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【第二章完結・第三章開幕】無属性の落ちこぼれ追放令息は、失われた魔法《原初式》を読み解く ~世界の魔法は、最初から間違っていた~  作者: 刈谷るあ
冒険者編

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第34話「炎の前に」

 次に受けたのは、薬草の採取だった。

 南の湿地に生える、夜霧草。霧の濃い谷底にだけ育ち、陽が昇ると葉を閉じて萎れてしまう。だから、夜のうちに摘まねばならない。街の薬師が、しつこい咳の薬に要るのだと、依頼票に書き添えてあった。

 報酬は、討伐ほどではない。だが、危険な獣も出ない。誰かと組む必要もない。独りで、静かに、夜の谷へ下りていく。それだけの仕事だ。僕には、ちょうどよかった。

 ミラは、依頼票に判を押しながら、もう「死んでも知らない」とは言わなかった。ただ、「あの谷は冷える。火をちゃんと持っていきな」と、それだけ言った。

 火を、ちゃんと。

 そのひとことが、あとで、僕の首を絞めることになるとは、思いもしなかった。


 南の湿地は、街道を半日下った、窪んだ谷の底にあった。

 足を踏み入れると、空気が、ずしりと重くなる。乳白色の霧が谷底に淀み、足元の土はどこも水を吸って、踏むたびに鈍く沈んだ。ボルツに教わった目で、僕は地形を読む。低いほうへ、低いほうへ。水の集まる窪みの縁に、目当ての夜霧草は、青白く群れていた。

 獣の気配は、薄い。大きな足跡も、糞も、寝床の痕もない。この湿地には、身を潜めるだけの、まともな獲物がいないのだろう。それが、この仕事に危険な獣が出ない理由だ。読める。ボルツの声が、また、体の芯で頷く。お前の目はいい、と。

 摘むのは、夜が更けてからでいい。それまでに、身を休める場所と、火を確保しておく。夜露に濡れた体で夜を越すのは、この冷えの中では、それだけで命に関わる。

 僕は、風の巻き込まない、少しでも乾いた木の根方を選んで、野営の支度にかかった。霧の谷では、地面から立ちのぼる湿りが、いちばんの敵だった。石を組んで、薪を地面から浮かせる。ボルツに叩き込まれた手順を、体が、勝手になぞっていく。

 だが――薪が、湿っていた。

 当然だった。この谷のものは、枝も、落ち葉も、苔も、何もかもが、霧を吸ってしとどに濡れている。乾いたものなど、どこにもない。持ってきた火口箱の火打ち石を、僕は何度も打った。火花は散る。だが、湿った木くずは、じじ、と煙を上げるだけで、いっこうに燃え移らない。

 もう一度。もう一度。指の皮が、火打ち金で擦り切れて、じんと痛む。それでも、煙が、ひとすじ立つばかりで、炎には、ならない。

 指がかじかんでいく。霧の谷は、ミラの言った通り、夜が近づくにつれ、骨まで凍えるような冷えを運んできた。吐く息が、白い。濡れた服が、体温を、じわじわと吸い出していく。

 火が熾せなければ、この冷えの中で一晩を明かすことになる。凍えは、獣の牙より、静かに人を殺す。動けなくなり、眠くなり、そのまま二度と、目を覚まさない。ボルツがそう言っていた。森で死ぬ奴の大半は、牙じゃなく、寒さと、油断で死ぬんだ、と。

 「火を、ちゃんと持っていきな」。ミラのひとことが、今さらのように、重く響く。火は、持ってきた。だが、その火を、この谷は熾させてくれない。

 考えろ。読め。

 僕は、火打ち石を打つ手を止めた。震える息を、ひとつ、吐く。焦りで曇りかけた頭を、無理やり冷やしていく。


 火花は、散っている。ほんの一瞬、木くずの先が、確かに赤く灼ける。

 足りないのは火種じゃない。その一瞬の熱が、湿り気に奪われて、燃え広がる前に散ってしまう。それだけだ。

 なら――散る前に、集めればいい。

 僕は、目を閉じ、体の奥の流れへ、意識を沈めた。剣に乗せるときと、同じ要領で。ただ、刃の代わりに、消えかけた火種のひと粒へ、あの言葉を、そっと寄せる。

 『集める』。

 目には見えない渦が、火種の周りに小さく巻いた。散ろうとする熱を、逃さず、一点へ。ぐずぐずと燻っていた木くずの先が、じわ、と赤みを増す。細い煙が、白く、まっすぐ立ちのぼる。

 もう少し。逃がすな。集めろ。

 ぽ、と。

 湿った木くずの先で、小さな炎が、ひとつ、生まれた。

 僕は、そっと息を吹き、乾いた枯れ草を足していく。炎は、ためらいがちに、けれど確かに、育っていった。やがて、根方の薪がぱちりと爆ぜて、赤い光が、霧の谷をじんわりと押し返した。

 ――ついた。

 どっと、疲れが押し寄せた。剣を何十度も振ったあとのように、息が上がり、額に汗が滲んでいる。たかが焚き火のひと粒に、僕の乏しい魔力は、もう半分近く、食われていた。効率が悪い。呆れるほどに。

 街の魔法使いなら、こんなもの、指を鳴らして終わりだろう。詠唱ひとつで、無から炎を、ぽんと生む。

 けれど、僕がしたのはそれとは違う。

 僕は、火を生んでなどいない。ただ、そこに散ろうとしていた熱を、逃がさず、集めただけだ。


 揺れる炎を、僕はしばらく見つめていた。

 妙な考えが、頭を離れなかった。

 街の魔法使いが、当たり前に生む、あの炎。あれも――もしかしたら、根っこでは、これと同じことをしているんじゃないか。熱を集めて、燃えるものを結びつけて、広がりを放つ。そういう、地味で小さな動きが、いくつもいくつも重なって、あの華やかな「火」という結果に、なっているんじゃないか。

