↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第二章完結・第三章開幕】無属性の落ちこぼれ追放令息は、失われた魔法《原初式》を読み解く ~世界の魔法は、最初から間違っていた~  作者: 刈谷るあ
学園編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
113/120

第113話「退き際」

 最初に出てきたのは、頭だった。

 穴の縁に、黒い塊が引っかかる。爪が石を掻いて、ずるりと胴が続いた。犬より大きい。毛のない、濡れた肌。あの日の巨体とは違う。もっと小さくて、もっと数のいるやつだ。

 一匹目の後ろに、もう一つ。その後ろに、また一つ。

 深いところの獣だった。ここまで、ひとりでに上がってくるものじゃない。上がってこられる道が、今はある。

 「上へ!」教官が叫んだ。「戦えない者から! 手燭を落とすな!」


 退く。

 道は、僕がいちばん知っている。三層から二層への上がり口は、二つ。片方は狭くて急だ。数で来られたとき、正面を絞れる。

 「左だ! 左の口へ!」

 考えるより先に、口が動いた。案内役の仕事だけは、体に染みている。

 手燭持ちの二人が先に走る。ダリオが、そのすぐ後ろについた。前へは出るなと言われている。負った肩をかばって、剣は左手だ。それでも、逃げる二人のいちばん近くで、盾になれる位置を、自分から取った。


 氷の学生が、穴の前に残った。

 片手を上げる。詠唱はない。穴の縁が、みしり、と白く凍った。這い出ようとした一匹の前肢が、氷に噛まれて止まる。

 速い。あいつが穴を塞いでいるあいだに、僕たちは退ける。

 だが、塞ぎきれるものじゃなかった。凍った縁を後ろの一匹が乗り越えて、横から回り込んでくる。氷の届かない角度へ。


 僕は、そっちへ出た。

 山刀を抜いて、火を口の中で唱えた。要りもしない詠唱を、いつものように。掌に、平凡な火が灯る。獣の鼻先で弾けさせて、たじろいだところを薙ぐ。手応えはあった。だが浅い。この肌は、厚い。

 一匹を退けるあいだに、二匹目が横をすり抜けた。

 ダリオのほうへ。


 間に合わない。

 僕とダリオのあいだには、まだ数歩ある。山刀は、今、別の一匹に食い込んでいる。抜いて投げても、届かない。ダリオは左手一本で、剣を構え直そうとしていた。負った肩では、振り遅れる。

 選べ、と、頭のどこかが言った。

 食い込んだ刃を、引き抜くか。火を、ほんとうの火にするか。

 どちらか一つ。両方をやる手は、なかった。


 火を、絞った。

 口の中の詠唱を、途中で捨てる。掌の火が、ぎゅっと縮んで、青く尖った。平凡な火のふりを、やめた。針の先ほどに絞った熱を、獣の後ろ肢の付け根へ、まっすぐ飛ばす。肌の厚いところを避けて、薄いところだけを。

 獣が短く鳴いて、たたらを踏んだ。ダリオが、その隙に一歩下がる。剣を立て直す。間に合った。


 間に合ったが、見られた。

 氷の学生が、穴の前から、こちらを見ていた。ほんの一瞬だ。あいつはすぐに前へ向き直って、また縁を凍らせた。何も言わない。

 言わないことのほうが、こわかった。あの目は、今の火を、しまい込んだ。


 「レイ!」

 セラの声だった。

 上がり口の手前で、手燭持ちの一人が足をもつれさせて倒れている。その先に、一匹。セラがあいだに入って、火を放っていた。あの娘の火は、まっすぐで、明るい。獣の目を灼く。だが、あの娘の火も、厚い肌には通らない。

 僕は走った。倒れた男の襟をつかんで、引き起こす。セラの火が作った一瞬を、無駄にしないように。

 「行け! 先に!」

 セラは火を絶やさないまま、後ろへ下がる。二人で、殿を作った。

 あの決めごとは、ここでは要らなかった。喋って間を作るより、火を絶やさないほうが、ずっと役に立った。


 狭い上がり口に、順に体を入れる。

 一人ずつしか通れない。そのぶん、獣も一匹ずつしか来られない。教官が先で受け、氷が最後に飛び込んで、口を頭から凍らせた。分厚い氷の栓が、通路を塞ぐ。

 向こうで、爪が氷を掻く音がした。すぐには破れない。破れるまでに、上へ出る。


 二層を駆け上がった。

 誰も、口をきかなかった。息の音と、足音と、後ろで氷を掻く音だけ。手燭の炎が、走るたびに大きく揺れる。

 一層の光が見えたとき、脇腹が濡れているのに気づいた。いつ裂かれたのか、覚えていない。火を絞ったときか、男を引き起こしたときか。痛みは、後から来た。


 外は、まだ降っていた。

 塔の口から転がり出て、雨に打たれて、ようやく、みんな足を止めた。手燭持ちの二人は、腰が抜けて座り込んでいる。ダリオが荒い息のまま、僕に向かって何か言おうとして、やめた。礼を言おうとして、言葉が見つからなかったんだろう。

 誰も、死ななかった。

 誰一人、下へ置いてこなかった。


 氷の学生が、僕の横に立った。

 雨に髪を濡らしたまま、塔の口を見ている。

 「さっきの火」

 低い声だった。

 「詠唱と、合ってなかった」

 僕は答えなかった。脇腹の傷が、雨に染みる。

 「あの絞りかたは、練習した奴の手だ。まぐれじゃない」氷は、こちらを見ずに続けた。「下手な火を、わざわざ下手に見せてた。そういうことだろう」

 当ててきた。半分は。

 「……買いかぶりだ」

 「そうかもしれん」氷は、それ以上は詰めなかった。詰めるかわりに、一つだけ置いていった。「次は、隠しながら守るのは無理だぞ。今日みたいには、いかない」

 それは、脅しじゃなかった。忠告でも、なかった。

 ただの、事実だった。


 塔の口は、もう縄では塞げなかった。

 石を積んで、氷で固める。そのあいだも、下では、爪が氷を掻いている。掘った誰かは、まだあの下にいるのかもしれなかった。

 僕は、閉じていく口を見ながら、脇腹を押さえた。

 選んだ。今日は、守るほうを。

 そのぶん、隠すほうから、一枚、剥がれた。

面白いと思っていただけたら、ブックマークや★★★★★評価・感想をいただけると、今後の執筆の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。