第51話「上塗り」
道連れになってから、男はよく喋るようになった。
といっても世間話ではない。歩きながら、休みながら、男は僕の火の出し方に片端から難癖をつけた。
「無駄が多いんだよ、お前は」
昼の休みに、男は地面へ小枝で渦をひとつ描いた。ゆるく大きく巻いた渦だ。
「お前が流れを集めるとき、こういう形をしてる。ゆるくて、でかい。掬った水を指の隙間からぼたぼた零しながら運んでるようなもんだ。だから、すぐ空になる」
図星だった。僕の『集める』は、いつも掌のなかで広く渦を巻く。その渦をどれだけきつく締めても、縁からほどけていくのが常だった。
「絞れ」男は渦の脇に、針の先ほどの点を描いた。「同じ火を出すのに、こんな大きな渦は要らねえ。ほんのひとつまみの流れを、この針の先まで絞りきれ。……それだけで、使う量は、笑っちまうくらい減る」
「そんなに」
「ああ。しかも絞ったぶん、火は鋭くなる。熱くもなる。太くぼやけた火より、細く尖った火のほうが、ずっと深く噛むんだ」男は焚き火の炭を枝の先で示した。「量を食う火は、下手な火だ。うまい火は、少ない元手で、よく斬れる」
少ない元手で、よく斬れる。
僕はいつも逆をやっていた。足りない魔力を掻き集めては大きく燃やして、あっという間に空にする。谷でも峠でも、そうやって膝をついた。もしこの人の言うとおりなら――使う量が減って、そのうえ威力が増すなら、僕の戦い方は根っこから変わる。
やってみた。掌のなかの渦を、無理やり一点へ締める。とたんに流れは縁から逃げて、火は生まれもしなかった。
「力ずくで潰すな」男の声は相変わらず容赦がない。「握るんじゃねえ。細くしろ。水は握れば逃げる。だが、細い樋に落としてやれば、勝手にまっすぐ流れるだろう」
握るのでなく、通す。言葉ではわかる。だが掌のなかの流れは、言葉を聞いてはくれなかった。
何度もしくじった。日が傾くまで、僕は渦を締めてはこぼしつづけた。指の付け根が、こわばって痛んだ。それでも暮れ方に一度だけ、渦が針のように細くまっすぐ立った。
その先に灯った火は、いつもより小さかった。豆粒ほどだ。なのに青白く、鋭い。焚き火の炎とは色からして違った。指先へ近づけると、ちりっと皮が灼けた。いつものぼやけた赤い火より、明らかに熱が高い。
そして――掌の芯の冷えが、ほとんどなかった。あれだけの火を出したのに、器はひと匙ぶんも減っていない。
「……これか」思わず声が漏れた。背筋がぞくりとした。
少ない元手で、よく斬れる。ほんとうに、そうなった。いつもの何倍も長く、何倍も強く戦える。その手触りが、豆粒の火のなかに確かにあった。
「見えたか」男は、めずらしくすぐには茶化さなかった。「だが、まぐれで一度出せるのと、いつでも出せるのは、天と地だ」
その言葉のとおりだった。次にやると、渦はまたゆるくほどけた。豆粒の火は、二度と灯らない。さっきの手応えは、指の先からするりと逃げていった。
「そこから先は、長えぞ」男は火に枝をくべた。「なんでそうなるかは教えねえ。手が先に覚えて、頭が後から追いつく。……お前のやり方は、たぶん、それでいい」
なんで細くすると、燃費が減って威力が増すのか。太い流れは、なぜ力を散らして弱くなるのか。その問いが、豆粒の火のうしろに、いくつも列を作って並んだ。答えはまだ出ない。だが問いの形が、少しずつはっきりしてくる。それは遺跡の壁を初めて"文字だ"と気づいたときの、あの感じに少し似ていた。掘り出す入り口は、いつもこういう小さな引っかかりの奥にある。
翌日の夕方、僕らは街道沿いの、小さな宿場に着いた。
