第4話「果ての地」
乗合馬車に揺られて、十日。
東へ進むほど、景色から色が抜けていった。豊かな麦畑は痩せた荒れ地に変わり、すれ違う旅人も、相乗りの客も、一人また一人と減っていく。最後の三日は、御者と僕の二人きりだった。
「旦那、本当にフェルローズまで行くのかい」
道中、御者は何度もそう訊いた。
「あんな所、好きこのんで行くのは、訳ありか、行き場のない奴だけだ」
僕は、どちらでもありますと答えそうになって、やめた。
フェルローズは、灰色の空の下にあった。
低い石垣に囲まれた、小さな集落。家々の屋根は半分朽ち、畑は石だらけで、痩せた家畜が数頭。東には黒々とした森が広がり、その向こうに、荒涼とした岩山が霞んでいる。風が、ひゅうと冷たく鳴いていた。
——ここが、僕の"所領"。
話に聞いていた以上だった。これは領地ではない。世界に見捨てられた、ただの吹き溜まりだ。
集落の奥に、ひときわ大きな——とはいえ、半ば廃墟の石造りの館があった。それが、アークライト家の名ばかりの所領館だという。割れた窓。蔦に覆われた壁。扉は片方が外れかかっている。
その館の前で、僕を待っていたのは、一人の男だった。
ボルツ。
フェルローズの代官を、もう二十年も務めているという、岩のような男だった。陽に焼けた顔に、深い皺。片腕には、古い火傷の痕。魔物と渡り合ってきた者の体つきだった。
彼は、父からの書状を受け取り、無言で読んだ。そして——低く、短く、笑った。嘲りではない。もっと乾いた、諦めに近い笑いだった。
「『所領の視察と管理を任せる』、ね」
書状を畳みながら、ボルツは僕を上から下まで眺めた。
「坊主。本当のところを言ってやろうか。お前さんは、捨てられたんだ。体面のいい言葉でくるんでな」
わかっています、と言う前に、ボルツは続けた。
「だが、ここじゃそれは珍しくもねえ。フェルローズに来る奴は、みんな何かから逃げてきたか、何かに捨てられた奴らだ。だから一つだけ、ここの掟を教えとく」
彼は、節くれだった指を一本立てた。
「働かん者は、食えん。貴族だろうが、子供だろうが、関係ねえ。この土地は、傅く余裕なんざ一滴も持っちゃいない。明日からどう食っていくかは、お前さんが自分で考えろ」
冷たい、と思った。
でも、不思議と、腹は立たなかった。
ボルツの言葉には、屋敷の連中のような侮蔑がなかった。彼は僕を見下しているのではない。ただ、この土地で生き延びるための、たった一つの真実を告げているだけだった。魔法が使えるかどうかではなく、生きる気があるかどうか。それだけを問う目だった。
——ここでは、無属性ですら、ただの個人差にすぎないのか。
その事実は、奇妙に、僕の胸を軽くした。
その夜。
僕は、誰もいない廃館の床に、薄い毛布を敷いて座っていた。暖炉はあるが、薪をくべる術を、僕は持たない。火属性なら指先一つで——という考えが浮かんで、苦く消えた。寒さに震えながら、冷えたパンをかじる。
窓の隙間から、東の森が見えた。
夕食を運んできてくれた村の女が、去り際に言っていた。「夜は、東の森に近づいちゃいけないよ。魔物が出る。……それに、あの森の奥にゃ、ずうっと昔の遺跡があるって話でね。入った者は、誰も帰ってこないのさ」
遺跡。
誰も帰ってこない、森の奥。
普通なら、近づいてはいけない場所だ。
なのに——どうしてだろう。
その言葉を聞いた瞬間、ずっと冷えきっていた胸の奥で、ほんの小さな火が、ちりっと灯った気がした。
怖い。寒い。明日の食べ物さえ、まだわからない。
それでも僕は、荷物の中から、あの落書き帳を取り出していた。最後の白紙のページを開き、かじかむ指で、一行だけ書きつける。
『東の森の奥に、古代の遺跡。誰も帰らない。——なぜ?』
ペンを置く。
窓の外、黒い森が、風にざわめいていた。まるで、何かが僕を呼んでいるみたいに。
本当の絶望が待つ場所——それはきっと、あの森だ。
そして同時に、僕の何かが始まる場所も、たぶん、あそこなのだと。
この時はまだ、ぼんやりと、そんな予感がしただけだった。
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