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獣の王は花嫁にもう一度恋をする  作者: けもこ


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第4話 町は牙を隠して笑う

昼間のユリベルは、一見、平和な町に見える。


石畳の通りには荷馬車が行き交い、パン屋からは焼きたての匂いが漂う。人間の子どもと獣人の子どもが、同じ噴水のまわりで走り回り、商店の軒先では年寄りたちが天気の話をしている。


けれど、その笑顔の下に何があるのかを、ビアンカはよく知っていた。


誰が誰を見下しているのか。

誰が誰から余分に金を取っているのか。

どの店の主人が、保安官に媚びるために獣人の客だけを裏口へ回すのか。


町の匂いは、嘘をつかない。


「そろそろ、この屋台も修理しないと駄目ね」


テルマが、花籠を並べた屋台の車輪を揺らした。ぎい、と嫌な音が鳴る。


「ずっと町に置きっぱなしだもの。一度、村へ持ち帰って直してもらいましょう」


ビアンカはそう答えながら、レース編みの布を広げた。その上に、小さな花籠をひとつずつ並べていく。


白銀の髪を赤毛のかつらで隠し、白い肌にそばかすを散らしていた。頭巾の下から少しだけこぼれる巻き毛を、ネイサが恨めしそうに見つめる。


「姐さん、赤毛も似合うんですね」


「ネイサの髪が可愛いから真似したのよ。赤って元気が出る色じゃない?」


その一言で、ネイサは胸を押さえた。


「姐さん……私と結婚してください」


「残念。私、人妻なの」


ビアンカが肩をすくめると、テルマが腹を抱えて笑った。


「主に聞かれたら、ネイサ埋められるよ」


「埋められても本望です」


「ネイサの姐さん推しが爆発してる」


くだらないやり取りをしながら、三人は花籠を売り始めた。


「ユリベル聖堂の幸福の花籠だよ。小さな祈りを、おうちへ連れて帰っておくれ」


ビアンカが声を張ると、通りが少し明るくなる。


彼女の声には、不思議と人を立ち止まらせる力があった。変装していても、笑顔の奥にあるあたたかさまでは隠せない。


「お姉さん、小さいのはいくら?」


「おばあちゃんへのお土産にしたいの」


「嫁さんに土産にするよ」


三十分もしないうちに、花籠は半分以上売れていた。


「今日も調子いいですね」


ネイサが嬉しそうに売上箱を覗く。


「孤児院の寝台、二つは直せそう」


「雨漏りもどうにかしたいわね」


ビアンカがそう言った時、テルマの耳がぴくりと動いた。


「あ、嫌な奴と目が合った」


通りの向こうから、保安警備隊の男たちが歩いてくる。


先頭に立つのは、頬に痣のあるニキビ面の男。保安官ジェラルドの犬。町の商人たちは、陰でそう呼んでいた。


男は屋台の前で足を止め、にやにやと花籠を一つ持ち上げた。


「よお、テルマ。今日もよく売れてるじゃねえか」


テルマの尾が不快そうに揺れる。


「おかげさまで」


「見たところ、あと少しで完売って感じだな。いやあ、商売上手だ。おまえら姉妹は何を売っても跳ねる」


男の視線が、テルマからネイサへ、そしてビアンカへ移った。


ビアンカは笑みを崩さない。


この手の男は、怒らせても得にならない。軽く見せておく方が、後でいくらでも動きやすい。


「管理料は半分ってところかな」


男が当然のように言った。


テルマが目を剥く。


「はあ? 先月は二割って言ってたじゃないの。それだって十分おかしいのに!」


「保安官が変わったからな。町の安全には金がかかる」


「安全? 誰から誰を守るっていうのよ」


テルマが一歩出かけた瞬間、ビアンカがその腕を押さえた。


「テルマ」


低く、穏やかな声だった。


テルマは唇を噛んで黙る。


ビアンカは売上箱を台の上に置き、男たちに見えるように硬貨と紙幣を並べた。


「そうね。売上が上がれば、それに従って管理料も上がるのでしょうね」


男は満足げに鼻を鳴らす。


「さすが、お姉さんは話が早い。駄犬のテルマとは中身が違うな」


後ろの男たちが笑った。


ネイサの手が震えている。テルマは今にも噛みつきそうな顔をしている。


ビアンカは半分をきっちり数え、男に渡した。


「はい。これでちょうど半分よ。これからも、町の管理をよろしくお願いします」


「わかってるじゃねえか」


男は金を掴むと、テルマを上から下まで舐めるように見た。


「テルマ。おまえも管理してやってもいいんだぜ。いつでも頼みに来いよ」


テルマの顔から血の気が引く。


それでもビアンカは動かなかった。


男たちは笑いながら去っていく。


その背中が通りの角を曲がるまで待って、テルマが地面の小石を蹴り飛ばした。


「姐さん! なんで黙って渡しちゃうんですか。悔しいです。あいつら、ほんとに……!」


