第15話「指先の渦」
それから、僕は、足繁く遺跡へ通った。
村の仕事を片づけ、食料を蓄え、ボルツに行き先を告げて——日のあるうちに、心臓の広間へ。氾濫で獣が出払った今が、好機だった。
「感じる」ことは、回を重ねるごとに、少しずつ、早くなっていった。目を閉じ、息を整え、首飾りを包む。十数える前に、あの流れが、指先に、かすかに触れるようになった。
でも——そこから先が、壁だった。
感じられる。けれど、動かせない。
流れは、僕の指先を、ただ素通りしていく。川に手を浸けても、川の流れは変えられないみたいに。「こっちへ来い」と念じても、何も、起きなかった。
来る日も、来る日も。僕は、失敗を、落書き帳に書きつけた。念じる強さを変えた。手の角度を変えた。息の長さを、首飾りの握り方を——どれも、駄目。
現代魔法みたいに、「形」を思い描いても、みた。炎を。水を。けれど、型に押し込めようとした瞬間、流れは、いつも、逃げた。
……僕は、まだ、何かを、間違えている。
行き詰まった夜、僕は、写し取った螺旋を、もう一度、見つめた。
外から、内へ。渦を巻いて、中心へ。——流れには、もともと、進みたい「向き」が、ある。
そうか。
僕は、流れを、僕の都合のいい所へ、引っぱろうとしていた。だから、逃げられた。
そうじゃない。流れが、もともと、行きたがっている方へ。ほんの少しだけ、背中を、押してやればいい。逆らうんじゃなく、流れに寄り添って、導く。
——舵を、取るみたいに。
翌日。僕は、心臓の中心で、いつものように、流れを、感じた。
今度は、掴もうとしない。逆らわない。床の螺旋が指し示す、外から内への、その渦の向きに、僕の意識を、そっと、重ねる。流れと、同じ速さで、同じ向きに、寄り添って——ここで、ほんの少しだけ。指先一本ぶん、内側へ。
その、瞬間だった。
僕の、指先の、すぐ上で。
青白い光が、ふわり、と、小さな渦を、巻いた。
まるで、水面に落ちた木の葉が、くるりと回るみたいに。ほんの、親指の爪ほどの、小さな小さな、渦。
——動いた。
僕の、意志で。世界の流れが、確かに、ひと巻き、応えた。
声が、出なかった。ただ、その小さな渦を、僕は、瞬きもせずに、見つめていた。これだ。これが——証明だ。まだ、誰にも見せられない。火も出ない、水も出ない。でも、僕は今、確かに、本物の魔法の、最初のひと巻きを、この手で、回したんだ。
もっとだ。僕は、その渦を、もう少し、大きく、長く——
とたん、ぐらり、と、視界が、傾いた。
頭の奥が、すっと、冷たくなる。指先の渦が、ふっと、掻き消えた。同時に、体の、芯のあたりから、何かが、ごっそりと、抜け落ちたような——空っぽな、感覚。
膝を、ついた。息が、できない。指の先まで、力が、入らない。
な、んだ、これ。
疲れた、なんてもんじゃない。井戸の水を、底まで、汲み尽くしてしまったみたいな。自分の中の「何か」が、空っぽに、なっている。
……流れを動かすのに、僕は、自分の中の「何か」を、使っている。それは、無尽蔵じゃ、ない。使えば、減る。底を、突く。
初めて知る、感覚だった。落書き帳に、僕は、震える字で、書きつけた。
『流れを動かすと、自分の中の"何か"が減る。空になると、動けなくなる。これは、何だ。』
壁にもたれて、僕は、しばらく、動けなかった。
心臓の奥、赤い光が、こちらを窺うように、脈打っている。今日は、もう、相手にできない。
でも——口元が、勝手に、緩んでいた。
動かせた。ひと巻き、だけど。昨日まで、世界の誰にもできなかったことを、無属性の落ちこぼれが、たった独りで、やってのけた。
ここから、だ。この小さな渦を、いつか、村を守れる力に。あの赤いものを、止められる力に。
その前に——まず、知らなきゃ、いけない。僕の中で、減ったり、空になったりする、この「何か」の、正体を。
炎の、その前にあるものを掴んだ、その先には。
まだ、誰も知らない、いくつもの謎が、待っていた。
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