旅人が一晩、足を休めるだけの中継ぎの宿場だ。水場と、馬をつなぐ柵と、粗末な飯屋が一軒あるきり。その晩は、僕らのほかにも十人ほどが火を囲んでいた。護衛の冒険者が数人。行商の一団。それに旅の魔法使いが一人。腰に術式を刻んだ護符を提げた、若い水属性の男だった。
騒ぎは、飯にありついた直後に起きた。
柵の外の暗がりで、馬がけたたましくいなないた。誰かが「出たぞ」と叫ぶ。松明を掲げると、宿場のはずれの藪から、犬ほどの大きさの、鱗に覆われた蜥蜴が這い出してくるのが見えた。ナイトリザード。夜に群れで人里へ下り、馬や家畜を食い荒らす質の悪い魔物だ。牙の並んだ口が、松明の火にぬらりと光る。数は三匹、四匹――じきに倍へ増えた。
護衛の冒険者が剣を抜く。水属性の魔法使いが護符を握って詠唱を始めた。細い水の刃が、先頭の一匹を裂く。腕は確かだ。だが数が多い。魔法使いの詠唱は、一度撃つごとに間があく。その間に、ナイトリザードは柵を越えてくる。
――出るか。
僕は迷った。ここで山刀だけで捌けば、目立たずに済む。だが、囲まれた行商のなかに子供が二人いた。柵の内側へ、逃げ遅れている。剣だけでは間に合わない。
男が、僕の隣で火に枝をくべたまま動かない。見ているだけだ。試されている、と思った。稽古の成果を、いま人前で使えるか。
僕は立ち上がった。
右手を、逃げ遅れた子供とナイトリザードのあいだへ向ける。そして口を動かした。
意味のない言葉を、三つ、四つ。焚き火の稽古で幾晩も転がした、あの空っぽの詠唱だ。手元は見ない。あえて、よそへ目をやる。そのぶん掌の集中だけを深くする。指のなかで渦を、細く、細く絞った。
途中で、舌がひとつ縺れた。とたんに渦がぐらつく。しまった――だが口だけは止めなかった。詠唱は飾りだ。中身の渦さえ崩さなければいい。縺れた音を無理に呑み込んで、僕は集中をもう一度、渦の芯へ戻した。
昨日の、あの豆粒の火を思い出せ。細く。まっすぐに。
詠唱の最後の音に合わせて、火が飛んだ。
太い赤い炎ではない。細く青白い、鋭い一条だ。それが逃げ遅れた子供の前を薙いで、寄っていたナイトリザードの硬い鱗をあっさり貫いた。いつもの火なら、鱗に阻まれて焦がすのが精一杯だったはずだ。だが絞った火は、鱗の継ぎ目を灼き抜いて内側まで噛んだ。二匹が声もなく縮んで動かなくなる。
それでいて、掌の芯は、まだ冷えきっていない。もう一手、いける。
返す息で、もう一言唱えた。今度は風だ。低く起こして、残ったナイトリザードを、藪のほうへまとめて押し戻す。
火と、風。二つ。三つ目は出さない。出したくても、人前で切れる札は、ここまでだと決めてある。
護衛たちが、あいた口をふさぐのも忘れて、僕を見ていた。
ナイトリザードが引くと、宿場に妙な静けさが戻った。
最初に口をひらいたのは、あの水属性の魔法使いだった。
「あんた……二つ、使ったな。火と、風」若い顔に、驚きと、それから剥き出しの羨望が浮かんでいた。「複属性か。はじめて見た。しかも、あの火の鋭さ。宮廷が金を積んで欲しがるやつだ。こんな街道の隅で燻ってるのは、もったいねえよ」
複属性。
その言葉がその人の口から出た瞬間、僕は自分でも意外なほど静かだった。
これまで火と風を見た者は、みんな据わりの悪い顔をした。無属性のくせに、と。あの風使いも御者も、言葉の裏でうっすら怯えていた。得体の知れないものを見た顔だ。
だが、この人は怯えていない。羨んでいる。
"複属性"という、世間の知っている箱に、僕をすんなり収めてしまったからだ。収まった瞬間に、僕は得体の知れないものではなくなった。ただの、珍しくて、うらやましい、二属性の若いのになった。
