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【第二章完結・第三章開幕】無属性の落ちこぼれ追放令息は、失われた魔法《原初式》を読み解く ~世界の魔法は、最初から間違っていた~  作者: 刈谷るあ
冒険者編

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第56話「城下」

 門は、思っていたより呆気なく通れた。

 列に並んで半刻ほど待たされたあと、槍を提げた門兵が僕の荷を軽く探り、ギルドの証を検めた。C級の札を見て、へえ、という顔をしただけだ。若いのに、とも、どこから来た、とも訊かれなかった。荷車の商人の税を数えるほうが、よほど大事らしい。門兵の関心はそこにしかなかった。かつてこの門を、僕は馬車の窓ごしに眺めたことがある。あのときは検められる側ではなく、素通りできる側だった。そんなことを、今ここで思い出しても仕方がない。

 男は、門の手前でいつのまにか消えていた。

 人混みに紛れるのが、この人はうまい。城下では別々に動くと、昨夜のうちにそれだけ言い置かれていた。目立つ町では師弟づれは覚えられやすい、というのが理由だったが、本当のところは、あの男自身が門で名を検められるのを避けたのだろう。素性を持たない者にとって、門というのは通りにくいものらしい。それも、詮索はしなかった。


 城壁の内は、僕の知っている町のどれとも違った。

 石畳が、荷車の轍で磨かれて鈍く光っている。両側には三階も四階もある石造りの家が肩を並べ、その隙間を縫うように、物売りの声と、焼けた油の匂いと、どこかの工房の槌の音が満ちていた。拠点にしていた街も小さくはなかったが、ここはそれの何倍も濃い。人の数だけ、暮らしの匂いが層になって溜まっている。

 僕はその流れに、しばらく足を止めて呑まれていた。

 妙な気分だった。この賑わいを、僕は知らないはずなのに、どこかで知っている。幼い頃、輿の上から見下ろした城下の景色。あのときの色や音が、体の奥のほうで薄く重なる。ただ、見下ろしていた景色を、今は泥のついた靴で、下の側から見上げている。同じ町のはずが、まるきり別の場所のようだった。

 通りの角で、香草を焼く匂いに腹が鳴った。串に刺した肉を一本買って、歩きながらかじる。銅貨が二枚。村では一週間分の日銭だった額が、ここでは肉の一串に消える。物の値も、金の重さも、この壁の内と外では何もかも違う。強くならなければ、ここでは半月ももたない。


 大通りを城のほうへ折れたとき、向こうから来た一団に、僕は思わず端へ身を寄せた。

 揃いの外套の胸に、三つ塔の紋がある。領主家の騎士だ。四人が横に並んで、人波を割って歩いてくる。誰もが道を空け、頭を下げた。僕も倣って軽く俯いたが、その拍子に、悪い癖が出た。耳へ、そっと力を通してしまったのだ。すれ違いざまの短いやりとりが、周りの喧騒を押しのけて、耳の奥へ滑り込んでくる。東の山がまた荒れている。人手が足りん。カイルさまがじきじき出向くとおっしゃっている――。そこまで拾って、慌てて力を解いた。こめかみの奥が、ちりっと痛んだ。聞くつもりなど、なかった。ただ、通したくない名まで、勝手に耳へ流れ込んでくる。

 騎士たちは僕を一顧だにせず、通り過ぎていった。泥のついた靴の、名もないC級の若造など、あの人たちの目には端から映らない。それでいい。映らないでくれ。俯いたまま、僕はそう念じた。


 領都のギルドは、拠点の街のそれとは、建物からして格が違った。

 石の柱が正面を支え、扉は僕の背丈の倍はある。中へ入ると、天井が高く、声がわんわんと反響していた。受付の窓口が四つも並び、そのどれもに冒険者の列ができている。壁一面の依頼板は、拠点の街のものが子供の落書きに見えるほど、札で埋め尽くされていた。

 僕は列の最後尾についた。

 順番が来て、C級の証を出し、他所からの移りだと告げる。受付の女は慣れた手つきで台帳を繰り、僕の名と等級を写し取った。レイ、と偽りの名を書き込まれるのを、僕は黙って見ていた。この町で、この名を使う。それが、思っていたよりずっと据わりの悪いことのように感じられた。父の城のある町で、偽りの名で登録される。皮肉を数えていたら、きりがない。

 「催しのことは、もう聞いてる?」

 女がふと、手を止めて訊いた。

 半月後に、研究院の下見の催しがあること。珍しい才を持つ者に、上の学び舎から声がかかることがあること。それを目当てに、近ごろ他所から腕自慢が流れ込んでいること。女は台帳を写しながら、慣れた口ぶりでそれだけ教えてくれた。あんたもその口かい、とは訊かれなかった。C級の若造が催しでどうこうなるとは、はなから思っていない顔だった。

 「腕試しなら、板の右のほうだね」

 女が顎で示した先に、赤い印のついた札が並んでいた。ランクの高い、割のいい依頼。今の僕には、まだ手の届かない側だ。


 礼を言って窓口を離れると、広間の隅で小さな人だかりができていた。

 覗くと、旅装の若い男が、酒場のそれのように仲間へ何か芸を見せている。素焼きの杯に指先をかざすと、注がれた水の面に、みるみる白い霜が張っていった。氷。詠唱の言葉は聞き取れなかったが、指の動きに合わせて杯の縁まで凍りついていく。周りが感嘆の声をあげ、男は得意げに肩をそびやかした。他所から催しを目当てに流れてきた腕自慢の一人だろう。

