第13話「世界が、間違っていた」
氾濫の夜から、幾日かが過ぎた。
村は、少しずつ、いつもの暮らしを取り戻していた。壊された柵が直され、散らばった薪が片づけられ——けれど、何かが、確かに変わっていた。すれ違う村人が、僕に、小さく頷くようになった。子供が、僕の後ろを、ついて回るようになった。無属性の落ちこぼれは、いつのまにか、「火のことを知ってる坊主」になっていた。
嬉しくない、と言えば、嘘になる。
でも、僕の頭の中は、ずっと、別のことで、いっぱいだった。
あの、赤い光。
今夜のは余波だと、僕には、わかっていた。本体が目を覚ませば、火の壁くらいでは、村は守れない。止めるには、遺跡を——あの読めない言葉を、解き明かすしかない。
僕は、廃館の机に、すべてを広げた。
遺跡で書き写した、螺旋の群れ。幼い頃からの、落書き帳の山。そして、母の、銀の首飾り。
ろうそくを何本も灯して、僕は、来る日も来る日も、それらを、見比べ続けた。
わからないことだらけだった。
螺旋は、確かに、文字のように連なっている。でも、いくら睨んでも、それが「何を言っているのか」は、読めない。意味の手がかりが、どこにもない。
行き詰まった僕は、ふと、手を止めて、考え方を、変えてみた。
——そうだ。僕はずっと、これを「絵」として読もうとしていた。形を、覚えようとしていた。
でも、もし。これが、形じゃ、なかったら。
第九の夜に書いた、自分のメモを、見返す。『螺旋は、止まっていない。動きだ。外から内へ、渦を巻いて、集まっていく。』
遺跡の壁の光も、そうだった。筋を伝って、流れていた。氾濫の夜、光の輪は、何かに応えて、流れる向きを、変えた。
螺旋は——形を、描いているんじゃない。
「流れ」を、描いているんだ。
その時、頭の奥で、何かが、かちり、と音を立てた。
僕は、震える手で、落書き帳の、いちばん古いページを開いた。六つの僕が書いた、あの一行。
『炎の前に、何かがある。みんな炎しか見ていない。』
炎の、前。
兄上が火を出す時。父上が炎を操る時。みんな、生まれた「炎」を見て、すごい、と言う。属性だ、才能だ、と。
でも、炎は、いきなり生まれるわけじゃない。その前に、必ず、何かが——力が、集まって、形を与えられて、それから、炎になる。
みんなが見ているのは、最後の、結果だけ。
螺旋が描いていたのは、その「前」だ。力が、外から内へ、渦を巻いて、集まってくる、その流れ。炎になる、ずっと手前の、生の力そのもの。
現代の魔法は——その生の力の流れを、いきなり「炎」や「水」っていう、決まった形に、押し込める術なんだ。手っ取り早く、結果だけを、取り出す。
神代の人たちは、違った。
彼らは、形に押し込める前の、流れそのものを、自在に操っていた。それが、この螺旋。これが、原初の——本物の、魔法。
今の魔法は、その、ほんの最後の一部分だけを真似た、劣化品なんだ。
全身が、震えた。
なら——属性って、何だ。
火、水、風、土。あれは、才能なんかじゃない。生の流れを、どの「形」に押し込めるかっていう、ただの、型の違いだ。火属性は、流れを炎の型に流す癖。それだけのこと。
じゃあ、属性なし、は。
僕は、息を、呑んだ。
無属性は——力が、ないんじゃ、ない。どの型にも、流れを、押し込めていないだけだ。みんなが、生まれつき一つの型に流れを固められている、その中で。僕の流れだけが、どの型にも、固まっていない。手つかずの、生のまま。
誰も、それに気づかなかった。型に入らない流れは、今の魔法じゃ、何の「結果」も生まないから。だから、「使えない」と、笑われた。
——違う。
僕は、間違って、いなかった。
間違っていたのは。最後の結果しか見ていない、この、世界の魔法のほうだ。
炎の前にある「何か」を、誰も、見ようとしなかった。たった一人、笑われ続けた、僕を、除いて。
ろうそくの火が、揺れた。
……落ち着け、と、僕は自分に言い聞かせた。
これは、まだ、ただの考えだ。頭の中で、辻褄が合っただけ。本当にそうなのか、その流れが僕に操れるのか——まだ、何ひとつ、確かめちゃいない。賢さは、こういう時こそ、地に足をつける手綱になる。
でも。
胸の奥に灯った小さな火は、もう、消えなかった。
もし、この考えが正しいなら。僕は、無属性なんかじゃない。むしろ誰よりも、自由な流れを、持っているのかもしれない。あの遺跡の言葉は、その流れの、操り方を、教えてくれているのかもしれない。
窓の外、東の森。遺跡の底で、赤い光が、脈打っている。
あれを止める力も——きっと、あの流れの、その先に、ある。
僕は、新しいページを開いて、ペンを執った。
そして、書いた。
『炎の前にある"何か"を、僕は、見る。そして、いつか、掴む。』
——確かめに、行こう。本物の魔法が、本当に、この手にあるのかを。
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