第8話 死者たちの帳簿②
※長いので第7話を①・②として分けています※
王都の中枢。
王太子の影。
剥製部屋。
消えた子どもたち。
それらが一本の線で繋がっていくたび、胸の奥に灯った怒りは、さらに深く沈んでいく。
もう、ジェラルドだけを倒せば終わる話ではなかった。
この国そのものが、獣人の命を飾り物にする仕組みを許してきたのだ。
「ビアンカ」
ロイドが名を呼んだ。
振り向くと、彼はまっすぐこちらを見ていた。
「おまえは少し休んだほうがいい」
「またそれ?」
「今度は命令じゃない。......俺からのお願いだ」
その声に、ビアンカは言葉を詰まらせた。
ロイドの目は怒っていた。
けれど、それ以上に辛さに曇っていた。
彼は、ビアンカの怒りを止めたいのではない。
彼女を壊したくない。ほんの少しの痛みも感じさせたくないのだ。
ビアンカは視線を落とした。
「……眠れる気がしないわ」
「横になるだけでいい」
「ロイは?」
「俺は――」
「ロイもよ」
ビアンカは顔を上げた。
「あなたが私を心配するように、私もあなたが心配なの。今の顔、ひどいわ」
「俺はもともとこういう顔だよ」
そのやりとりでほんの少し互いに余裕ができた。
ヨナスが小さく息を吐いた。
「二人とも休め。どうせ侯爵が来るまで、ここから先は動かせん」
「――だが」
「ロイド」
ヨナスの声が低くなる。
「怒りで目が濁ったままでは、勝てる戦も落とすぞ」
ロイドは舌打ちした。
だが、それ以上は言い返さなかった。
ビアンカは立ち上がろうとして、ほんの少し膝を揺らした。ロイドがすぐに支える。
「ほら見ろ」
「足が痺れただけよ」
「強がるなよ」
「強がってなんか――」
ロイドは言い返すビアンカを抱き上げると、「上の修道士の部屋を借りる」とヨナスに言って戸口に向かった。
「やだ、ロイ!歩けるから、ねぇ!」
「ビアンカ。ロイドの気持ちも察してやれ。黙って従うのも思いやりだ」
背後から追いかけてくるヨナスの声に、ようやくビアンカは抵抗を止めてロイドの胸に体を預けた。
二人が司祭室を出ようとした時、ヨナスが呼び止めた。
「ビアンカ」
ヨナスは、机の上の帳簿に手を置いていた。
「おまえの母の記録も探す」
ビアンカはその言葉に、ロイドの胸に額をつけたまま小さな声で返した。
「……ええ」
「名前を取り戻す。必ずな」
その言葉に、ビアンカはしばらく何も言えなかった。
やがて小さく頷く。
「お願い......します」
それだけ呟くと、彼女はロイドの胸で目を瞑り、ロイドは体を抱く腕に力を込めた。
◇◇◇
司祭室に一人残ったヨナスは、蝋燭の火を見つめていた。
机の上には、死者たちの帳簿がある。
そこに記されているのは、イカれた貴族たちの悪趣味などではない。
国の病だ。
獣人を人として扱わない貴族。
金と権力で命を買う王都。
見ないふりをしてきた教会。
救えなかった子どもたち。
ヨナスは、ゆっくりと目を閉じた。
かつてジョナサン・クレイグと呼ばれていた頃、彼は国を変えようとして、多くを失った。
片腕。片目。仲間。名前。
それでも、火は消えていなかった。
扉が叩かれる。
若い神父が顔を出した。
「ヨナス様。外に、グルド様が」
「通せ」
すぐに、グルドが部屋へ入ってきた。外套には煤がつき、片頬に薄く血が滲んでいる。
「陽動は成功した。だが、妙なものを見つけた」
彼は懐から、小さな鍵束を取り出した。
「保安官事務所の地下牢の鍵だ。倉庫じゃない。もっと奥に、隠し扉がある」
ヨナスの目が鋭くなる。
「子どもたちか」
「まだわからん。だが、耳のいい若い奴が泣き声が聞こえたって言ってる」
その時、遠くで朝一番の鐘が鳴った。
夜が明ける。
だが、闇はまだ終わらない。
ヨナスは机の上の帳簿を閉じ、赤い封蝋の書簡をグルドに渡した。
「ハネイグ侯爵へ届けろ。最速で」
「内容は?」
「国が割れる、と伝えればいい」
グルドは一瞬だけ目を細め、それから頷いた。
「わかった」
彼が出て行くと、ヨナスは再び帳簿へ視線を落とした。
死者たちの名は、まだ戻っていない。
だが、その沈黙はもう、ただの沈黙ではなかった。
王都へ届く前に、火になる。
そしてその火は、悪徳保安官一人だけではなく、国の奥に巣食う腐った根まで焼くことになる。
ヨナスは低く呟いた。
「ようやく始められる」
夜明けの光が、窓の端を白く染めていく。
その光の中で、死者たちの帳簿が静かに閉じられた。
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