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【第二章完結・第三章開幕】無属性の落ちこぼれ追放令息は、失われた魔法《原初式》を読み解く ~世界の魔法は、最初から間違っていた~  作者: 刈谷るあ
冒険者編

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第45話「門」

 王立学園の名は、もちろん知っていた。

 貴族の子なら、その名を知らずに育つほうが難しい。まだ屋敷にいた頃、兄が王都へ発つ前の幾晩か、廊下の向こうからその名が何度も聞こえてきた。カイルが選ばれた。火の才に恵まれた跡取りが、当然のように、あの門をくぐる。使用人が誇らしげに囁き、父が満足そうに頷いていた。出立の朝、真新しい外套の兄が正面の車寄せから馬車に乗り込むのを、僕は庭の隅の誰の目にも入らない場所から見送った。見送るというより、そこにいることを気づかれないよう、じっと立っていただけだ。

 だから僕が知っているのは、選ばれた者が向かう場所、という輪郭だけだった。門の内側がどうなっているのか、そこで兄が何を学ぶのか、考えたこともない。自分には関わりのない話だとあの頃からわかっていた。

 選ばれなかった者が、どうすればその門に辿り着けるのか。その道筋だけを、僕は知らなかった。


 オズが挙げた三つのうち、はじめの二つは、口のなかで転がすだけで済んだ。王族に生まれ直すあてはない。宮廷の魔導師は色を持つ者が長い年月をかけて上りつめる位で、無属性の僕には初手から縁がなかった。残るのは、王立学園だけだ。

 兄が正面からくぐったその門に、僕は横からでも裏からでも、もぐり込む道を探さなければならない。そんな道があるのかどうかも、わからないまま。

 知らないなら、訊くしかなかった。


 昼前のギルドは依頼の貼り替えが済んだばかりで、人がまばらだった。掲示板から札を一枚剥がして帳場へ持っていきながら、できるだけ何でもないふうに切り出す。

 「なあ。王立学園ってのは、どうやったら入れるんだ」

 伝票を捌いていたミラの手が止まった。目だけ上げて、僕の顔と手のなかの札を見比べる。札は、地下水路の害獣駆除だった。溝浚いと大差ない、いちばん割の悪い口だ。

 「……あんたが? 学園に?」

 「いや。ちょっと、耳にしただけだ」

 「あのねえ」ミラは伝票を置いて、呆れ半分、案じ半分の顔で頬杖をついた。「言っとくけどね、あそこは、あたしらとは住む場所が違うんだよ。まず貴族の子。あとは、うんと大きな商家の跡取り。金と、家名と、属性。その三つが揃って、やっと入り口に立てる。おまけに、どこそこの偉い誰かが書いた推薦状ってのが要るらしい。この子は見どころがある、って紙をさ」

 「金と、家名と、属性」

 指を三本、折るように数えてみた。僕には三本とも、ない。かつて兄には三つともあった。

 「昔ね」ミラは伝票の束の角で、卓をこつんと叩いた。「この街のいちばん大きな織物屋の坊っちゃんが受けたんだよ。金はうなるほどある家でさ。それでも、後ろ盾になってくれる貴族を探すのに、親父さんが一年、方々に頭を下げて回ったって聞いた。金を積んでも、それだけじゃ足りない。名前を貸してくれる誰かが、どうしても要るんだって」

 その坊っちゃんが今どうしているのか、とは訊かなかった。ミラも言わなかった。たぶん、あまりいい話ではないのだろう。


 「無属性が、学園ねえ」

 帳場の奥からしわがれた声がした。グレイだ。書き損じらしい依頼票を片手に、いつから聞いていたのか、面倒くさそうに顎の無精髭を掻いている。

 「正面の門は、諦めろ。金も家名も属性もねえお前が、あそこの正門をくぐるのは、逆立ちしたって無理だ」

 わかっている、と返すより先にグレイは手の票をひらひらと振った。

 「だが、横の戸なら、ある」

 ミラが「え」と顔を上げた。僕も、たぶん似たような顔をしていた。

 「正規の入学とは別に、特例ってのがあってな」グレイは帳場の縁に片肘をついた。「地方の領主だの、宮廷の魔導師だの、ギルドの上のほうだの――そういう、名の通った連中が、こいつは王国の役に立つ、と見込んだ人間を、推薦で押し込む口だ。生まれじゃなく、値打ちで測る。数は多くねえ。だが、ないわけじゃねえ」

 「値打ち」

 「こないだ、俺の部屋で言ったろう」グレイは、潰れたほうの片耳を軽く掻いた。「名前ってのは、酒場の口じゃなく、記録に刻め、と。あれだよ。ギルドの控えに、消えねえ手柄を積む。上の依頼を、危ねえのを、いくつも片づける。領主やギルドの上の連中が、こいつを余所にやるのは惜しい、と唸るところまで持っていく。そこまで来て、やっと、推薦状の一枚も書いてもらえるか、どうか。……気の長い話だ」

 簡単じゃない、とグレイの声が言外に言っていた。簡単じゃない。だが、無理ではない。無理の、ほんの一歩だけ手前だった。それは、僕がこの数日、胸の天秤に載せていた重さそのものでもあった。名を上げれば、目立つ。目立てば、隠れられない。グレイの示した道はまっすぐ、その天秤の重いほうへ続いている。

