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無属性の落ちこぼれは、古代遺跡で“原初式”に目覚める ~世界の魔法は、最初から間違っていた~  作者: 刈谷るあ


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第16話「目覚めを呼ぶ」

短い文章での投稿で読み応え足りないかなと思いましたので今回から文量増やしてみましたd(˙꒳˙* )

 ひと巻きの渦は、日を追うごとに少しずつ、僕の言うことを聞くようになっていった。

 最初は親指の爪ほどの頼りない渦だった。それが今では握り拳くらいの大きさで、十を数えるあいだ形を保てる。誰かに見せたところで「なんだそれは」と笑われて終わりだろう。火も出ない。水も出ない。ただ青白い光が、僕の手のひらの上でくるくると回るだけだ。

 それでも僕にはわかっていた。これは世界の誰も立ったことのない場所への、たった一歩めの足跡なのだと。


 修行の日々は単調で、地道だった。

 朝は村の井戸の水を汲み、頼まれた書状を読んでやり、芋や卵の駄賃を受け取る。畑の隅で薪を割る手伝いもした。そうやってその日の糧を確保してから、ボルツに「森へ行く」と告げて東の遺跡へ向かう。心臓の広間にたどり着く頃には、もう昼を過ぎている。

 そこからが本番だった。

 巨大な螺旋の中心に座り、目を閉じて息を整える。流れを感じ、寄り添い、ほんの少しだけ導く。来る日も来る日もその繰り返しだ。うまくいった日もあれば、何も起こせないまま日が暮れた日もあった。失敗するたびに僕は落書き帳を開いて、その日の手応えを几帳面に書きとめた。

 今日は息を吐ききった瞬間がいちばん感じやすかった。今日は首飾りを握りしめすぎて、かえって流れに逃げられた——。

 観察と記録。それだけが、独りきりの僕のたった一つの師匠だった。


 けれど進めば進むほど、はっきりと立ちはだかる「壁」があった。

 渦をもう一巻き大きく。もうひと呼吸、長く。そう欲張った瞬間、決まって体の芯からごっそりと「何か」が抜け落ちる。視界が傾き、頭の奥がすうっと冷たくなって、僕は膝をつく。空っぽになった体は、半日のあいだ指の先まで力が入らない。

 井戸の底まで水を汲み尽くしてしまったような、空虚な感覚だった。

 僕はその限界を何度も測った。今日は渦を二つまで保てた。今日は三つ目で目の前が真っ暗になった。自分の中にある「容れ物」の底がどこにあるのかを、確かめるように。

 この「何か」が何なのかは、まだわからない。けれど、これがなければ流れは動かせない。そしてこれは無尽蔵じゃない。使えば減り、底を突けば倒れる。

 わからないことが、また一つ増えた。それを僕は嫌いじゃなかった。わからないことは、いつだって次へ進むための入口だから。


 異変に気づいたのは、その記録を見返していたある夜のことだった。

 ろうそくの灯りの下、何枚にもふくれ上がった帳面をぱらぱらとめくっていく。日付。その日の手応え。体の消耗の度合い。そして何の気なしにページの端へ書きつけていた、もう一つの記録——あの最深部の、赤い光の様子。

 ……何か、おかしい。

 僕はページを行ったり来たりした。指が止まる。

 流れを大きく動かせた日。深く消耗した日。その翌日は決まって、あの赤い光が前より少しだけ強く脈打っているのだ。地鳴りの間隔も、最初に見た頃と比べて明らかに短くなっていた。

 偶然だと思いたかった。気のせいだと。

 でも、観察は嘘をつかない。何日ぶんもの記録が、冷たく同じ一つのことを指し示していた。

 僕が流れを使うたびに、あの赤いものが目を覚ましかけている——。

 ぞわりと、背筋を冷たいものが這い上がった。

 あの赤い光はきっと、神代の人たちが何かを封じた「蓋」の、そのさらに奥にいるものだ。そして僕が触れている流れ——原初式は、たぶんその封印を作ったのと同じ力でできている。だから僕が流れを動かすたび、その小さな震えが蓋の向こうの「何か」に伝わって、長い眠りを少しずつ浅くしているんだ。