「騒ぎを起こしたら、負けよ」


ビアンカは静かに言った。


「弱いふりをしておく方が、得になることもあるわ」


「でも……!」


「テルマ、ネイサ。私のズボンの後ろポケットに手を入れてみて」


二人は顔を見合わせた。


「え?」


「いいから」


怪訝そうにしながらも、二人は左右のポケットへ手を入れる。


「きゃっ、くすぐったい。もぞもぞしないで」


ビアンカが身をよじると、二人の手に紙幣の束が触れた。


「姐さん!」


ネイサが声を上げる。


「いつの間に」


「大きい額だけ抜いておいたの。あの男、テルマばかり見ていたから」


テルマは一瞬ぽかんとしたあと、顔をしかめた。


「うわ、最悪。あんな奴に見られて役に立ったの、人生で初めてです」


「役に立ったならいいじゃない」


「良くないです!」


テルマの叫びに一瞬黙ったあと、三人は顔を見合わせ、堪えきれずに笑った。


けれど、その笑いは長く続かない。


ネイサが通りの先を見つめ、ぽつりと言った。


「……あのお金も、どこかへ流れていくんでしょうね」


保安官事務所。役人の屋敷。貴族の隠し金庫。


そして、消えた子どもたち。


ビアンカは、売上箱の底に残した小さな紙片を指で押さえた。


あの男は、ジェラルド・ワトキンの犬。


保安官の名で集めた金が、ただの警備費で終わっているはずがない。


「今日のこと、ロイドに伝えましょう」


「主、怒るだろうなあ」


テルマが苦笑する。


「怒るわね」


ビアンカは残りの花籠を並べ直しながら答えた。


「でも、怒るだけじゃ終わらせないわ」


◇◇◇


その日の夕方。


宿の二階にある『黒牙の群れ』の部屋には、低い緊張が漂っていた。


テーブルの上には、昨夜の屋敷から持ち出した名簿と帳簿。


ロイドは腕を組み、書類を見下ろしていた。


「みかじめの金、孤児院の修繕費、保安官事務所に保護された子どもの名簿。全部、同じ場所へ流れている」


グルドが顎を撫でる。


「保安官の懐、というには大きすぎるな」


「背後に貴族がいる」


ネイサが言った。


「けど、帳簿の根元を押さえないと、証拠としては弱いです」


ロイドはビアンカを見た。


「奴らが管理料として徴収している金の行方も追いたい」


「ええ。根っこは同じだと思うの」


ビアンカは迷わず頷く。


「今日のあの男たち。花籠に触れた時に、昨夜の書類と同じ甘い香水の匂いがした」


部屋の空気が重くなる。


ロイドの金色の瞳が、細くなった。


「ジェラルドの私邸を探る」


「主」


グルドが短く止めた。


「罠の可能性が高い」


「わかっている」


「わかっていて行くのか」


「だから行く」


ロイドの声は静かだった。


「奴らがビアンカを表に出した以上、長引かせるわけにはいかない」


ビアンカは、その横顔を見つめた。


ロイドの怒りは、いつも深いところに沈んでいる。普段は決して表へ出さない。けれど彼女のことになると、その沈めた刃が不意に光る。


「ロイド」


ビアンカが呼ぶと、彼の視線がすぐにこちらを向いた。


「私も行くわよ」


「駄目だと言ったら?」


「そうね。あなたを殴ってでも行くわ」


テルマが小さく吹き出した。


ロイドは額に手を当て、低く息を吐く。


「……まあ、そうだろうな」


ビアンカは少しだけ得意げに笑った。


「私の鼻が必要でしょう?」


「まあ、そうだ。はあ......我慢しきれなくなったヴィーが勝手に動くよりは、いいのか?」


自問自答して、結局ロイドは認めた。


「無茶は絶対にしないでくれ」


「それ、あなたにもそのまま返すわ」


二人の間に、ごく短い沈黙が落ちる。


戦う前の静けさ。

互いの命を預ける者同士の、言葉にしない確認。


グルドはそれを見て、諦めたように肩をすくめた。


「なら、作戦を組むぞ。保安官事務所に陽動をかける。ジェラルドが動いた隙に、主とビアンカが私邸へ入る」


「私も行きます」


テルマが手を上げる。


「駄目だ。おまえは外周」


「えー」


「えーじゃない」


ロイドはテーブルに広げた町の地図へ指を置いた。


「明日の夜だ」


その指先は、ジェラルド・ワトキンの屋敷を示していた。


ビアンカは、窓の外へ目を向ける。


町のいたるところに、手配書が貼られている。


白銀狼の女。

黒狼王の花嫁。

報奨金は、また上がっていた。


まるで、檻の入口に撒かれた餌のように。


それでもビアンカは、目を逸らさなかった。


自分を狙う者がいるなら、先にその喉元へ辿り着く。


それが、自分とロイドが作ってきた『黒牙の群れ』のやり方だ。

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