もう、遅かった。あれのいた村は、魔物に呑まれて、消えた」

 やめてくれ、と思った。声には、ならなかった。

 「遺体は見つからなかった。だが、村人を弔った跡があった。誰かが、生きて埋めたんだ。……だから俺は、まだどこかで思っている。あいつは、生きているんじゃないか、と。莫迦な話だろう。もう五年だ。それでも、正月が来るたび、ひとつ、齢を数えてしまう。今年で、十六か、と」

 十六。今の僕の齢だった。

 兄は、そこではっと顔を上げた。見知らぬ冒険者相手に、自分が何を喋っているのか、気づいたらしい。

 「……すまん。関係のない話だ。ただ、お前を見ていると、なぜかあれを思い出す。似ているんだ。目の、動かし方が」


 僕は、膝の上で拳を握っていた。

 言えばいい。ここで、レオンだ、と。生きている、と。兄の五年ぶんの後悔を、たった一度の言葉で終わらせてやれる。それは、喉のすぐそこまで来ていた。

 でも、言えなかった。

 言えば、どうなる。追放された無属性の子が、得体の知れない力を抱えて戻ってきた。父はどう出る。この家は、僕をどう扱う。そして、あの痩せた男の帳面が、この家のどこと繋がっているのか。何ひとつ分からない。分からないことに、兄を巻き込むわけにはいかなかった。

 守るために、近づかない。それが、僕の生き方だったはずだ。

 なのに今は、その生き方がいちばん薄情なものに思えた。勝手なものだ。ずっと独りを選んできたくせに、いざ手を伸ばせる相手が目の前にいると、伸ばせない理由ばかりを、数えている。

 「……その弟さんは」やっと、それだけ言った。「きっと、生きてる。埋めた誰かがいたんだろう。なら、そいつは生き延びる術を知ってたってことだ。そういうやつは、しぶといもんだ」

 兄が、目を見開いた。それから、ふ、と、力の抜けたように笑った。

 「そうか。……そうだな。冒険者のお前が言うなら、そうかもしれん」

 その笑みが、あんまり無防備だったから。僕は、思わず目を逸らした。逸らした先の窓に、手入れされた庭が見えた。その庭の、いちばん奥の隅を、僕は知っている。昔、そこで飽きもせず落書きをしていた。今は、名も知らぬ庭師が、きれいに刈り込んでいるのだろう。


 兄は、卓の上で指を組んだ。

 「本当は、父が礼を言うべきなんだが。……あいにく、王都に長く留まっていてな。近ごろは、めっきり城へ戻らん」

 その声には、父への割りきれない色があった。僕は、何も言わなかった。父の名を聞くだけで、胃の底が冷たくなる。それを顔に出さないように、卓の木目を、また指でなぞった。

 「なあ、レイ。お前ほどの腕があれば、辺境の厄介な依頼を潰して回るのは、もったいない。その気があるなら、口をきいてやれる。宮廷にも、学び舎にも、俺は多少の伝手がある。お前の火は、しかるべき場所で、しかるべき者に見てもらうべきだ」

 思わぬ言葉だった。

 門。学び舎。ずっと欲しかったものが、いちばん欲しくない相手の手から、差し出されている。母の答えへ近づく道が、皮肉にも、この人を通じてまた開こうとしていた。喉まで出かかった返事を、僕は呑み込んだ。うまい話には、裏がある。……いや、裏なんて、ないのかもしれない。この人はただ善意で言っている。それが、よけいにいたたまれなかった。

 「……考えておく」

 結局、そう答えるのが精いっぱいだった。兄は気を悪くするでもなく「そうか」と頷いた。急かす気はないらしい。


 礼の品だという革袋を渡され、僕は客間を辞した。

 中身は見なかった。重さで、それなりの金貨だと分かった。帰りも、ハロルドが門まで送ってくれた。正面の門が、また重い音を立てて閉まる。振り返ると、三つの塔が昼の空に静かに立っていた。

 結局、僕は何も言わずにこの門を出た。

 入るときより、足が重かった。決めて入ったはずなのに、決めたことの答え合わせは、何ひとつできていない。母のことは、訊けなかった。ただ、兄が僕を捜し続けていたと知った。それだけを抱えて、僕は、城下への道をひとりで歩いた。

 兄は、いい人だった。それがいちばんこたえた。憎める相手なら、よかったのに。追い出した家。見下した兄。そういう分かりやすい敵なら、迷わず背を向けられた。だが、実際に会った兄は、僕を捜し、僕の齢を毎年数えていた。どう受け止めればいいのか分からない。分からないまま、足だけが、宿のほうへ動いていく。

 肩の傷が、また疼きはじめていた。都合のいいときに、都合のいいように痛む。体というのは、つくづく正直だった。頭がいくら迷っても、傷は勝手に痛む。それが今の僕には、少しだけありがたかった。

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