 手のひらを見つめた。

 皮肉な話だった。

 僕はあの赤いものから村を守りたかった。そのために力が欲しかった。流れを操れるようになりたかった。

 なのに、その力を磨くことが、まさに止めたいはずの「目覚め」を早めている。

 このまま練習を続ければ、いつか流れを自在に操れる日が来るかもしれない。でもその頃にはきっと、止めるべき相手のほうがとっくに起き出してしまっている。

 じゃあ、やめるか。


ここで全部放り出して、流れにも遺跡にも二度と近づかなければ、目覚めはたしかに遅くなるだろう。けれどそれは、あの蓋がひとりでに朽ちて壊れるその日まで、何の備えもないまま指をくわえて待つということだ。村も僕も、無力なままで。

 進んでも退いても、時間は僕の味方じゃない。

 僕は奥歯を噛んだ。逃げ道のない問いを前にしても、考えることだけはやめなかった。やめたら、そこで終わりだから。


 その問いに追い打ちをかけるように、翌日、村に戻るとボルツがいつになく難しい顔で僕を待っていた。

「坊主。ちょいと面倒な話だ」

 彼は太い指で東の森を指した。

「森のへりで、また、あの灰色のを見たって奴が出てきた。一匹、二匹だがな。ゆうべは畑の鶏が一羽やられた」

 心臓が跳ねた。

 氾濫で一頭残らず出払ったはずのあの獣が、もう戻りはじめている。森の奥の「何か」が、ふたたび魔物たちを奥から手前へと押し出しはじめた——その何よりの合図だった。

「この前みてえな大群じゃねえ。今のところはな」ボルツは低く言った。「だが、お前さんはどう見る」

 僕の見立てを訊いてくれている。村を救ったあの夜以来、彼は僕の「頭」を本気で当てにするようになっていた。

 僕はしばらく黙ってから、正直に答えた。

「……まだ数は少ない。でもボルツ。次は、たぶんこの前よりひどい」

 ボルツは何も言わなかった。ただ口を引き結んで、東の森を睨んでいた。怒鳴りもしなければ慰めもしない。それでも、その通りだと彼の目が語っていた。


 猶予はない。

 でも、だからといって闇雲に練習を重ねれば、目覚めはその分早まる。流れを使えば使うほど敵を起こしてしまうのなら、一回でも無駄な練習を減らすしかない。やみくもに渦を回すのではなく、「正しいやり方」を知ってから試す。最小の手数で、最大の手応えを。

 その手がかりは、もうあの場所にしかなかった。

 壁の言葉だ。

 次に遺跡へ入ったとき、僕は心臓の壁の螺旋を、これまでとはまったく違う目で見上げた。今まではただの読めない模様だった。でも今の僕の体には、「流れを外から内へ寄り添わせて導く」というあの感覚が確かに宿っている。

 その感覚を物差しにして、壁の無数の螺旋の中のある一つを、じっと見つめた。

 外から内へ。渦を巻いて。途中でひと結びして——。

 ……これは。

 息が止まった。

 これは、僕が渦を「集める」ときの、あの流れを内側へ寄せていくまさにあの動きと同じ形だ。

 ぞくりと全身に鳥肌が立った。

 読めた。

 生まれて初めて、僕は神代の言葉をたった一文字「読んだ」。意味まではっきりとはわからない。でもたぶんこれは、『集める』とか『巡らせる』とか——流れを一つところへ寄せる、そういう動きを表す言葉だ。

 ただの模様だったものが意味を持った瞬間だった。壁一面の螺旋が、急に僕へ語りかけてくる巨大な書物のように見えてきた。

 そうだ。これだ。

 体で覚えた感覚と壁の言葉を一つずつ突き合わせていけば、僕はこの言葉を少しずつ読んでいける。誰にも教わらず、たった一人で。独学の、世界に一冊だけの辞書を作るんだ。


 その日、松明の灯りの中で、僕は新しいページを開いてその螺旋を丁寧に書き写した。

 そして隣に、こう書き添えた。

 『集める(たぶん)。体の、こう動かす感じ。』

 たった一語。

 でも、これを十、百、千と積み上げていけば、いつか僕はあの赤いものを止めるための言葉にだって辿り着けるかもしれない。

 ただし、その千を積み上げているあいだにも、赤い光は脈打ち続け、灰色の獣は一匹、また一匹と森へ戻ってくる。

 時間との競争だった。それも、自分が一歩進むたびに相手も一歩近づいてくる、たちの悪い競争。

 僕は急がなきゃいけない。誰よりも賢く、そして誰よりも慎重に。目を覚ましかけた世界の底と、競い合うように。

 落ちこぼれと笑われた少年のたった一人の独学は、いつのまにかこの小さな村の——いや、もっと大きな何かの命運を、静かに背負いはじめていた。


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