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【第二章完結・第三章開幕】無属性の落ちこぼれ追放令息は、失われた魔法《原初式》を読み解く ~世界の魔法は、最初から間違っていた~  作者: 刈谷るあ
冒険者編

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第39話「火の作り方」

 D級の木札は、思っていたより重かった。

 等級が一つ上がっただけで、掲示板の景色が変わる。報酬の桁が一つ多い依頼。護衛。格上の討伐。数人で組むのが前提の、骨のある仕事。それらが僕にも受けられるようになった。

 同時に変わったものが、もう一つある。視線だ。最下位のまま赤印の魔物を単独で狩った――その噂は、狭い冒険者の世界を僕が思うより速く駆け巡っていた。酒場を横切るたび、値踏みするような目が僕を追う。誰も話しかけてはこない。ただ見ている。目立ちたくなかったのに、と思う。「レイ」という名が、僕の知らないところで勝手に歩きはじめていた。

 昇級で変わったのは依頼の質だけじゃない。同業の目つきもだ。かつて誰も気に留めなかった無属性の最下位が、今は"何かある"と値踏みされる。近づいてくる者はまだいない。それでも、静かに独りでいられた日々が少しずつ崩れかけているのを、僕は感じていた。

 それでも依頼を選ぶ手は止めなかった。等級が上がれば割のいい仕事が回る。稼げば、その分だけ"上"へ近づける。いつか、あの鉄格子の向こう――王都の学園にあるという古い記録へ。母の首飾りに刻まれた、読めない一文字の答えへ。昇るしか道はなかった。

 その日選んだのは、東の街道に巣くう灰狼の群れの討伐だ。D級でも上のほうの依頼。群れは十を超え、荷馬車を襲い、御者を何人も食い殺している。推奨は四人以上の徒党。受付のミラは票を差し出しながら渋い顔をした。

 「レイ。あんた、また一人で行く気? 群れだよ。囲まれたら、どんな腕でも終わりだ」

 「わかってる」

 それだけ言って票を受け取った。囲まれたら終わり。それは誰よりも僕が知っている。あの村の夜が、嫌というほど教えてくれた。だからこそ囲まれないように狩る。数をどう削るか。それを考えるのが僕の仕事だ。


 ギルドを出ようとした時だった。

 「待ちなさいよ」

 凛とした声に振り返ると、僕と同じ歳くらいの少女が立っていた。仕立てのいいローブ。隙のない身のこなし。ちゃんとした後ろ盾のある、育ちのいい魔法使いだと一目で知れた。

 「あなたが噂の。無属性で、赤印を一人で狩ったっていう」少女は僕を頭から爪先まで無遠慮に眺めた。「……嘘でしょ。こんな、どこにでもいそうな」

 僕は答えなかった。

 「わたしはセラ。火属性よ。あの灰狼の依頼、わたしも受けたの」少女は腕を組み、つんと顎を上げた。「足を引っ張られるのは御免。あなたのお手並み、後ろから見物させてもらうわ」

 好きにすればいい。僕は答えずギルドを出た。関わる気はない。誰かと組めば、また誰かを失う。それだけは二度と御免だった。


 街道の外れ、灰狼の巣は崩れた石橋の下にあった。

 僕は日が傾くのを待った。灰狼は夜目が利く代わりに、夕暮れの斜めの光を嫌う。ボルツに教わった獣の癖だ。風下に回り、群れから逸れた一頭を音もなく仕留める。二頭。三頭。焦りは匂いになり、逸りは音になる。だから冷たく静かに、獣より獣らしく数を削っていく。

 一頭が斃れる前に漏らす、かすかな鼻鳴り。それが仲間へ届く前に、次の茂みへ移る。心臓の音を殺し、足の裏で小枝の一本一本を確かめて進む。五年の森暮らしが体に刻んだ歩き方だ。ここでは、僕のほうが狩る側だった。

 だが四頭目で、風が変わった。

 僕の匂いが群れへ流れる。橋の下から、いっせいに赤い眼が持ち上がった。低い唸りが地を這い、僕を囲みはじめる。残りは七。囲まれた。いちばん避けたかった形だ。

 考えるより先に体が動いた。飛びかかる一頭を、山刀に流れを「集め」て斬り伏せる。二頭目の突進は半歩でいなす。三頭目には「ほどく」を宛て、群れの気勢を一瞬だけ散らす。だが魔力はあっという間に底を突いた。数回。それが今の僕の限界だ。剣は届く。けれど、数が多すぎる。

 肩に牙が食い込んだ。熱い痛み。血が滴る。囲みはじりじりと狭まっていく。

 四頭が示し合わせたように間合いを詰める。右の一頭が囮に飛ぶ。追えば左の二頭に喉を食い破られる。わかっていても体が追いつかない。血を流しすぎた。山刀が鉛みたいに重い。視界の端が白く霞んでいく。ここまで、なのか。

 村の夜が蘇りかけた。囲まれて、削られて、失っていく、あの――。

 「――ぼさっとしないで!」

 背後で風を巻く音がした。

セラがかざした手のひらの先で、火が渦を巻いて膨らんでいる。放たれた炎が、右手の二頭をまとめて薙ぎ払った。熱風が頬を撫でる。焦げた獣の臭い。詠唱ひとつで二頭。まっとうな属性魔法の、素直な暴力だ。剣と拙い流れで汗みずくになって削ってきた数を、彼女はたった一射で超えていく。上には上がいる。何度でも思い知らされる。


