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【第二章完結・第三章開幕】無属性の落ちこぼれ追放令息は、失われた魔法《原初式》を読み解く ~世界の魔法は、最初から間違っていた~  作者: 刈谷るあ
学園編

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第111話「名指し」

 翌朝、雨は小降りになっていた。

 草地へは行かなかった。行けなかった、と言うほうが正しい。院から、朝いちばんに来いと使いが来た。下働きの頃には、一度もなかったことだ。


 院長の部屋は、初めて入った。

 思ったより狭い。壁は天井まで棚で、綴じ本の背が隙間なく詰まっている。窓は小さく、昼でも灯りが要る暗さだった。あの、束の底の一枚を送った先も、こういう部屋の、もっと奥にあるんだろうか。ふと、そんなことを思った。


 院長は年寄りで、声が低かった。前置きはなかった。

 「塔へ、人を入れる。あの日の層まで下りて、何があったのかを検分する。おまえに、道の案内を頼みたい」

 モスが、壁ぎわに立っていた。目を合わせない。

 「札を持っていて、あの層まで下りたことのある者は、そう多くない。学生で、実際にあの日いた者となると、なお少ない。おまえは、その両方だ」

 断れる話ではなかった。

 断れば、なぜ断るのかを訊かれる。下で何を見たか、なぜそれを厭うのか。答えれば、僕の口は勝手に多くを喋る。黙って引き受けるほうが、ずっと安全だった。

 「……分かりました」

 自分の声が、少し掠れた。


 「先導は、実技の教官がやる」院長が名を挙げた。あの日、僕の訴えを季節のせいだと払った男だ。今は率いる側に回っている。

 研究院からは、記録を検める役として僕。あとは腕の立つ学生を幾人か付けるが、その人選は実技の側に任せる、と院長は言った。ただ一人だけ、もう決まっている名があった。

 塔で幾度も擦れ違った、氷を使う学生。

 当然だった。あの日、下の異変をいちばん早く嗅ぎつけていたのは、あいつだ。季節でない、と最初に言ったのも。人選としては、これ以上なく正しい。正しいだけに、剣呑だった。


 部屋を出ると、廊下の先に、その氷の学生がいた。

 もう聞かされていたらしい。壁に背を預けて、僕が出てくるのを待っていた。相変わらず、目の温度が低い。

 「案内人だってな」

 「……そうらしい」

 「都合がいい」氷は言った。「おまえは、あの層で妙な戦い方をした。魔力を空にしてまで、剣で粘った。あれを、もう一度近くで見られる」

 背筋が冷えた。この男は、力そのものより、僕の戦い方の辻褄の合わなさを見ている。心で当てにくるセラとは違う。頭で、順を追って、詰めてくる。

 「見ても、面白いものじゃない」

 「面白いかどうかは、俺が決める」

 それきり、氷は背を向けた。去り際に、一度だけ足を止めた。

 「今度は、剣一本で足りると思うな。前も言った」

 前に聞いた言葉だった。あのときは、脅しか、忠告か、分からなかった。今日は、少し分かる。あいつも、下でよくないものが育っていると、本気で思っている。


 草地へ寄ったのは、昼を過ぎてからだった。

 セラは、もう来ていた。雨は上がっていて、庇の下は要らなかった。塀ぎわの、乾いた石に腰かけている。僕の顔を見て、何か言う前に、あの娘のほうが先に口を開いた。

 「わたしも、名前が挙がってる」

 手が、勝手に止まった。

 「あの日、下にいたでしょ。ダリオも。だから、声がかかった」

 そういうことか、と思った。腕の立つ学生を選ぶ、と院長は言っていた。あの層で戦った者なら、まさに人選に合う。この娘も、守られる側じゃない。外す理由が、僕にはなかった。外したい理由なら、いくらでもあった。

 「行くな」

 言ってから、しまった、と思った。

 「なんで」セラの目が、すっと細くなった。「あんたは行くのに」

 「僕は、案内だ。断れない」

 「わたしだって、断らない」

 声は静かだった。けれど、てこでも動きそうにない静けさだった。

 昔、僕は誰も近くに置かないと決めた。近くにいれば、いつか守れない日が来る。灰と煤の匂いが、まだ体のどこかに残っている。あの匂いを、もう一度嗅ぎたくはなかった。

 でも、この娘を隊から外す言葉を、僕は持っていなかった。持っていたとしても、たぶん、あの娘は聞かない。

 「……気をつけろ、としか言えない」

 「あんたこそ」

 セラは、それ以上は責めなかった。膝の上で、指を三つ折って、四つ目の前で止める。この前、教えてくれとせがんだ、あの手つきだ。教えられるのかどうかは、まだ分からない。それでも、二人のあいだの合図みたいになっていた。

 「下でも、これ、使えると思う?」セラが、その指を軽く振ってみせた。

 「よせ。あそこで手遊びしてる暇はない」

 「冗談よ」あの娘は、少しだけ笑った。笑って、それから、笑いをしまった。


 塔がいつ開くかは、まだ聞いていない。

 でも、開く日は、もう決まっているんだろう。教官がいて、氷の目があって、そのすぐ横にセラがいる。ダリオも、ほかの誰かも、下りるはずだった。それでも、僕がいちばん気を張るのは、この三人だ。

 隠すのに手が要る。守るのにも手が要る。あの日と同じで、僕の手は、二本しかなかった。



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