 「もっとも」グレイは票を帳場に放って、僕をちらと見た。「なんだって無属性の下っ端が、王都の学園なんぞに用があるのかは、訊かねえでおく。お前がそういう、脛に傷のあるやつだってのは、もう知ってるからな」

 訊かないでいてくれることに、いつも少しだけ、救われている。


 「それと」グレイが、思い出したように付け足した。「変わり者を拾う口も、ないじゃないと聞く。珍しい術だの、古い文字だの、妙な才を、学問の"種"として囲い込む枠があるとか、ないとか。ただ、そっちは俺の畑じゃねえ。噂の域だ。詳しくは知らん」

 珍しい術。古い文字。胸の奥で、写したばかりの頁が、ことりと小さな音を立てた気がした。顔には、出さなかった。出せば、根掘り葉掘りになる。それに、その手の話なら、たぶんグレイよりも、もっと近くに詳しいのがいた。


 「詳しいっていえばさ」ミラが、思い出したように口を挟んだ。ちょっと意地の悪い笑みだった。「あんたにやたら絡んでる、あの火使いの嬢ちゃん。あの身なりと、あの喋り方。どう見たって、いいとこの子だろ。ああいう世界のことなら、あたしなんかより、よっぽど詳しいんじゃないの。せっかく向こうから寄ってくるんだ、訊いてみりゃいいじゃない」

 あからさまに嫌な顔をしたと思う。ミラが「なによ、その顔」と笑った。

 あの子には、いちばん訊きたくなかった。あの子は、僕の火を見ている。風も見ている。そのうえ学園のことまで訊けば、こっちが何を隠して、何を欲しがっているのか、根こそぎ嗅ぎ当てられるに決まっていた。近づけば面倒だと決めて避けてきた相手が、よりによって、僕のいちばん欲しいものの、いちばん近くに立っている。避けたい理由と、頼りたい理由が、同じ一人のなかで重なっていた。逃げ道が、また一つ、塞がった気がした。


 ギルドを出て、依頼地へ向かう道は、街のいちばん賑わう通りを突っ切る。その日はなぜか、行き交う人の身なりに目がいった。真新しい外套の若い連中が、通りの向こうに固まっている。皺ひとつない仕立てで、腰に提げた革の筒に巻物のようなものを差していた。街の子ではない。どこか遠くの、金のかかった場所から来た顔だ。一人が店先の何かを指して笑うと、供らしい男が値も見ずに銀貨を出した。

 僕の革靴は爪先の縫い目が割れかけている。すれ違っても、連中の誰ひとりこちらを見なかった。見る理由がないからだ。色のない擦り切れた冒険者など、あの目には映らない。映らないように歩いてきたのは、ほかでもない僕自身だった。それが今日は、少しだけ据わりが悪かった。あの筒の巻物を、連中は読めるのだろうか。読めないまま、飾りに差しているだけかもしれない。読めない者が読める場所の内側にいて、読める僕はその外にいる。ドランの刃を思い出した。この世のことわりは、たいていこんなふうに裏返しにできている。


 礼のかわり、というわけでもないが、そのいちばん割の悪い札で、その日の日銭を稼いだ。地下水路の、膝まで濁った水に浸かる駆除だ。詰まった鉄格子の前に膝をつき、腐った葉と、名も知れぬ小さな魔物の骨を、素手で掻き出していく。冷たい水が革靴の縫い目から染みてきて、足の指の感覚がだんだん薄れていった。半日ずっと同じ格好で格子と向き合ううちに、腰が固まり、指はふやけて皺だらけになった。臭いは、たぶん明日になっても手から抜けない。それでも、こういう誰もやりたがらない仕事は、独りでやるぶんには気楽だった。誰にも見られず、誰にも測られない。

 鉄格子。手のなかにあるのは、詰まりを掻き出すための、ただの格子だ。それでも掻きながら、王城の奥にあるという鉄格子のことを考えていた。あれも、手さえ届けば、こうやって詰まりを掻き出せるものなのだろうか。届かないから、掻けない。その"届かない"の丈が、どれだけ高く積み上がっているのか、今日ようやく目盛りの一つ目が見えた気がした。


 門の場所は、わかった。オズのおかげで、どこに戸があるのかは、もう知っている。開け方が、まだわからないだけだ。

 門の前まで行くために要るものだけは、はっきりした。名前だ。一度は捨てたはずのものを、もう一度、こんどは通すために、作らなければならない。兄は正面からくぐった。僕は横の戸を、自分の手柄でこじ開ける。順番から言えば、そこが最初の一段だった。

 明日から、受ける依頼を選び直そう。割がよくて安全な口ではなく、控えに名の残る口を。誰も手を挙げたがらない厄介なやつを、一つずつ片づけていく。それがどこまで続く道なのか、いまは見当もつかない。それでも歩き出す先だけは、今日、決まった。

 最後の泥を、外へ放る。腐った水が、日を弾いて一瞬だけ光った。閉じているものは、いつか開けられる。読めない結び目が、写した頁の途中にいくつもあったのと、同じことだ。読めないだけで、ないわけじゃない。

 襟の内で、首飾りは今日も冷たかった。空白のところを、濡れた指で押してみる。昨日ほどには、へこんで感じなかった。乾いてきたのかもしれない。それとも、押しているうちに、指のほうが、少しずつ覚えてきたのかもしれなかった。

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