箱に入れ、と男は言った。表に出すのは、無害な珍品の顔だけだ、と。
ほんとうに、そのとおりになった。
「どこで習った」水属性の男が身を乗り出してきた。「その齢で二属性なら、名のある師についたはずだ。流派は。師は、どなただ」
来た、と思った。稽古で、いちばん舌の縺れる場所だ。
「……北の、山向こうだ」僕は覚えさせられたとおりに言った。遠い、確かめようのない土地の名を。「師は、もういない。名を出しても、あんたの知ってる人じゃない」
半分は、本当だった。僕に剣と、生き延びる術を教えてくれた人は、もういない。その一言だけは、嘘のなかに本当を混ぜた。混ぜると、嘘はすこし呑み込みやすくなる。男はそれで、あっさり得心した顔をした。死んだ師の話を、それ以上ほじくり返す者はいない。嘘のいちばん外側に、触られたくない本当を置いておく。そういう守り方もあるのだと知った。
「そういや」護衛の一人が、思い出したように言った。「東のほうで、妙な噂を聞いたぜ。無属性のくせに、火だの風だのを出すD級がいるって」
僕の心臓が、ひとつ跳ねた。
「なんだそりゃ」水属性の男が鼻で笑った。「無属性が火を出せるわけ、ねえだろ。誰かが二属性を見間違えたのさ。ちょうど、この人みたいなのをな。話ってのは、伝わるうちに間抜けになる」
そうだ、そうだ、と、火のまわりで笑いが起きた。
無属性が火を出す、というありえない話は、その笑い声のなかで、あっけなく握りつぶされた。かわりに、"どこかの二属性の若いのを、田舎者が見間違えた"という、退屈で安心できる話が、その席に残った。
僕という剥き出しの奇妙は、たったいま、"珍しいが、ありふれた"一枚の絵で上から塗りつぶされた。あんなに僕を追い詰めた噂が、こんなにもたやすく。
安心と、うら寂しさが、同じ量、胸に落ちてきた。誰も、僕を怖がらなくなった。かわりに、誰も、ほんとうの僕を見なくなった。
逃げ遅れていた子供の片方が、母親の陰からじっと僕を見ていた。複属性も、噂も、あの子には関わりない。火のあいだから自分を引っぱり出した相手を、ただ見ている。その目だけが、この宿場で唯一、箱に入っていなかった。まっすぐに見られると、被った顔の下がうずいた。僕はなんとなく、その子から目を逸らした。
その晩、火が下火になってから、男がぼそりと言った。
「上出来だ。あの火、昨日のを、土壇場でよく出したな」
めったにない褒め言葉のはずが、僕の胸には、うまく響かなかった。
「……あんたの言ったとおりになった」僕は火を見たまま言った。「みんな、安心してた。僕が、何者でもないってことに」
「それが狙いだ」男は当たり前のように言った。「何者かに見えるやつから、順に消えていく。何者でもないやつだけが、生き残って、行きたい場所まで行ける」
行きたい場所。鉄格子の、その奥。
塗りつぶされた絵の下で、ほんとうの僕は、まだ息をしている。いつか、この上塗りをぜんぶ剥がせる日が来るなら。剥がした下から、"何者でもない"はずだった自分の、ほんとうの名前が出てくるだろうか。
火のなかで、薪が一本、崩れた。
僕は掌のなかで、もう一度だけ、渦を細く絞ってみた。今度は灯らなかった。昨日の豆粒の火は、まだ気まぐれにしか顔を出さない。それでも、一度掴んだ手応えは、指の奥に消えずに残っている。
埋めた顔の下で、手だけが、確かに前へ進んでいた。それだけが、いまの僕の、まぎれもない本当だった。
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