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【第二章完結・第三章開幕】無属性の落ちこぼれ追放令息は、失われた魔法《原初式》を読み解く ~世界の魔法は、最初から間違っていた~  作者: 刈谷るあ
冒険者編

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第52話「穿つ」

 領都までは、まだ半分あった。

 街道沿いのそこそこ大きな町で、僕らは一晩休むことにした。石垣があって、門番がいて、ギルドの支所もある。ちゃんとした町だ。久しぶりに屋根の下で眠れると思うと、それだけで足が軽くなった。

 宿は一泊で、街道の宿場の倍もした。町に入れば、何もかも高くつく。それでも水場で頭から水をかぶって、この何日かの埃を落とせるのはありがたかった。ずっと、川で体を拭くばかりだったのだ。

 飯屋に入ると、給仕の女がすぐ寄ってきた。

 「二属性の子が来てるって、あんたかい?」

 もう噂になっているらしい。門で名乗ったのが回ったのだろう。僕が指先に小さな火を灯すと、女は手を叩いて喜んだ。こわがりもしない。珍しい芸を見た、くらいの顔だ。周りの客も首を伸ばしてくる。奥にいた酔っぱらいが、気前よく一杯おごってくれた。

 少し前まで、火を出すたびに場の空気は固くなった。無属性のくせに、と。それが詠唱をひとつ被せて二属性と名乗るだけで、こうも変わる。楽なものだ。楽すぎて、少し薄ら寒くもあった。

 男は離れた席で飯を食っていた。町では連れのふりをしない。目も合わせてこない。人の集まる場所では、いつも壁際の、出口にいちばん近い席に座る。癖なのだろう。訊いても、たぶん答えないだろうから、訊かない。


 その町は、岩喰いに困っていた。

 支所の壁に、赤い印の依頼票が半月も貼りっぱなしになっている。牛より大きい岩喰いが、町はずれの水路を掘り返して、井戸をひとつ潰した。飲み水が減って、町じゅうが気を立てているらしい。

 カウンターの隅に、腕を吊った男が座っていた。町のD級だという。三人で囲んで鱗に刃が通らず、逆に腕を折られたのが、この男らしかった。僕が票を眺めていると、そいつは苦い顔で口を出した。

 「やめとけ。剣の通る相手じゃねえ。おれたちの火だって、鱗の上を滑るだけだった」

 火は滑る。それは、僕にもわかっていた。

 「二属性のあんたなら、と言いたいがな」受付の男が横から口を挟んだ。「D級がC級に挑むんだ。半分は死にに行くようなもんだぞ」

 それでも票を剥がした。危ない依頼ほど、控えに名が残る。領都の催しまでに、一枚でも多く。理由はそれだけだった。腕を吊った男が、呆れたような、それとも羨ましいような、どっちつかずの目で、僕を見送った。


 その晩、宿の裏で男に言った。明日、岩喰いをやる、と。

 「勝手にしろ。俺は行かねえ」

 それきり、理由も言わない。星を見上げている。

 「手も貸さないのか」

 「貸さねえ」男は少し黙って、それから面倒くさそうに付け足した。「いつまでも横にいると思うな。それだけだ」

 突き放されたのに、腹は立たなかった。かわりに、足の裏が妙に据わった。この人は、僕が独りでやれると踏んでいるらしい。乳母は要らない、ということだ。

 絞りの火は、まだ気まぐれにしか出ない。そう正直に言うと、男は鼻で笑った。

 「出せなきゃ死ぬ。出せりゃ勝つ。それだけの話だ」

 ずいぶんな稽古のつけ方だと思った。だが、言い返す気にはならなかった。この人の言うことは、身も蓋もないぶん、いつも嘘がない。

 その夜は、なかなか寝つけなかった。半分は死にに行く、という言葉が、耳の奥にこびりついていた。僕は暗がりで山刀を抜いて、刃の毀れを指でたしかめた。何ヶ所か、こぼれている。研ぐ砥石も持っていない。あるもので、やるしかなかった。二の腕に、布を一巻きしておく。血止めのつもりだが、気休めのようなものだ。それでも、何かしていないと、落ち着かなかった。


 翌朝、水路跡へ行った。

 掘り返された土が小山になっている。あたりは掘り跡だらけだ。踏み込むと、足首まで柔らかい土に沈んだ。足場が悪い。厄介だな、と思う。その一つの穴から、そいつはのっそりと這い出してきた。

 でかい。話に聞いた以上だった。小屋くらいある。鈍色の鱗が幾重にも重なって、岩の鎧みたいだ。前肢の爪は、僕の腕ほどもある。濁った目が、こっちを睨んだ。

 まず、いつもの火を投げてみた。大きく巻いた火の玉が、鱗の面で赤く潰れて消える。焦げ跡もつかない。腕を吊った男の言ったとおりだ。面で当てる火は、この鎧には通らない。