 だが――その炎を見た瞬間、僕の頭の芯が、しんと冴えた。

 いつもの、流れを見る目だ。その目で僕は、彼女が火を放つまでの一部始終を、初めて間近で追った。

 まず、彼女の内から、かざした手のひらへ、魔力が集まってくる。色も性質もない、ただの流れの塊だ。次の刹那、その無色の塊へ、彼女自身の"熱"が――火という性質が、内側からじわりと染み込んでいく。無色だった流れが、火の色に染まった。それから塊は細く鋭く絞られ、狼を貫く"矢"の形をとる。そして、放出。

 ――そういう、ことだったのか。

 ずっと、わからなかった。以前この目で見た時は、ただ「何かが引き絞られる」としか掴めなかった。けれど間近で見た今、ようやく腑に落ちた。魔法は、一つの動きなんかじゃない。魔力を集め、それに属性を"塗り"、形と威力を肉付けし、放つ。その四つの手順の連なりだ。詠唱も身振りも、たぶんそのための、覚え込んだ引き金にすぎない。

 問題は、二つ目だった。属性を、塗る。生まれつき火を宿す彼女には無意識のその一手が、何も持たない僕には、いちばん高い壁のはずだった。

 ――いや。違う。

 何も持たない、ということは。まだ、どんな色にも染まっていない、ということだ。

 無属性――炎ひとつ出せないと嗤われた、この空っぽ。けれどそれは裏を返せば、まだ何色にでも染まれる、余白だったのかもしれない。

 僕は残る力をかき集めた。掌の中へ、魔力を集める。ここまでは、いつもの動きだ。問題はその先。僕は、今しがた見たばかりの"火の性質"を必死に思い描き、無色のその塊へ、塗り込むように重ねた。冷たかった流れが、ほんの少し熱を帯びる。震える手で、それを小さく丸く形づくり、そして――放つ。

 ぼっ、と。

 僕の掌の上で、頼りない小さな炎が生まれた。

 今にも消えそうな、揺れる火だった。セラの豪炎とは比べ物にならない。魔力も根こそぎ持っていかれた。手順は、ぎこちなく、遅い。それでも――炎ひとつ出せない無属性と嗤われた、この手の上に。確かに、火が灯っていた。

 僕はその火を、突っ込んできた狼の顔面へ叩きつけた。怯んだ一瞬の隙に、空になった体を引きずり、山刀をその喉笛へ突き入れる。

 残る二頭は、セラの二射目が焼き払った。

 最後の一頭の唸りが途絶えると、林には嘘のように、虫の音だけが戻ってきた。血の匂いと、焦げた獣の臭い。僕は、今にも消えそうな掌の火が、ふっと途切れて消えるのを、ただ見ていた。


 静寂が戻ってきた。

 僕は荒い息の下、片膝をついた。魔力も体力も空だ。生き延びた。今日もただ、それだけ――のはずだった。

 なのに胸の奥で、何かがこつん、と音を立てた。

 火を、作った。属性もないこの手で。生まれつきの才じゃない。ただ、仕組みを見て、手順をなぞっただけ。だとしたら。作り方さえわかれば、火だろうと、風だろうと、いつか全部――。

 村を焼いた、あの炎も。ボルツを守れなかった、あの夜の無力も。すべては、力が足りなかったからだ。だが力は、生まれつきの才なんかじゃない。覚えられる。作れる。――そのことに気づくのに、僕は、何もかもを失わなければならなかった。

 その考えはあまりに眩しくて、僕は思わず目を伏せた。凍りついていたはずの胸の底で、ずっと忘れていた熱が、あの小さな火みたいに、ちろりと揺れた気がした。

 思えば、僕が心の底から夢中になれるのは、昔からこれだけだった。わからないものの仕組みを、一つずつ解いていくこと。屋敷の隅で文字を覚えたあの頃と、何も変わっていない。冷えきったと思っていた胸の奥に、まだこんな熱が残っていたのかと、自分でも驚いた。

 「……今の、何」

 セラが手を下ろしたまま、呆然と僕を見ていた。「火よね。あなた、無属性でしょ。詠唱も、術式もなしに、どうやって……」

 「気のせいだろ」

 僕は立ち上がり、狼の骸から討伐の証を剥ぎ取った。うまく説明する気はなかった。仕組みを見て、真似た。ただそれだけのことが、彼女にはきっと、いちばん信じられない。生まれつき手にある火を、いちいち"どう作るか"なんて、考えたこともないだろうから。

それでも、彼女の視線は僕の背から離れなかった。無属性が火を灯した。その一点が、彼女のまっとうな常識に、小さな罅を入れたのだろう。悪いことをした気はしない。ただ、面倒なことになった、とは思った。

 「礼はいらない」僕は背を向けた。「あんたの火がなけりゃ、死んでた。貸し借りなしだ」

 「待ちなさいよ! 名前くらい――」

 答えなかった。振り返らず、暮れかけた街道を独り、街へ歩く。

 肩の傷がじくじくと痛む。けれど足取りは、来た時より少しだけ軽かった。今日、僕は一つ「作り方」を覚えた。次は、風。その次は――数えきれない「まだ」の向こうに、母の首飾りの空白も、鉄格子の向こうの記録も、きっと繋がっている。一つずつ、解いていけばいい。焦らずに、けれど、止まらずに。

 背中に、少女の視線がいつまでも刺さっていた。値踏みでも、侮りでもない、別の色をした眼が。

 名が、また一歩、勝手に歩いた。その足音がこれから誰を呼び寄せるのか。凍った胸のまま、僕にはまだ、わからなかった。


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