 僕はその指先を、人だかりの後ろから、じっと見ていた。

 水の面がどう固まっていくのか。指のどこから、何が伝わって、あの冷えが生まれるのか。落書き帳を出したい手を、上着の上から押さえた。ここでは、まだ出せない。だが目には焼きつけた。いつか、あの冷えの作り方も、僕は盗む。今日のところは、それだけだ。


 依頼板の前で、僕はしばらく札を眺めていた。

 C級で受けられる仕事を選り分けながら、右の赤い一角へ、つい目がいく。あそこの札をこなせるようにならなければ、B級には上がれない。B級にならなければ、催しで研究院の目に留まるほどの名も、実績も作れない。半月。長いのか短いのか、まだ見当もつかなかった。

 板の隅に、一枚だけ、色の違う札が留められていた。

 白地に、青い縁取り。ほかのどの依頼札とも紙が違う。近づいて覗き込むと、隅に見覚えのある紋が刷られていた。三つの尖った塔を組み合わせた、古い印。

 息が、一拍止まった。

 アークライト。父の家の紋だ。庭の門にも、広間の垂れ幕にも、僕の生まれた寝台の頭板にも、この印はあった。忘れたくても忘れられるものではない。札には、領主家からの布告が細かい字で連ねてあった。城の東の山あいに現れた魔物の討伐に、腕の立つ者を募る、と。報酬の額は、ほかの札とは桁が一つ違っていた。

 僕はその紋を、指で触れそうになって、やめた。

 名を上げるための、格好の的だ。頭のどこかが、そう冷たく計算していた。あの家の依頼をこなして名が売れれば、それが催しへの一番の近道になる。わかっている。わかっているのに、指が動かなかった。あの紋の下へ、自分から名乗り出ていく。それがどういうことなのか、うまく像を結ばない。

 「その札、気になるのかい」

 隣に立った冒険者が、僕の視線を追って言った。人のよさそうな、中年の男だ。

 「領主さまんとこは、報酬は張るが、山が険しくてね。割に合わねえって嫌う奴も多い」男は肩をすくめた。「まあ、若い当主どのが張り切ってなさるからな。次から次へと札が出る」

 若い当主。

 「……当主は、若いのか」

 訊いてから、しまったと思った。よそ者が領主家のことを詮索するのは、いらぬ目を引く。だが男は気にする風もなく、へえ、と頷いた。

 「先代がまだご存命だが、近ごろは跡取りどのが表に立ってなさる。カイルさまだ。魔物討伐にご自身で出られることもあるって話でな。名の売れた、火の使い手よ」

 カイル。

 その名を、この町で、他人の口から聞くとは思っていなかった。

 兄は、跡取りとして、ちゃんとあの家に立っている。火の使い手として、名まで売れている。当たり前のことだった。無属性の弟がいなくなったところで、あの家は何ひとつ欠けずに回っていく。むしろ、余計な染みがひとつ消えて、きれいになったのかもしれない。そう考えても、不思議と、腹は立たなかった。ただ、遠い。同じ壁の内に、兄は、いる。

 「兄弟でもいるのかい、ずいぶん熱心に聞くねえ」

 男が、なにげなく言った。

 「いや」僕は札から目を離した。「知り合いに、火を使う奴がいただけだ」

 嘘は、するりと口をついて出た。慣れたものだった。


 その日は結局、赤い札にも、青い縁の札にも、手を出さなかった。

 板の左の、地味なC級の依頼をひとつ選んだ。城壁の外の街道で、荷を狙う小物の獣が増えている、その間引き。報酬は渋いが、まずは体を町に馴染ませるほうが先だと思った。名を上げるだの、B級だのは、明日からでも遅くはない。そう自分に言い聞かせて、僕は札を剥がした。半分は、本当だった。もう半分は、あの青い縁の札から、今日はただ逃げただけだ。

 宿は、城壁ぎわの安い一軒を選んだ。窓を開けると、屋根の連なりの向こうに、城の尖った塔が覗いた。父の城だ。子供の頃、あの塔のどれかの下で、僕は眠っていたはずだった。今は、そこから歩いて四半刻の安宿で、板の壁に背を預けている。

 男の姿は、その晩は見なかった。

 城下のどこかにいるのだろう。あの人のことだから、僕が知らないうちに、この町の裏側をひととおり歩いて確かめているのかもしれない。ひとりの夜は、久しぶりだった。焚き火の代わりに、宿の小さな灯りが一つ。

 僕は寝台に腰かけて、首飾りを上着の内から出した。

 銀の鎖に、四角い空白。ここへ来たのは、これのためだ。母が何者だったのか。この空白が何を隠しているのか。壁の内から始まった糸を、たぐりに来た。そのはずだった。

 なのに、頭を離れないのは、依頼板の青い縁の札のことばかりだった。あの紋の下へ、いつか名乗り出る日が来る。今日でなくても、催しまでの半月のどこかで。逃げ続けられるほど、この町は広くなかった。

 窓の外で、城の塔がひとつ、篝火に赤く滲んでいた。

 僕はしばらくそれを眺めて、それから灯りを消した。眠れそうにない夜だった。

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