 絞るしかない。だが絞りの火は、昨日は一度も出せなかった。まったく、間の悪いことだ。

 岩喰いが地を蹴った。

 最初の突進は、横へ跳んでかわした。爪が、さっきまで僕のいた土を抉り飛ばす。柔らかい土に足を取られて、着地でよろけた。

 立て直して、半歩で流す。ボルツの逸らしだ。岩喰いは勢い余って掘り跡へつんのめった。脇腹の鱗がめくれて、継ぎ目がのぞく。あそこだ。

 掌に流れを集めた。細く。細く。針の先まで。

 逃げた。渦が縁からほどける。指に力が入りすぎている。握るな。抜け。掌の力をふっと抜いた。

 一瞬だけ、渦がまっすぐ立った。慌てて詠唱を被せて、青白い火を継ぎ目へ撃ち込む。

 通った。岩喰いが吼えた。継ぎ目の奥の、柔らかいところを灼いたのだ。

 だが、それきりだった。二度目は出ない。三度目も出ない。焦るほど、渦は逃げていく。

 岩喰いは痛みで気が立って、かえって速くなった。爪の薙ぎが続く。いなして、逸らして、跳んで、じりじり後ろへ下げられていく。一度、避けきれなかった。爪の先が二の腕を裂いた。熱い。浅いが、血が出た。あと少し深ければ、腕ごと持っていかれていた。ぞっとして、それから、腹が立った。こんなところで、腕の一本、くれてやるものか。

 息が上がった。もう空になる。体の癖が、そう告げる。

 だが、ならなかった。掌の芯は、まだ冷えていない。さっきの絞った一発が、驚くほど魔力を食っていなかったのだ。いつもの撃ち方なら、とうに膝をついている頃だった。

 それに気づいたら、少しだけ、肩の力が抜けた。まだ撃てる。何発かは。

 あとは、みっともない粘り合いだった。突進を流す。継ぎ目が出る。渦を通そうとして、外す。また流す。外す。通るのは、三回に一回もあればいいほうだった。それでも、火を食う量が少ないぶん、僕のほうが先に空にはならなかった。同じ継ぎ目を、灼いて、灼いて、灼きつづける。地味な、根競べだった。

 途中で、岩喰いがふいに土へ潜った。もともと穴掘りの魔物だ。地面の下を、ずるずると這う音がする。どこから出る。息を殺していると、真横の土が盛り上がった。跳びのくのが、一拍遅れる。爪が脇腹をかすめて、脇の布が裂けた。今度は皮まで届かなかった。運がよかっただけだ。潜って、出て、また潜る。地面のどこからでも来られるのは、正面から来られるより、ずっと厄介だった。何度か、心臓が縮んだ。

 どれくらい、そうしていただろう。岩喰いが、灼かれた脇腹の鱗を一枚、ぼろりと落とした。爛れて、焦げくさい、赤い肉がのぞく。

 そこへ、山刀を根元まで突き入れた。柄まで、手応えが伝わる。獣が身をよじって、刃ごと持っていかれそうになるのを、両手で押さえつけて、奥へねじ込んだ。


 やがて、岩喰いが横倒しになった。地響きがした。二度痙攣して、それきり動かなくなる。

 僕はその場に座り込んだ。というより、崩れ落ちた。腕も脚も、鉛のように重い。二の腕の傷が、今ごろになって、じくじく痛みだした。

 勝った、という気は、あまりしなかった。ただ、ひどく疲れていた。息が整うまで、しばらく泥のなかに座り込んだまま、動けない。見上げると、間の抜けた青空が広がっていた。さっきまで死にかけていたのが、嘘のようにのどかだ。どこかで、鳥が鳴いていた。


 男は水路の縁に立っていた。いつからか、ずっと見ていたらしい。

 「見てただけか」

 「ああ」男は掘り跡を降りてきて、岩喰いを爪先で小突いた。死んでいるのを確かめる、慣れた仕草だ。それから僕を見下ろして、「立てるか」とだけ言った。

 立てなかった。首を振ると、男はそれ以上、何も言わない。手も貸さない。ただ、すぐには行かずに、そこに突っ立っていた。

 それが何なのか、うまく言えなかった。礼を言うのも違う気がして、僕も黙っていた。ボルツが死んでから、こんなふうに誰かに黙って横にいられたのは、久しぶりだった。わかったのは、それくらいだ。しばらくして、男は「先に戻ってる」と言い、ひとりで町のほうへ歩いていった。結局、最後まで、手は貸さなかった。


 証にする爪を一本、根元から切り落として、僕も町へ戻った。重かった。片手では持てず、途中で二度、道端に下ろして休んだ。こんなものを証に担いで帰らされるのも、間尺に合わない話だと思う。

 討伐は、もう知れ渡っていた。二属性の若いのが、独りで岩喰いを仕留めた、と。話はいつものように、少し盛られている。受付が控えに僕の名を太く書いて、「D級にしとくのは、惜しいな」と言った。悪い気は、しなかった。

 報酬は、思っていたより少なかった。半月も片づかなかった依頼のわりに。この町も、実入りは細いのだろう。文句は言わなかった。二属性の顔に手柄がつけば、それでよかったのだ。

 男は、宿にいなかった。飯屋にも、水場にもいない。ふらりといなくなるのも、この人の癖だ。どこで何をしているのか、僕は知らない。明日には、また街道のどこかで、素知らぬ顔をして並んで歩いているのだろう。そういうものだと、もう思うことにしていた。

 その晩は、腕の傷が疼いて、あまり眠れなかった。暗がりで、掌の渦をもう一度、絞ってみる。出ない。何度やっても、昼間の火は顔を出さなかった。出せる日と、出せない日がある。その差が、まだ自分でもわからない。

 わからないまま、明日もまた歩くのだろう。領都は、まだ遠い。

 僕は途中で諦めて、目を閉じた。傷が、脈に合わせて、ずきずきした。

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