 彼らは、その結果だけを、詠唱という蓋で丸ごと受け取っている。中で何が起きているかは、知らないまま。

 僕は、その蓋の、手前にいる。

 いつか、父上に言われた言葉が蘇る。無属性と鑑定されたあの日よりも、もっと前。まだ幼かった僕が、暖炉の火を見て、ぽつりと漏らした一言。炎の前に、何かがある。みんな、炎しか見ていない。子供の世迷言だと、笑われた言葉。

 あれは、間違いじゃなかったのかもしれない。

 ――いや。

 僕は、頭を振った。決めつけるな。まだ、何もわからない。僕は、街の魔法使いが炎を生むところを、間近で見たことすら一度もない。彼らのやり方が、本当はどうなっているのか。僕のこれと、同じなのか、まるで違うのか。それを確かめる術を、僕は、まだ何ひとつ持っていないのだ。

 わかっているのは、ただ一つ。この、湿った谷の底で、火打ち石では熾せなかった火が、僕のこの手では熾せた。それだけ。

 答えを出すのは、まだ早い。確かめてから。いつも通り、そうやって、一つずつ。


 炎は、小さく、けれど暖かかった。

 凍えていた指先に、血が戻ってくる。その熱に、ふと、遠い囲炉裏の記憶が滲んだ。粥の匂い。誰かの、ごつごつした掌の重み。忘れたはずの、忘れてはいけない、温もり。

 僕は、火に手をかざしたまま、無意識に隣を見た。

 誰も、いなかった。

 当たり前だ。あの温もりは、みんな、灰の下だ。僕がこの手で灯した火に当たる者は、僕のほかに、誰もいない。それでいい。誰もいなければ、この火で、誰かをまた死なせずに済む。

 僕は、燃える炎にそっと、枝を一本くべた。凍った胸の奥が、火のせいなのか、ほんの少しだけ痛んだ。


 火の番をしながら、僕は夜が更けるのを待った。

 霧の谷は静かだった。時折、遠くで、名も知らぬ夜鳥が細く鳴く。ぴちゃり、と、どこかで水の跳ねる音。それだけの、夜。森の五年で、この手の静けさにはすっかり慣れた。むしろ、街の宿の壁ごしに響く笑い声のほうが、僕にはよほど落ち着かない。

 濡れた薪は、一本くべるごとに、じゅうと湿った音を立て白い煙を吐いた。それでも、一度いのちを得た火は、もう、消えなかった。集めた最初のひと粒が、次を、また次を呼んでいく。僕は、爆ぜる火の粉を見ながら、それがなんだか、人の縁のようだとぼんやり思った。――だからこそ、僕は、その縁を断ってきたのだけれど。

 夜が更け、霧がいちばん濃くなった頃。

 僕は青白く光る夜霧草を、根から丁寧に摘み取った。葉を閉じる前の、露を含んだ一株一株を、湿らせた布で包んでいく。数はじゅうぶんに足りた。

 火を落とし、灰を踏み消して僕は谷を出た。東の空が、うっすらと白みはじめていた。


 街へ戻り、薬師のもとへ夜霧草を届けると、思っていたより、いくらか多い銅貨が、僕の手に渡された。新鮮なうちにこれだけ揃えて持ってくる者は、めったにいないのだと、白髪の薬師は感心したように言った。

 その足で僕はまた、あの蔵へ寄った。

 鉄格子の向こうの閉ざされた棚を、僕は格子越しに、じっと見た。あそこに、答えがある。母のことも、この手の力のことも。そして――街の魔法使いが、本当は何をしているのか、という問いの、その先も。

 昇るしかない。あの格子の、向こうへ。

 けれど、それより先に、と僕は思った。まずは、この目で確かめたい。本物の魔法使いが、炎を生む、その一瞬を。彼らの火と、僕の火が、根っこで同じものなのか、それとも、まるきり別のものなのか。

 この街には、掃いて捨てるほど魔法使いがいる。見る機会なら、いくらでもあるはずだった。

 僕は蔵を出て夕暮れの街を歩いた。ゆきかう人の中に、掌で炎を躍らせて笑う、若い魔法使いの姿があった。酒場の客に手品でも見せているのか、指先で豆粒ほどの火の玉を、いくつも生んでは消している。以前の僕なら、届かぬものとして目を逸らしただけの、その光景。

 今日は、逸らさなかった。人混みの陰に立ち、じっと、その指先の炎を、観察者の目で追いかけた。

 彼の唇が、小さく何かを紡いでいる。詠唱だ。その言葉が終わると同時に、何もない指先に、ぽっと、火が灯る。無から、有が生まれる。まるで、手品みたいに。

 だが、本当に、無からだろうか。

 僕には、あの湿った谷で、火種のひと粒を必死に集めた感触が、まだ手に残っている。あの若者は、それを一足飛びに詠唱ひとつで済ませている。ということは――彼の中では、僕が谷でやったような小さな動きが、目にも留まらぬ速さで、いくつも勝手に片づいているんじゃないか。彼自身、それに気づかないまま。

 わからない。今はまだ、ただのあてずっぽうだ。

 けれど、確かめる糸口はそこにある。あの華やかな結果の蓋の下に。

 ――お前はいったい何をしているんだ。

 問いだけを、胸に灯して。僕は独り、雑踏の中を進んでいった。いつか、この問いの答えごと、あの鉄格子の向こうへ、手を伸ばせる日まで。

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